自分をダメ出しして責めてしまう時

 

先日も書いたのですが、

 

自分はダメだなって 落ち込んでしまうこと

ありますよね

 

で、その落ち込んでる時って

どう言う状態なんだろうなって

考えていたんです。

 

自分がダメだって

自分を責める

 

その「ダメ」っていうのって

どこから来ているの?と

考えていくと

 

あの人はできているのに自分はできていない

 

あの人と比べて自分は力不足だ

 

と感じる時が多いなと気づきます。

 

 

そう、

人と「比較して」しまうことによって

自分のダメさを思い知るっていうこと

やってる気がします。

 

写真でもアートでも

SNSの投稿の記事や

日常生活など

 

あらゆることを比較しては

 

自分が負けているような気になってしまうことないですか?

 

 

比較してしまう時

 

でも、

その「比較」って本当?

 

そもそも 同じ土俵に上がって

優劣をつけようとしてるけど

 

同じ土俵?

 

って考えた時

 

 

あれ、違うよね。って 気づくんです。

 

そもそも

全く同じものと言うこともないし

それをやっている経験値も違う

 

 

才能の差はどうやって比較する?

センスの差は比較して 優劣って つけられる?

 

 

って考えていくと

 

あれ?

なんだか よくわからなくなってくるんです。

 

 

「比較」するって

優劣をつけることじゃない。

 

ただ、違うんだなって

違いを認めるだけのことなんじゃないかなって。

 

 

ジャッジしてしまう時

 

ただ、違うんだなって

違いを認めて

あの人のあの才能は素晴らしいなって

ただそれを認める

 

だからと言って自分が劣っていると思わなくていい

 

そう、優劣をつけてジャッジしているのは

自分だけなんだなと気付かされて

愕然としてしまったんです。

 

 

「比べる」=優劣をつけてジャッジすることじゃない。

 

優劣をつけてジャッジするから

苦しくなってたんだな〜。

 

ジャッジせず、

ただ事実を知るだけ

 

あの人のあれは素晴らしい

 

私も頑張ってるけど

あの人はもっと努力していたのかもしれないし

これまでの人生で 経験してきたことを活かして

今があるんだなって

その部分にフォーカスしてみる

 

そうやっていけば

比較して苦しむこともないし

自分を責めて落ち込むことも

なくなっていくんじゃないかな。

 

と、

今朝の気づきです😅

 

 

 

ついつい、ジャッジしてしまいがちですが、

相手と同じ土俵ではないと知ることで

優劣をつけず その事実だけを認める

 

相手と自分の違い

経験してきた時間や内容など

背景を見る

 

 

学生時代に 点数というもので評価され続けてきた私たちは

ついつい 比較してジャッジする癖がついているけれど

 

比べるのは そこじゃないんだなって

思います。

 

 

ジャッジして優劣をつけて

自分を責めるより

 

相手の背景を知ると、

相手を羨ましく思うより相手への敬意が生まれるのでは?

 

 

 

ま、そうはいっても

人間だもの

 

ついつい・・・

やってしまうことあると思うけれど

 

ジャッジしない世界って心地よいです。

 

 

その心地良さを知ってるだけでも

救われることあるかも知れない。

 

ジャッジしない心地よいアート

一緒に描いてみませんか?