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小学校唱歌「春の小川」は明治時代の国文学者、高野辰之が作詞した歌です。 故郷長野から上京した高野辰之は、当時東京の郊外だった代々木に住み、未だ武蔵野の面影が残る住居付近を散策して、故郷長野を思い出して作詞したのでしょう。 春の小川はさらさら流る 岸のすみれやれんげの花に 匂いめでたく、色うつくしく 咲けよ咲けよと、ささやく如く 高野辰之の住居跡の前に標識が立っていて、家の門柱には高野という表札が、今も附いています。 (写真1) 高野住居跡の前の道を少し西へ行くと、嘗て刀剣博物館があった付近に春の小川の水源池がありました。その水源地は地下水がわき出して出来た池で、大きな屋敷の庭の池でもありました。 (写真2) 写真の左手の窪地が池でした。 今はその大きな屋敷は取り壊されて、その跡にマンションが建ち、春の小川の水源池はマンションの下に埋められて姿は見えなくなりました。しかし、そのマンション前の電柱には「春の小川の水源地はここ」との矢印の看板は残っています。 (写真3) 春の小川は、水源池から小田急線に沿って流れる河骨川に注ぎ、その河骨川は更に渋谷繁華街の宇田川町を流れる宇田川に注ぎ、渋谷駅近くで渋谷川に合流します。しかしそれまでの間、春の小川は全て暗渠となって姿を見せません。 (写真4) 代々木小公園に立つ春の小川記念碑に、「春の小川」は高野辰之が河骨川の岸辺を散策して作詞したと書いてありました。 (写真5) 写真1 高野辰之の住居跡 写真2 春の小川の水源池のあった屋敷 写真3 春の小川の水源池を示す電柱の看板 写真4 小田急線沿いの河骨川暗渠を示す電柱標識 写真5 代々木小公園に立つ春の小川記念碑 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.09.07 15:49:44
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