ぼっちのホビーBlog[ボドゲ版]

主にボードゲーム中。ぼっちの時間を豊かにしたいブログ。

【コラム】ボドゲ好きがボドゲがない生活を送っているとどうなるか、赤裸々な告白。2024年5月の寝不足の朝、ブロガー的お気持ち表明。

ども。コモノです。

みなさま、ご無沙汰しております。

 

いやぁ....やばいっすねぇ.....何がやばいかって、ボドゲが全く遊べておりません。

 

ボドゲブロガーの端くれでありますが、先月の記事更新は3件。ブログ始めた頃に逆戻りレベルで更新すらままならず。リアルなお仕事が忙しいという至極まっとうな理由によるものではありますが、ボドゲライフは別腹!くらいに思っていた我が生活においてこれは全くの想定外の状態です。なんとなく消滅してしまいそうな空気感を自ずと感じる今日この頃、本日はただでさえソロ専に近いボドゲブロガーの周辺に起きている心境の変化を追っていくコラムでございます。なお、新作情報とかはございませんので興味のない方は読まないでOKですよん。

 

序章:だって忙しいんだもん

そう、一昨年あたりから少し仕事が忙しくなっているのです。コロナ以前、仕事が終わって自宅にもどってから仕事の超ストレスをぶっ飛ばすべく疲れを癒すべくダイニングテーブルで深夜にボドゲを広げたあの夜が懐かしい。

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冒険行ってたよ!そう、あの頃はまだ冒険に出かけられたんだよ。

しかし最近といえば仕事が終わった後にめっちゃ疲れてしまってルルブを手に取る気力なし。仕事でもテキストを膨大に読み、意味を考え、あーだこーだやる時間が増えると、気持ちを切り替えるためどうしても動画に目が行ってしまうんですよね。

そうするとボドゲのルルブを手に取らない→ボドゲを触れない→ぼーっとアマプラとかながめて深夜になる。

の繰り返しなのです。

そして眠る直前、テーブルに置かれたままになってる遊び掛けのボドゲルルブを眺めて「今日も遊べなかったなぁ...」と嘆息しては毎日眠りにつきます。

誠に遺憾です。

 

第1章:ブロガーとは?ボドゲブロガーとは?

ボドゲが遊べなくなるにつれ、ボドゲブログの記事が書けなくなってきます。元ネタ量が減れば書けなくなるのはこれ当然のこと。自然と記事更新が遅れ気味になり、自分に課していた更新目標がおろそかになっていきます。「今日は仕事で疲れている、忙しいから」という自分への言い訳を胸に。

気がつけば読むのが好きだった自分の趣味すらお忘れ気味になり、Youtubeのなんだか賑やかな動画をつらつら眺めていて何ら感想も心に残らない時間を過ごし、ただただ余暇の時間を消費してしまいます。まだボドゲYoutuberのチャンネルとか見れているうちは良いのです。

 

気がつくとビジネス系のチャンネルとか見てるんです。仕事上がった後に。(偉い)

 

これは真面目に働いているというよりはビジネスの新しい情報を吸収しないと仕事が止まるという恐怖感に近い感覚で見てたりします。そうです、いつのまにかプライベートも仕事に捧げる生真面目なビジネスパッスンに成り果てている証拠かもしれません。偉いじゃん、アタシ。偉いな?しかしボドゲブロガーとして、これではいけません。

基本ボドゲを1人で遊んで、キャーキャー言いつつ批評的なことを極力してこなかったぼっちのホビーBlogはボドゲが好きだという情熱、パッションだけで記事を書いてきたという自負もありビジネスパッスンマインドで書けるものではありません。

仕事に邁進するグッドマインドでボドゲを遊んでも以下のような事が起こります。

ボドゲ遊ぶ

⬇︎

キャーキャー騒げない(面白くないわけではない)

何やら分析めいた思考でボドゲを遊んでしまう(面白くないわけではない)

⬇︎

ボドゲ記事書けない(または批評よりになっちゃう)

特に「キャーキャー騒げない」くだりは楽しくないわけではなく気がついたら批評的なことを頭で考えてるんです。「ここがこうなってるともうちょっと面白いんでは?では??」とか。

いやまてまてまて、アタシはそんな気分になりたくてボドゲやってんじゃないわい!と。いわゆるレビュー的な、いわゆる批評的なものに価値があるのは理解していますが「自分で書きたいことなのか?」というとそうではないのです。

