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大河ドラマ「独眼竜政宗」

初回放送 1987年1月4日〜12月13日[NHK総合]
アンコール放送[BSP4K] ※各話2回ずつ放送
2024年4月7日より毎週日曜日 午前11時30分〜
2024年4月11日より毎週木曜日 午後6時15分〜※初回のみ5時50分〜

秀吉も家康も一目置いた豪気の男、“独眼竜”とおそれられ、知恵と才覚で仙台62万石を一代でつくりあげた伊達政宗の生涯を、現代的なタッチでロマン豊かに描いた。大河ドラマ歴代最高の平均視聴率39.8%を記録。

幼名を梵天丸(ぼんてんまる)と名付けられた政宗は、5歳のときに疱瘡(ほうそう)のため右目を失明するが、その資質に期待をかけていた父・輝宗は幼い息子に王者の教育を施す。奇抜な発想と知力、勇猛果敢な行動力、支倉常長をヨーロッパに派遣するなどの国際的な視野を併せ持つ政宗は、一代で仙台62万石の礎を築きあげ、奥羽の暴れん坊として恐れられるようになる。

 だがその道のりの中では、父は眼前で非業の死を遂げ、自分を毒殺しようとした母を追放し、実の弟をみずからの手に掛けねばらなかった。血縁の宿命を乗り越え、中央の秀吉・家康に対抗していくために、優秀な家臣団との絆を築き上げ、己の道を突き進んだ。

群雄割拠の戦国期から、安定した基盤の確立する徳川家光の時代までをみごとに生き抜いた伊達政宗。その波乱に満ちた69年の生涯を描く。

  • 原作 山岡荘八 「伊達政宗」
  • 脚本 ジェームス三木
  • 音楽 池辺晋一郎
  • 語り 葛西聖司
  • 出演 渡辺謙、北大路欣也、岩下志麻、勝新太郎、桜田淳子、秋吉久美子、津川雅彦、三浦友和、竹下景子、大滝秀治ほか

大河ドラマ「独眼竜政宗」の公式サイト

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大河ドラマ「独眼竜政宗」の魅力

4年ぶりの戦国時代劇で視聴率アップ

第21作の『徳川家康』の後、大河ドラマはマンネリを打破し新たな時代を開拓するため、“近代路線シリーズ”に挑戦した。太平洋戦争期を描いた『山河燃ゆ』、明治の群像『春の波濤』、戦後を舞台に女医の一生を描いた『いのち』。意欲的な作品が並んだが、従来の大河を望む声も強く、4年ぶりの戦国時代劇として登場したのが『独眼竜政宗』だった。

制作統括の中村克史チーフ・プロデューサーは当時「あらゆる人が見てくれるドラマを目指す、戦国時代のホームドラマ路線」と語っている。結果、年間平均視聴率で大河ドラマ歴代最高の39.7%を記録。1回だけの最高視聴率でも、第2作『赤穂浪士』(53.0%)、第26作『武田信玄』(49.2%)に次ぐ第3位(47.8%)に入っている。

タイトル前の解説コーナーを初めて採用

今では大河ドラマ恒例となった「アバンタイトル(オープニングタイトルの前)の解説コーナー」。ドラマの時代背景、史実をコンパクトにまとめて好評だが、これを初めて採り入れたのが、『独眼竜政宗』だった。

例えば、第4回のアバンタイトルで取り上げた「政宗と、秀吉、家康の年齢差があったのか?」というテーマ。政宗が生まれた時、すでに秀吉は31歳で前年に墨俣の一夜城を築き信長に認められ、家康は25歳で信長との同盟を強化していた。政宗が中央政界に乗り出そうとした時、すでに天下の趨勢は決しており、“20年遅れてきた男”と言われる。この年齢差を、放送の前年にプロデビューした清原和博と、長嶋(31歳上)、王(27歳上)に置き換えて、わかりやすく説明した。

