コーチングとは、可能性を信じること!! | キンジの自分軸哲学

キンジの自分軸哲学

~自分軸を掘り下げて、リアリティに、付加価値にデザインする為のブログ~

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 

 

 

どもども。

 

キンジです。

 

 

まず、そもそも論として、

断っておきたい事なのですが・・・・・・・、

 

僕自身、プロのコーチに、

直接、コーチングを受けた事がありません。

 

 

 

し、

 

エレキギターを例に出して見ても、

現在でも趣味としては続けておりますが、

そもそもとして、

 

特定の師匠たる人もいませんし、

 

色んな教材や、発信や、プロのコピー等を経て、

部分的には、師匠とか先生となるポジションの人が存在していたとしても、

基本的には、

 

何事も、細かい部分の掘り下げ等は、

独学のスタイルで、行ってきたものではあります。

 

 

 

それらを踏まえて言いますが、

 

プロのコーチのコーチングは受けた事はありませんが・・・・・・・、

 

プロのコーチの発信内容等は、

勉強した覚えがありますし、

それを踏まえた上で、

 

そのような、

 

コーチングマインドってものが、

自分自身の経験の内に、存在していたって事もあり、

 

それらを持って、

 

コーチングマインドとか、コーチングを語っている次第ではありますね。

 

 

 

 

即ち、

 

基本的スタイルとして、

 

最初の取っ掛かりとなるような、

ノウハウ等を、人から習う事はあったとしても、

 

それを掘り下げて、

 

自分自身の血肉とする為には、

 

自分自身の実践を持って、行ってきたし、

 

そこには、

 

部分的教師は存在していても、

 

師匠とまで呼べる人って言うのは・・・・・・、

一度たりとも存在していませんでした。

 

 

 

 

まぁ、

だからとは言っても、

 

マインドセットとか、在り方的に言えば、

尊敬に値する人々って言うのは、

無数に存在していますが・・・・・・・、

それでも言えるのは、

 

「全てにおいて、師と呼べる人。」って言うのは、

 

基本的スタンスとして、

作らないようにしてきましたし、

 

そもそもとして、

 

「そこまでの存在たり得ない。」って言うのが、

普通でしたし、

 

そこまでの存在とする事自体が、

 

人を偶像化し、

それによって、

人間関係的に、歪みを創造する手段であるとさえ、

思う次第ではありますね・・・・・・・。

 

 

 

 

即ち、

 

近しい関係性は勿論の事ですし、

 

キチンと、

 

コミュニケーションを取る前提の上での、

人間としての付き合いが存在しうる可能性がある、

他人て存在を、

 

無闇に、

師匠とか、先生とか、

偶像化しないって事でもありますし、

 

師匠とか、先生とするのであれば・・・・・・、

 

人生の師匠とか、人生の先生とするのでは無く、

 

何か、専門性を持ってして、

 

その枠組みの中でこその、

師匠とか、先生とするって事ではあります。

 

 

 

 

その枠組みってものは、

決して、

 

小さな、微細な枠組みであったとしても、

別に、それで馬鹿にされるようなものでは無い事でしょう。

 

 

 

 

逆に、

 

小さな、微細な枠組みであった方が、

 

色んな物事において、

先生とか、師匠と仰がれる可能性があるものとは言える事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

 

だからこそ、

 

そこで言えば、

 

小さく、微細であればある程、

その敷居が高くなって行くものでもあり・・・・・・・、

 

人に、これから何かを教えて行こうって人にとっては、

最初は、

 

ある程度の大きさを持ってして、

 

その専門性を絞って行く事、

その専門性の枠組みをキチンと制定して行く事が、

肝要にはなってくるのでしょうね。

 

 

 

即ち、

 

独学ってものを教えるスタンスとも言えるだろうし、

 

独学ってものを、

 

芸術性やゲーム性、世界観を持ってして、

表現するスタンスとも言える、

僕自身の発信ではありますが、

 

結局は、

 

上記のような、

 

教えると言うよりかは・・・・・、

 

表現するスタンスの場合において、

 

そこに必要となってくるのは、

 

ティーチングマインドよりも・・・・・・、

コーチングマインドとはなってくるものなのですが、

 

 

まぁ、

 

言葉を伝えると言う意味においては、

ティーチングマインドってものは、

当たり前に必要不可欠にはなってくるものなのでしょう。

 

 

 

 

・・・・・・が、

 

ティーチングだけであれば、

 

ノウハウが存在すれば、

それで事足りてしまうもんでもあります。

 

 

 

 

ノウハウだけで不安な人って言うのは、

結局は、

 

そのノウハウを再現する為の、

基本的行動自体に、

不安が存在する人とは言えるでしょうが・・・・・・、

 

そのノウハウ自体が、

大層な規模感になればなるほど、

 

そのノウハウを、

 

