昨日の続きです。
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お線香をあげる時にお骨がまだあったので「納骨はまだなのね」というと、ご主人の希望で彼女の故郷の下関の海に散骨するそうです。そういえば、お位牌もありません。私は散骨は簡単にできるものではないと思っていたのですが、彼女は既に経験済みでした。

 

彼女は三姉妹の末っ子なのですが、全員結婚して家を出ているので、数年前に墓じまいをすることになり、ご両親の遺骨は海に散骨し、その前から入っていたお骨はほかのお寺で樹木葬をしたそうです。役所で許可をもらえば、東京でも散骨できるとか。

 

我家も三姉妹。いずれは墓じまいをすることになるんだろうと思っていますが、参考になりました。ご主人は彼女の故郷の海が好きで、そこでの散骨を願っていたそうです。

 

明るく振る舞う彼女でしたが、やはり、ご主人の話になると、涙が浮かんできます。

 

お茶を頂きながら、ご主人の話を伺いました。実は彼女は事情があって、再婚なんです。離婚して就職した会社で知り合った人が今のご主人ですが、本当に楽しくて幸せだったということです。

 

ご主人は「一家に1人は欲しい人」と言いたくなるほど、器用で何でも直してくれるし、お茶碗も洗えば、お風呂掃除もしてくれるような人で、しかも機械にはつよく、絵も描けば小説にも挑戦するという、多彩な方だったそうです。

 

彼女の話では、ご主人には今年の春ごろから食べにくいなどの兆候があったのですが、義歯の具合がおかしいのかと歯科医院に行ったりして、まさかガンだとは夫婦ともに想像すらしていなかったそうです。

 

ご主人は7月の下旬まで会社で働いていて、どうしても体が辛くなったので、イヤイヤ近くにある大学病院で診てもらったところ、末期の大腸ガンで、転移もしていると分かったそうです。毎年、会社の健診を受けていたというのに・・・。

 

私が昨日下車した最寄りのバス停は「大学病院前」という名称で、こんな近くに大学病院があるのに、何という皮肉か、ご主人は大の病院嫌いだったそうです。

 

治療はしない、退院して家で過ごす、というご主人の強い意志で8月10日過ぎには退院、それからは亡くなる10月2日まで、50日間の自宅介護が始まったそうです。

 

介護生活と言っても、始めはご主人自身で何でもできるし、最後に痛み止めで朦朧とするまでは頭もはっきりしていたので、2人でたくさん、心ゆくまで話しあったそう。私のように心の準備も無いままに一夜にして主人に旅立たれた人と比べると有難かった、と私の気持ちを思い遣ってくれました。

 

ご主人は自分の人生は充分だった、治療はしないと宣言し、点滴をぶら下げる装置も退院した日からレンタルしたのに、一度も使わなかったそうです。

 

患部が大腸の太い部分で、腫瘍があっても液体が通る隙間が残っていたそうで、ミキサーで砕いたものを摂取し、体を切開して栄養を取るようなこともなさらなかったそうです。そういう強い意志には驚きました。

 

過ぎてみれば、7月下旬にガンだとわかり、亡くなったのが10月2日。ご主人は驚くほどの速さで73年の人生の幕を閉じられたのです。

 

最期はまだ、胸は暖かいのに手足が冷たくなってきて、人の死に立ち合うことなく生きてきた彼女は本当に驚いたと言って、また目に涙が浮かび、私ももらい泣きしました。

 

その後、お茶やお菓子を頂きながら、今後の話になりました。

 

彼女の一人息子さんは小学校の教師で、すでに結婚しています。彼女は息子夫婦との同居は考えられないとか。


私には息子がいませんが、彼女の気持ちもわかる気がします。私の親の時代はいざこざがありながらも同居は普通でしたが、今の世の中は本当に変わったのだなと思います。

 

そして今、彼女が考えていることは、故郷へのUターンです!

 

彼女は下関生まれの下関育ち。小さい頃から私立の女子校に入り、同じお友達と一緒に育っています。お友達はたくさんいるし、2人のお姉様のうちの1人が下関にいます。

 

そのお姉さまのご主人(彼女には義兄)が85歳というのにコロナの前までは年に2回は海外旅行にも行っていたという、とってもお元気で明るい方なんだそうです。彼女のご主人の病床にもわざわざ見舞ってくれたといいます。そんな人たちが、彼女の帰りを歓迎してくれています。

 

彼女は東京でも行動範囲が広く、東京を去るのは未練がないわけではないのですが、とにかく決断が早いのが自慢の彼女。実は「この部屋、ガランとしているでしょう?もう本当にどんどん処分しちゃって、皆が驚いているの。私やることが早いから」と笑って言うように、本当に少ない家具で、ゴチャゴチャしたものは一切ありません。

 

下関に帰ることを、内心決断しているのでしょうね。

 

同じ下関の出身の人と話すと、やはり最後は海の見えるところに住みたいというそうです。東京のマンションの8階の窓から見える夜景もきれいですが、彼女もやはり海が見たいそうです。

 

家具が少なくなっているせいもあり、たしかにこのお部屋で一人で住むのは淋しい気がします。下関は物価も安いし、東京のマンションを売って下関で買い直すのは賢い気がします。

 

私は、家で最期を迎えられたらいいな、と思いましたが、それも介護してくれる連れ合いがいる場合で、先に逝く方はそれが可能でも、残された方は看取ってくれる人がいません。そうなると、下関は介護施設も豊富で、しかも安価だそうで、自分で限界を感じたら、、そういう施設に入れるというのも安心です。

 

私はUターンできる彼女が羨ましくなりました。私は両親が台湾からの引き上げで、その後は父の転勤が多く、故郷と呼べるところがありません。故郷があるっていいなあと初めて思いました。そして思い出が詰まりすぎたこの家に住むのも辛い、という彼女のUターン計画に私は賛成しました。

 

下関のマンション情報を検索すると、殆どが3LDKだそうです。「一人では広すぎるのよね」という彼女に、「じゃあ、私が行った時に泊めてね」「ええ、ご家族でいらしてよ」と明るい話で盛り上がったところで帰途につきました。

 

私の両親たちが常識と思っていた老後の考え方と、今の私たちの老後の考え方は大きく異なってきています。これからはいろいろな老後の選択肢がでてくるのでしょうね。自分に合った老後の設計をして、最後まで不安のない暮らしをしたいものだと思いました。

 

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