「梵天丸もかくありたい」

ドラマは政宗の母親、義姫(岩下志麻)が父輝宗(北大路欣也)に嫁ぐシーンから始まる。長男として生まれた後の政宗、幼名・梵天丸(藤間遼太=現・藤間勘十郎)は、5歳の時に疱瘡(天然痘)にかかり、右目を失明。沈みがちな性格になるが、虎哉和尚(大滝秀治)の教育でたくましく育っていく。

不動明王が恐ろしい形相とは反対に、慈悲深い仏であると知って衝撃を受けたシーンで「梵天丸もかくありたい」と言ったセリフは大ブームとなった。また、政宗が13歳の時に輿入れした愛姫(めごひめ)の少女期を美少女タレントの後藤久美子が演じて大人気となった。

悲劇、骨肉の争いの連続

政宗の半生は、シェークスピア張りの悲劇、骨肉の争いの連続だった。18歳で父から家督を継いだ政宗は、知将・片倉小十郎(西郷輝彦)、勇将・伊達成実(三浦友和)とともに、奥州の覇者をめざす。そして、父・輝宗を自分の鉄砲隊で敵将もろとも撃つ惨劇や、重臣・鬼庭左月(いかりや長介)を失った人取橋の合戦を経て、次々と領土を広げていった。

しかし、天下は豊臣秀吉(勝新太郎)の統一目前。政宗は、秀吉の小田原征伐に参陣して恭順の意を示すか、一戦交えて有終の美を飾るか去就を決めかねていた。その際、母親(岩下志麻)が弟の小次郎(岡本健一)に家督を譲らせようともくろんで、政宗の毒殺を仕掛け、政宗はやむなく実の弟を惨殺する。その後も、天下への野望を打ち消しがたく、百姓一揆を煽動した“鶺鴒の花押”事件や、関ヶ原の合戦の混乱に乗じて勢力拡大を図った。

しかし、天下は徳川家康(津川雅彦)のもととなり、大坂夏の陣が終わると、政宗はようやく天下への野望を捨てることになる。そして、ドラマのラスト、長年連れ添った愛姫(桜田淳子)をねぎらい、大往生を遂げる。

主な登場人物・キャスト

伊達政宗:渡辺謙藤間遼太(幼年期の梵天丸)、嶋英二(少年期の藤次郎)
父・伊達輝宗:北大路欣也
母・義姫(お東の方、保春院):岩下志麻
弟・伊達小次郎政道:岡本健一
正室・愛姫:桜田淳子
正室・愛姫:後藤久美子(少女期)
側室・猫御前:秋吉久美子
政宗の長女・五郎八姫(いろはひめ):沢口靖子
政宗の従兄弟・伊達成実(しげざね):三浦友和
傅役、のちの参謀・片倉小十郎:西郷輝彦
重臣・鬼庭左月:いかりや長介
乳母・片倉喜多(鬼庭左月の娘):竹下景子
義姫の兄・最上義光:原田芳雄
輝宗の叔父、成実の父・伊達実元:竜雷太
政宗の師・虎哉宗乙(こさいそういつ):大滝秀治
豊臣秀吉:勝新太郎
北政所:八千草薫
淀君:樋口可南子
豊臣秀次:陣内孝則
石田三成:奥田瑛二
浅野長政:林与一
蒲生氏郷:寺泉憲
徳川家康:津川雅彦
家康の六男、五郎八姫の夫・松平忠輝:真田広之

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大河ドラマ「独眼竜政宗」各話のあらすじ

第1回 誕生

永禄8年(1565)初夏、米沢城主・伊達輝宗のもとへ山形城主・最上義守の娘で、19歳になる義姫が嫁いできます。政略結婚でしたが、義姫は伊達の嫁として新しく建てられた東館に迎えられて、お東の方と呼ばれます。永禄10年(1567)8月3日、嫡男が誕生し、梵天丸(ぼんてんまる)と名づけられます。梵天丸は5歳の時に疱瘡(ほうそう)にかかると、命を取り留めますが右目の視力を失ってしまいます。