楽しかった!スッキリした!いやぁ、、普段使わない脳使っちゃってめっちゃ頭良くなったわ!(自己観測)的な気分になりたいですし、それが楽しくてボドゲを遊んでいて、それを記事にしたいからぼっちのホビーBlogを始めたのです。

 

だってねぇ、そういうほうが読んでて楽しくないですか?特にボドゲは個人の趣味・主観や一緒に遊ぶ人、環境によって印象が変わる遊びです。機能や性能という数値化しやすいプロダクトを批評するようにはなかなか書けません。

また、自分にとってのブログというのはそういう楽しかったよ!という感想を読んでくださるみなさまに伝える手段であり、自分が発信する場としてはYoutubeのような伝え手(キャラクター)が具象化される動画メディアよりも、読み手が伝え手のことを勝手に想像してもらう余地があるテキストメディアが好きだからです。なんなら読んだ文章が肌に合うか合わないか、くらいの気持ちで選んでもらいたいと思ってるからってのもあります。

自分にとってのブログとは至極感覚的なことを表現する手段なので、同じボドゲのことを伝えていてもレビューとしての正当性を求める方には不向きなブログという自覚もあり、この文章のように時には(他の人にとって)同意を得られない感想も吐き出す場であったりします。なんとなくブログ黎明期に流行った個人日記に近いかもしれません。

 

そう、今回の記事のようにブログが書けなくなった理由、それについてつらつらテキストに書き起こすこと、思考の整理やその過程をただただ垂れ流すような、そういう整理されていない事に自分自身が魅力を感じているからに他ならないかもしれません。

 

理知的に何かを理解し、整理し、批評し、改善するというビジネスプロセスが自分の仕事時間に詰まっているがゆえ、そこから気分が切り替えられない。それゆれに「キャーキャー」いうボドゲ記事が書けないのかもしれません。ってことはボドゲに飽きちゃったとかじゃないじゃん?

おぉ、計らずともブロガーとしてのスタンスが明快になった気がする。そしてなんでボドゲなのか?が整理されればあるいは。

 

第2章:ボードゲーム(医薬部外品)の効能。

医薬品についての効能は主観であっても記事にしちゃいけないって誰か言ってました。ボドゲなら大丈夫よね?っていうことでボードゲームの効果効能とそれを、記事にすることの有用性についてです。(誰得?)

ボドゲってそもそもなんなの?何が面白いの?なんで1人なの?(←うるさい)といろいろ問いかけはあるわけですが、自分なりにトピックへのアンサーはあったりします。

ボドゲって面白いの?

面白いと感じることがとても多いホビーです、主に面白さを感じるのはルールがもたらす思考のギミック。

「Aを成すためにはBを捨てなければならない。あなたはどうする?」

たとえば良くあるこういうメカニクス的な問いがゲームの中で発生したとしましょう。この時にゲームのフレーバーが仮に「宝箱を前にした冒険者」だったとします。

宝箱を開ける▶︎爆発するかもしれない

という危険があることがわかっているシチュエーション&メンバーは瀕死の状態。

で、「僕はどうするのか?!」という問いかけに悶える楽しさって伝われ。

とか。

「Aを持ってる。あとBをとればCができて売れば10ゴールドになる」

たとえばよくあるリソース管理。少し仕事チックではありますが、10ゴールド得るのにあと3ターンかかる。でも今の手持ちをすぐ売り払えば6ゴールドになる。どうする?売っちゃう?みたいなやりくりがずっとゲーム中続く幸せ。

とか。

どっちも上手くいけば爽快。失敗すればぐぬぬ....となる。どのような結果であってもでもそれが自らの思考の結果であるという事を受け入れ「次はどうしようかな?」と考える楽しみがボドゲには溢れています。デジタルだと勝手に処理されて結果だけをなんか受け取って流されてる感があるんですが、ボドゲにはそれがありません。ソロなら思考パズル、マルチプレイならインタラクションがさらに味わいを深めてくれる。そういう刺激が自分には必要で、点と点をつながった感覚が味わえるツールとしてボドゲはとても良き友なのです。

 

第3章:ボドゲが遊べない生活ってどうなの?