自分自身が再現出来る保証ってものも、

段々、薄れて行ってしまうものではある事でしょう。

 

 

 

だからが故に、

 

同じように、

 

そのノウハウを実行する仲間ってものが、

欲しくなるものでもあり、

 

尚且つ、

 

その仲間のやり方・・・・・・・って言うよりかは、

 

その仲間の世界観とか、ゲーム性を、

参考にしつつも、

 

独自の世界観や、独自のゲーム性を、

展開して行く事が、望ましい在り方とはなって行くものなのでしょう。

 

 

 

 

即ち、

 

そのノウハウを実行しつつも、

「やり遂げる。」為には、

 

ただ単に、

 

モチベーションだけでは、足らない側面が存在するものだろうし・・・・・、

 

 

まぁそもそもとして、

 

モチベーションだけで、物事をやり遂げる人って言うのは、

 

限られているものでもありますし、

 

誰も彼もオイソレと、

 

モチベーション=動機だけで、

何でもやれる人では無いでしょうから、

 

だからが故に、

 

リスクマネジメントとして、

 

その実践という名の、

行動自体を無駄にしない為にも、

 

世界観とか、ゲーム性とか、芸術性と言ったような・・・・・・、

 

セルフエフィカシー=自己効力感に関わる要素を中心として、

物事を推し進めて行く必要性があるものですし・・・・・・、

 

それを持ってして、

 

僕自身は、コーチングマインドと、

呼んでいる次第ではありますね。

 

 

 

本当のプロのコーチであれば、

 

専用の質問のメソッドってものが、

存在しているだろうし、

 

それを持ってして、

 

ヒアリング中心に、聞き手に回った上で、

 

その人その人に応じた、

 

将来の展望や、ルーティンワーク等の見直しを、

推し進めて行くものなのでしょうが・・・・・。

 

 

 

まぁ、何にせよ、

 

そのように、

 

独学中心でもあり、

 

そもそもとして、

 

人生とか、全体性において、

師匠とか、先生を作らないスタンスの人にとっては、

 

プロのコーチング経験ってものに、

触れ合う機会が存在していなかったとしても、

 

コーチングマインドってものが、

必須になるって事ですし、

 

 

これまたそもそもとして・・・・・・、

 

人生とか、全体性において、

 

師匠とか先生たり得るって事自体が、

 

神を創造する行為ともとれるものでもありまして・・・・・・、

 

まぁ、大抵の場合において、

 

神ってものを、

自分自身の外側に創造してしまった場合、

 

その神は、

邪神となり、

 

神では無く、悪魔化してしまうのが常であると、

 

僕自身は、思う次第ではありますし、

 

 

これまたそもそもとして・・・・・・・、

その、

 

自分自身の外側に創造してしまった神様が、

例え、

 

悪魔では無く、天使であったとしても、

 

漏れなく、

 

天使性と悪魔性、両方共が、

現実問題としては、

現れるものだと言う理解ではありますね・・・・・・・。

 

 

 

 

神様と言うからには、

全知全能であるものでしょうし、

 

そのような全体性ってものは、

そもそもとして、

 

一個人の、自分自身の認識において、

そう易々と、認識でき得る存在では無いものではあるでしょうし、

 

結局は、

 

そのような一個人の、

メリットもしくは、デメリットを持ってして、

 

悪魔性とか、天使性と、

これまた、

 

一個人がラベル付けをしているに過ぎないとも言えるでしょうが・・・・・・、

 

 

まぁ、

 

そのラベル付けの、

同意や共感が増えれば増える程、

 

その悪魔性とか、天使性ってものに、

応用・流用性が出来上がって行くものとも言えるのでしょうね。

 

 

 

 

けれども、

 

神では無く、神を直接認識不可能が故の、

悪魔性と天使性でもあり、

 

いきなり普遍性でも無く、

 

応用・流用性だ・・・・・・・・って事なのです・・・・・!!

 

 

 

また、

 

先程、最初の方で、

 

エレキギターを例に挙げてみましたが・・・・・・、

 

それがゲームそのものの場合においても、

 

そのゲームを、攻略サイト等で、

攻略要素を調べるって事が、

ある種の、師匠とか、先生を創造する事とはなるでしょうが・・・・・・・、

 

そもそもとして、

 

攻略要素ってものは、

 

調べ過ぎると、

「ゲーム性が損なわれる。」ものでもあり、

 

ゲームの醍醐味としては、

 

「自分でこそ、自分ならでは。」の、

「ありのまま、あるがままのプレイをする。」って事でもありますから、

 

実は、

 

何の調べもしないままの初プレイってものが、

 

一番、醍醐味を味わえる可能性を秘めているものではあるのです・・・・・・・!!

