人は始まる時には希望を持って始めることが多い
僕もシドウシャを始めた時は理想や希望を持って始めた。
僕のしたかった事は
【ブラジルの文化を日本に作りたかった】
ワクワク.ドキドキするようなサッカーには言葉にならない魅力があった。
モルンビー[サンパウロのスタジアム]で見た試合もそうだが、日曜のOFFにホームステイ先の息子さんが出てる試合を見に行っても、その辺の空き地でやってるサッカーもなぜかワクワクする。
パン屋に行けばパン屋の親父が電線まで蹴り上げたボールを胸に乗せる…
路上のベンチで日向ぼっこしてるおじさんが超絶テクニシャン…
僕はいつの間にかボールをわざと持って出掛けるようになってた。
これはパン屋と日向ぼっこしてた人がたまたま上手かった話ではない。ブラジルでサッカーをしてた人なら当然のことなんだと住んですぐにわかった。
大人は子供をテクニックでおちょくって上の学年の子達もテクニックでおちょくって年下が育つ。
おちょくられたくないから練習して、身体や速度で勝てないからテクニックで負かす…
そんなことを繰り返してバケモノが育つ国だったと思ってる。
住んだ人なら誰でもわかる。
そんな文化を作ろうと思って始めた。
でも今はどこにでもあるような普通のクラブとスクールになった。
最後にブラジルに行ったのは8年ほど前…
頭の中はもうただの日本人。
勝つために…
そんな感じだったかなぁ?
テクニックを身につけた子達が試合をした結果、勝った。それの方が身につくものが多い。
そんな事は知ってたのに。
シドウの原点は金髪の21歳の兄ちゃんがある小学校に行き、シドウではなく、一緒にサッカーをして一緒に走って、その子供達がテクニックに憧れて朝も夜も練習してその金髪の兄ちゃんは1ヶ月でブラジルに戻ったが、子供達は練習を続け半年で優勝した。
こんな奇跡を見て、子供って凄いなぁ〜
こんな力があるんだなぁ〜
そう思って始めた仕事。
子供達は努力したなんて思ってない。
好きだから楽しいから朝起きて練習してテクニックで僕を負かそうとやっただけだと思う。
今までの人生の中でも衝撃だった瞬間。
それから考えると今は知識も経験もあるはずなのにブラジルの文化は作れてない…
こうやって文章にすると頭の中が整理されてくる。
それと子供達をおちょくるには僕が動かなければならない。今は足が動かないせいにして、ただ喋ってるだけ…
これは自分が1番嫌いだったシドウシャの形。
2月に少し時間をいただき、治る見込みがあるのか?
プロのトレーナーさんに会って治療していただく。
40歳を手前にもう一度やりたいことを形にする挑戦を始める。
もう一度、子供達とボールを蹴りたい。
そしておちょくりたい。
それで子供達がいずれ大人になった時に
『サッカーはテクニックが大事』
と自分達の子供に教え、テクニックでおちょくってその子供達も悔しい思いをしてテクニックを必死になって覚え、サッカーが受け継がれていけばいいなぁ。
それもひとつの魅力的な形なんだと僕は思ってる
スタイル的には
テクニックの上手い子達が試合したら勝った。
これだな