第2回 不動明王

右目の視力を失った梵天丸(ぼんてんまる)は万海上人の生まれ変わりと言われ、領民に畏敬の念を抱かれます。輝宗は、重臣・鬼庭左月の娘で、文武両道に秀でた喜多を梵天丸の養育係とし、学問の師に名僧・虎哉宗乙(こさいそういつ)を招こうとします。ある日、梵天丸は不動明王の顔がなぜ恐ろしいのかを喜多に尋ねます。すると、虎哉和尚から、不動明王は外見と異なり慈悲深い仏であると聞き「梵天丸もかくありたい」と言います。

第3回 親ごころ

梵天丸(ぼんてんまる)は小姓の小十郎や時宗丸らと共に虎哉(こさい)和尚の厳しい教育を受けて、たくましく育ちます。輝宗は嫡男の成長を見守りながら、織田信長と親交を深め、鉄砲を購入するなど時流を見つめた外交手腕を発揮します。一方、山形の最上家では、義光(よしあき)が頭領になることで一族の内乱が終わろうとしていました。しかし、お東は実の兄弟の争いに心を痛めます。さらに、輝宗に側室の話が持ち上がります。

第4回 元服

天正4年(1576)、梵天丸(ぼんてんまる)の弟・竺丸(じくまる)が誕生します。お東は竺丸を自分の乳で育てると輝宗に言い、ことのほか愛情を注ぎます。天正5年(1577)11月、相馬との戦に決着がつかない中、梵天丸は11歳で元服し、藤次郎政宗と名を改めます。お東は「辛い時はこれを母と思え」と水晶の数珠を贈ります。それから2年、隣国、三春城主・田村清顕の使者が米沢城を訪れ、政宗に縁談を持ちかけます。

第5回 愛姫

天正7年(1579)、三春城主・田村清顕の娘・愛姫(めごひめ)が藤次郎のもとへ嫁ぎます。藤次郎は13歳、愛姫は11歳です。幼い2人は無邪気に毎日を過ごしますが、周りでは思わぬ確執が生まれます。愛姫の世話係を命じられた喜多は、田村家から同行した侍女の村岡たちと対立します。喜多は村岡に三春へ帰るよう命じると、村岡は愛姫も連れ帰ると言い出したため、藤次郎が逆上し、村岡を切り捨てようとします。

第6回 侍女成敗

愛姫(めごひめ)の養育を巡り、喜多と村岡が激しく対立すると、お東は愛姫を村岡たちから引き離して自分の側に置きます。納得しない村岡が愛姫と藤次郎を引き離そうとする密書を田村に向けて放ったため、喜多は弟の片倉小十郎に密書を奪還させ、村岡を問い詰めます。すると、侍女たちは短刀で向かって来たため喜多は斬り捨てますが、一切の申し開きをしません。数日後、田村家の重臣が真相を調べに乗り込んできました。

第7回 初陣

相馬が伊達に攻め込み、15歳の藤次郎に初陣の時が来ます。出陣前、藤次郎は愛姫(めごひめ)と契りを結ぼうとしますが、戦いの相手となる相馬は愛姫の母親の里であり、2人の心はすれ違います。藤次郎は異常なまでに闘志を燃やし、がむしゃらに戦います。輝宗から大将とは最後まで生きのびることが務めであり、時には臆病さが必要と諭され、お東にも叱責されて自信を失います。意外にも、藤次郎を優しく慰めたのは愛姫でした。

第8回 若武者

信長の死は東北にも衝撃を与えます。虎哉(こさい)和尚は天罰と吐き捨てますが、藤次郎は信長のように生きたいと、天下取りへの夢を膨らませます。相馬と戦う輝宗は、田村清顕の仲介で和睦を受け入れます。論功行賞で輝宗が能力優先の登用を行なうと、譜代の家臣たちは不満を口にして、竺丸(じくまる)を後継者に推すお東と結びついて不穏な動きを見せます。輝宗は家中を一つに束ねるために隠居を決め、藤次郎に家督を譲ります。

第9回 野望

天正12年(1584)、政宗は伊達家17代当主になります。側近には片倉小十郎、幼名・時宗丸の伊達成実(しげざね)、鬼庭左月の嫡男・綱元らが選ばれ、家中の若返りが図られます。近隣諸国の使者が祝儀に訪れ、政宗の力量を探ります。家督を相続して半年、政宗は小浜城の大内定綱に腰抜けと見下されて、出陣を決めます。しかし、その相手は、定綱が頼りとする東北で最大最強の会津・芦名です。