 

 

 

 

・・・・・・・が、

 

我々、

 

既に知り過ぎた大人にとっては、

 

そのゲームが挫折に終わる心配や、

 

そもそもとして、

 

ゲームであるにも関わらずに、

「おもんない。」とか、

「クソゲー。」である可能性に、

憂慮してしまうもんでもあり・・・・・・・、

 

それを経験知として、ありありと知っているだけに、

 

それが応用・流用されることによる、

 

現実的な悪影響に、

怯えてしまう側面があるものではありますね・・・・・・・??

 

 

 

だからこそ、

 

必要最低限ってものを知り、

 

そこまでは、

 

意地でも調べ上げるって事が重要になると同時に、

 

攻略要素を調べるのであれば・・・・・・、

 

その攻略パターンを、

何パターンか用意すると同時に、

 

自分自身のありのままの見積もりを、

仮説として立てつつ、

 

とりあえず、

 

「より良いゲーム性。」と納得出来得る範囲での、

リスク管理を行うものではありますね。

 

 

 

 

ここでの注意点としては、

 

攻略要素ってものを、

1パターンしか調べて無い場合において、

 

その1パターンが、

 

自分自身のありのままの見積もりを、

仮説として立てたプレイスタイルと、

ぶつかってしまう場合において、

 

プレイ=行動が止まるって事ではありますね・・・・・。

 

 

 

まぁ、

 

その1パターンに、

思考停止して、盲目的に従えば良いと言う意見も、

存在しているのでしょうが・・・・・・、

 

そんな事は、他のゲームで経験済、

尚且つ、

 

そのパターン性において、

 

自分自身が後悔するパターンが多く存在し、

尚且つ、

 

その後で、改めて、

調べあげれば調べあげる程、

 

自分自身のありのままのプレイで良かったと言う経験もまた、

多々存在するものではありますが・・・・・・・・、

 

まぁ、

それでも、

 

その情報量、

即ち、

 

1パターンしか攻略要素を知らない、

 

もしくは、

 

クソゲーとなる可能性が高い場合においては、

 

自分自身のありのままのプレイってものは、

 

中々、

実践出来ないってのが、

僕自身の人情ではありますね・・・・・・・(^^;)

 

 

 

 

即ち、

 

攻略要素を調べるのであれば、

 

相当覚悟を持って調べる必要性があるって事ですし、

 

その覚悟は、

 

情報量で言えば、

 

丁度良い多さと、

 

丁度良い少なさ、

 

両方のケースにおいて、

 

そのゲーム性を良好に維持する方法論と、

自分自身のありのままの表現の経験を、

積み重ねる為の方法論とは、

なっていますね。

 

 

 

また、

 

これが料理の場合においては・・・・・・・、

 

レシピと基本的合わせダレってものを用意しつつ、

 

切り方、炒め具合、煮込み具合等・・・・・・、

 

細かい要素に、

ありのままを表現しつつも、

 

その時の気分によって、

隠し味を足すような感じでしょうか・・・・・・・(笑)。

 

 

 

 

まぁ、

何にせよ、

 

それらは、誰に教わった訳でも無く、

自分自身でカスタマイズしたものとも言えるだろうし、

 

本当の細かい部分ってものは、

 

大抵が、感覚値によって出来るものではありますが・・・・・、

 

基本的枠組みとか、

基本的作業過程においては、

 

誰かに教わる事もあるし、

誰かのノウハウをコピーする事もある・・・・・って事ですね。

 

 

 

ありのままで行ける、

リスク管理の見込みがあれば、

 

ありのままで行くだろうし、

 

それが無い場合においても、

 

ありのままで行く為にこそ、

情報収集を活用する・・・・・・って事です。

 

 

 

 

それでこそ、

 

コーチングマインドを活用する事が出来、

 

セルフコーチング的に、

 

他の物事に、

応用・流用が効くようになるって事ですし、

 

それは結果的に、

 

自分自身にとっての、

 

細かい部分や、微細な部分においての、

師匠とか先生ってものは、

 

自分自身としているからなのでしょうし、

 

そのように、

努力し続けているからなのでしょう・・・・・・・・!!

 

 

 

 

まぁ、

だからとは言っても、

 

普遍性=神とは言いませんし、

 

あくまでも、

 

悪魔性と、天使性とするのが・・・・・・、

 

調子に乗り過ぎない為にも必要となるだろうし、

 

そもそもとして、

 

成長性の可能性を、追求する為にも、

必要なものなのでしょう・・・・・・!!

 

 

 

 

・・・・・・が、

 

成長ってものも、

厄介な代物でもあり、

 

子供であれば、

 

肉体的・精神的・知識的にも成長が見込まれるものではありますが・・・・・・、

 

こと、大人や老人となると、

 

素直にシンプルに、

成長とは中々いかないものとはなる事でしょうが・・・・・・・、

その続きはまたその内・・・・・(笑)。

 

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・・。

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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