一度楽しみを知ってしまった我が身、ボドゲに触れることができない時間はじゃあどうなの?って話ですが、ぶっちゃけ禁断症状的なものはありません。ただなんと言いましょうか、予定調和と言いますか目標通りと言いますか、立てた予定通りに進んでいく毎日が味気ないような錯覚に陥ってしまいます。そう、味気ない感じ。

もちろん私生活でもハプニングもありますしイレギュラーも起きるのですが、概ね予想の中で済んでいる感覚と言いましょうか。ボドゲを遊んでいる時の「え?!そんなこと起きちゃいます?」みたいな感じがあまり感じられません。これが寂しいんだよなぁ...なくても困らないし、デジタルゲームで「うっひゃー!」となれない訳ではないんですが、なんかこう寂しい。

楽しかったボドゲ体験という強烈な刷り込みは、そこそこ生きた人生で「あれ美味かったけどメニューの名前、どうしても思い出せない」みたいな、いつか食べた「美味かった」印象だけを覚えている食事の記憶というか、無くても困らないけどでもいつか絶対もう一度食べたい、みたいな記憶に近いのです。しかもそのゲームは振り返ると棚に鎮座しているのです。それなのに心の余裕がないと手にしない矛盾。

遊べば楽しいはずなのに、もし余裕がない状態で遊んでしまって「楽しくないじゃん?」と絶対思いたくないという想い出症候群的な感覚に苛まれる生活。ボドゲを楽しいと思ってしまったが故に起きているダウンムーブがボドゲと遊べない時間そのものを加速させていく感覚です。このまま忘れていく訳ではないのに、なにか心が蝕まれるような感じあるんですよねぇ・・・ソロプレイ中心がゆえに「友人と遊べない、遊ぶ人がいない」など環境的な理由ではないので、もやもやしてる感じは余計にあるような気がしています。良くも悪くも他者や環境に責任転嫁できない。

結局のところ、いつボドゲを手に取るのか?取らないのか?の選択を常に毎日迫られてるかもしれません。いやん。

 

最終章:明日、僕は再びボドゲを手にとる(願望)

昨年、遊ぶ時間は少なかったですがテラミスティカを初めて遊ぶことが出来ました。さらにテラミスティカ:革新の時代を手にしてよりボドゲが好きになった気がします。もちろん上手くプレイできた訳ではないですが、本当に楽しかった。

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海外のボドゲが思いのほか気に入ってしまって「ボドゲの海は広大だ...」とか感じたあのころのことも忘れてません。もちろんその後にKickでポチった新拡張、届いてるのにずっと積んでる事も忘れていません。

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やっぱボドゲ、遊びてぇす!

結局のとこ、好きなのよ。そうなの、遊びたいの。でも気持ちの余裕も必要なの。

 

まだ手に取ったことがないボドゲの情報に触れるたび、好奇心がもぞもぞ刺激される事実。「面白そう!」と思ってしまうのは前述の通り、これまでのポジティブな経験があり、その感覚に飢えているからに他なりません。つまり全く飽きている訳ではなく、楽しかった記憶は鮮明になるばかり。また遊びたいな!と常に思うのです。

きっとボドゲが好きなままなのです。そして好きなものに思うように触れられない毎日がちょっとした後悔で積み上がっているのです。しかし大人の責任として家族との生活や仕事をほったらかすのは流石にできないお年頃。そんな大人の事情との板挟みがこのモヤモヤ感の正体でした。

もちろんボドゲの業界で生業を成す方はまた違ったお悩みもあるでしょう。好きなことを仕事にするというのはまた異なるお悩みもあると思いますが、これには当てはまりません。幸いブログを書くことも嫌ではなく、ただちょっと文章が思いつかなくなることがちょっと増えたかなぁ....というくらいです。たぶんまだ老化ではありません。いや断じてありません。

 

ボドゲもブログも好きなこと、そして好きなままなのです。そして明日は少し余裕ができて、ボドゲを手に取れるかな!と毎日のように期待しちゃいます。

 

そんなわけでぼっちのホビーBlogはもったり低浮上中です。更新間隔は気まぐれですがブログも続けていこうと考えております。止めるという選択肢は今のところモチベーション的にもありません。なんとなく見かける回数が減った、と思われるかもしれませんけど生きてるよ!

新作の話題を追っかけるのがギリギリかもしれませんけど、気になったものをご紹介しつつ、タイトルのご紹介回数はちょっと減っちゃうかもしれませんが、短文の記事になっちゃうかもしれませんが(言い訳)、続きます。

 

そんな時期もあるよね。ぼちぼちやってこう。

 

 

2024年ボドゲ買い逃しリスト

欲しいものはとめどめなく増えるばかり。絶賛増加中。円安よ、収まれ。