第10回 男の器量

天正13年(1585)5月、伊達軍は会津国境の檜原峠から芦名に攻め入りますが、城の守備は堅く、苦戦します。政宗は冷静さを欠いて、さらに攻撃しようとしますが、小十郎にたしなめられて、一旦米沢に退却します。政宗は初戦での敗退を輝宗にわびると、お東からは厳しい言葉を浴びせられます。同年8月、政宗は大内家の内応工作に成功し、愛姫(めごひめ)の里・田村家の協力も得て、小浜城の大内討伐に出陣します。

第11回 八百人斬り

大内討伐は大内の出城・小手森城から始まります。大内定綱は会津・芦名と二本松・畠山に援軍を求め、持久戦の構えです。数日が過ぎ、伊達成実の働きで戦局は一転し、小手森城は陥落します。しかし、定綱の姿はなく、すでに小浜城へ逃げ戻った後でした。政宗は激怒して、籠城していた大内勢8百人の皆殺しを命じます。政宗は罪の意識から倒れて悪夢にうなされますが、回復すると小浜城を占領し、大内氏を滅亡させます。

第12回 輝宗無残

父・輝宗は政宗に二本松の畠山義継との和睦を勧め、畠山も所領の半分を差し出すと詫びてきます。しかし、政宗は和睦をはねつけ、領地の大半と一子を人質として要求します。畠山は条件を受け入れるふりをして輝宗に面会を求め、油断した輝宗を人質にして二本松へ連れ去ろうとします。政宗はそこへ駆けつけますが、父を人質に取られて手を出せません。その時、輝宗は政宗に対して、自分の命など気にせずに義継を撃つように叫びます。

第13回 人取橋

義継に捕らえられて命を落とした輝宗の遺骨が運ばれてお東は悲しみに暮れ、政宗を一方的に責めます。そんな時、佐竹ら南奥州の大名が二本松の畠山を救援するために3万の軍勢を結集して、攻撃します。政宗は観音堂山に本陣を敷きますが、次々と繰り出す敵に押されて総崩れになります。ところが、人取(ひととり)橋の合戦では伊達勢の闘志が勝ち、兵力に勝る連合軍は退却し、政宗は二本松城へ兵を進めます。

第14回 勝ち名乗り

政宗は老将・鬼庭左月を失ったものの、7千3百の軍勢で3万の連合軍を退却させます。しかし、意気揚々の伊達軍も、冬の厳しい寒さに阻まれて、二本松城には手も足も出ません。夏になると、政宗は二本松城の物資の補給路を断ち、二本松城を無血開城させます。政宗は塩松郡と二本松領を掌中にし、仙道筋のすべてを支配することになりました。さらに領土仕置きを行い、伊達成実に二本松城を、片倉小十郎に大森城を与えます。

第15回 めごとねこ

天正14年(1586)10月、愛姫(めごひめ)の父・田村清顕が愛姫の懐妊を望みながら病没します。跡継ぎがいない清顕に政宗の次男を養子にする約束を果たせず、夫人が田村家の実権を握り、夫人の出身である相馬に接近します。愛姫は懐妊しないことに悩み、夫婦仲は疎遠になります。そんな時、家臣・飯坂宗康の娘が政宗の側室になります。政宗は物おじしないこの娘を「ねこ」と呼び、周囲は「猫御前」と名づけます。

第16回 南北の敵

天正15年(1587)春、米沢の北、長井ノ庄で内乱が起きます。背後に伯父・最上義光(よしあき)の影が見え隠れします。政宗は直ちに出兵して内乱を封じると、最上対策として、最上の本家筋である大崎で起きた内紛を利用して、成実と小十郎を南の芦名に備えさせ、留守政景と泉田重光に北の大崎攻めを命じます。しかし、黒川月舟斎の裏切りで、大内定綱が率いる芦名勢が挙兵。伊達は南北両面の脅威を迎えます。

第17回 宮仕え

米沢の北では老臣・泉田重光が人質になり、そこに現れた最上義光(よしあき)に裏切りを迫られます。重光が断ると、義光は重光を山形城に連れて行きます。南では伊達成実が大内定綱の軍勢を打ち破ります。すると、定綱は伊達に奉公したいと願い出ます。政宗にとって殺しても余りある定綱は今の伊達には大いに利用価値があるため、家臣に加えられます。さらに、政宗は田村の家臣・石川弾正の反逆を打ち破って田村領へ進軍します。

第18回 お東・居座る

政宗は最上義光(よしあき)との仲介をお東に求めます。お東は喜んで山形へ向かいますが、和睦交渉はこじれて、両軍は国境の中山峠を挟んでにらみ合います。すると、峠の頂上にお東が甲冑(かっちゅう)に身を固め、双方が和睦するまで一歩も引かない覚悟で居座ります。政宗は人質の重光を救うため、さらに、お東に頭を下げられて和睦の証文を書きます。義光は内容に納得しませんが、庄内占領に上杉が動いたため和睦に応じます。

第19回 大移動

政宗が家督を継いで4年、平穏な日々が訪れます。弟・竺丸(じくまる)は元服して、小次郎政道と名を改めます。天正17年(1589)、関白秀吉が天下をほぼ手中にすると、小田原の北条や奥州に目を向けます。天下が大きく動く中、政宗は奥州平定を急ぎます。成実と小十郎を北の猪苗代へ進軍させ、政宗は南の芦名へ進撃。しかし、それは敵を欺く作戦です。政宗は進路を変えて1万5千の大軍を北上させ、成実らと合流します。

第20回 決戦、摺上原

政宗は、猪苗代城で成実と小十郎の隊に合流します。天正17年(1589)6月5日、ついに、磐梯山麓・摺上原(すりあげはら)で、伊達軍と芦名軍は激突します。風下に立つ伊達軍は緒戦で不利な展開となりますが、風向きが変わると形勢は逆転。芦名勢は家中の内紛で足並みが乱れて戦意喪失し、伊達軍が圧勝。芦名滅亡の知らせは奥州全土に広がります。すると、政宗のもとに秀吉の使者が現れ、上らくを伝えます。

第21回 修羅の母

天正18年(1590)、秀吉は小田原の北条氏討伐の軍令を発し、政宗にも参陣を促しますが、政宗はなかなか出陣しません。お東と老臣たちは秀吉を恐れるあまり、政宗をちっ居させて弟・小次郎を擁立しようと画策しますが、計画が発覚し小次郎派の家臣は捕らえられます。お東は山形城の兄・最上義光(よしあき)のもとに駆け込み、義光から伊達家のため政宗を毒殺するようにそそのかされて苦悩します。

第22回 弟を斬る

政宗は小田原への参陣に遅れを取り、秀吉から逆心の疑いをかけられる覚悟で出陣を決めて、伊達家の後継に伊達成実を指名します。出陣前夜、政宗が出陣のあいさつにお東を訪ねると、伊達の家督を小次郎に継がせたいお東は、祝いの膳に毒を盛ります。政宗は一命を取り留めると、禍根を断つため、泣く泣く小次郎を斬ります。お東は兄・義光(よしあき)のもとへ逃れますが、悲しみのあまり既に正気を失っていました。

第23回 小田原へ

政宗は小十郎や定綱らと会津若松を出発します。途中、相馬勢が国境を越えて来たという知らせが届き、急きょ米沢城に引き返します。それから、政宗は山形から越後、信濃路を通って小田原に向かったため、到着は大幅に遅れました。政宗は箱根山中の宿で秀吉からの連絡を待っていると、前田利家らが訪れ厳しく詰問されます。利家らが帰ると、家康から呼び出され、秀吉を納得させるためにはさらに奇抜な趣向が必要と忠告を受けます。

第24回 天下人

政宗は、白かたびらに水引の元結という死に装束で秀吉の前に参上します。政宗の神妙な態度に秀吉は満足して何の処分もしません。秀吉は政宗を気に入り、会津・安積(あさか)などの領地を召し上げますが、伊達の旧領は認めます。その後、秀吉は奥州へ向かい、宇都宮で政宗の出迎えを受けると、政宗の右腕である小十郎を自分の臣下として、田村領・三春城の城主にすると言い出します。政宗は秀吉に対して、何も言えません。

第25回 人質めご

政宗は居城・黒川城で秀吉を迎え、旧芦名領・会津を引き渡します。会津は蒲生氏郷(がもううじさと)が引き継ぎます。秀吉は領主の配置と同時に検地と刀狩りを実施し、政宗に正室・愛姫(めごひめ)を人質に出すように言いますが、政宗は断ります。催促の書状が再三届くと、愛姫は伊達家の安泰を願い、喜多を伴って京へ上ります。そのころ、山形や秋田で一揆が起こります。秀吉は政宗に氏郷とともに一揆を鎮圧するよう命じます。

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第26回 絶体絶命

伊達の家臣・須田伯耆(ほうき)が寝返り、政宗が一揆勢に送った直筆の密書を蒲生氏郷(がもううじさと)に持参します。政宗謀反の知らせが秀吉に届くと、人質・愛姫(めごひめ)の真偽が問われますが、秀吉は愛姫を本物と見破り、三成は偽物と疑います。天正19年(1591)春、政宗は秀吉から上らくを命じられ、京へ向かいます。今度こそ首をはねられるかもしれない事態となり、政宗は絶体絶命の窮地に立たされます。

第27回 黄金の十字架

秀吉は清洲城で政宗を待ちます。政宗が秀吉に拝謁すると、謀反の証しとされる密書を突きつけられます。そこには政宗の署名である鶺鴒(せきれい)の形をした花押がありました。政宗は、本物には花押に細工があると弁明すると、秀吉は花押を確かめた上で政宗を許し、諸侯の前で臣従の意を示すよう命じます。決定的な危機を乗り越えた政宗は、黄金の十字架を担いで京の町を歩き、評判になります。秀吉は上機嫌で政宗を迎えました。

第28回 知恵くらべ

京の人々に大歓迎された政宗は、秀吉から聚楽第(じゅらくだい)に豪勢な館を与えられ、さらに、朝廷から官位を授かります。しかし、師と仰ぎ、親交を深める利休が秀吉から事実無根の罪で切腹を命じられ、さらに、会津近辺の所領を召し上げられます。政宗は再び起きた一揆を討伐することになると、家康からは花押の細工は二度と通用しないと釘を刺され、家臣からは京に攻め入る好機と言われます。政宗と秀吉の知恵くらべです。

第29回 左遷

政宗は一揆を鎮圧して秀吉の信用を回復します。側室・猫御前の懐妊の知らせが届きますが、一方、秀吉の嫡男・鶴松が病で命を落とします。新しい知行割りがあり、政宗は伊達家本領を蒲生に渡し、大崎、葛西への国替えを命じられます。政宗は納得できず、この国替えを考えた家康に理由を問いただします。すると家康は、一見左遷と見える国替えも考え方とやり方次第で国は豊かにできると言い、時の流れに逆らわないよう助言します。

第30回 伊達者

文禄元年(1592)、政宗は秀吉から朝鮮出陣の命を受けて上らくする途中、猫御前が産んだ息子に初めて対面します。京に着いた政宗は、喜多が愛姫(めごひめ)を狙う秀吉に替え玉の側室を差し出したことを知り、喜多をちっ居させます。ついに、朝鮮遠征が始まりました。政宗は3千の兵を3万に見せようと軍装を飾り立てます。その絢爛(けんらん)華麗な出で立ちに、出陣を見送る京の人々は、伊達者と賛辞を送ります。

第31回 子宝

伊達勢は肥前・名護屋城で朝鮮への出兵命令を待っていました。文禄2年(1593)4月、遠征軍は釜山(ふざん)に上陸します。苦しい戦いが続き、伊達勢にも壮絶な戦いが待っていました。政宗は異国に骨を埋める覚悟で、母・保春院(お東)に別れの手紙を送ります。そんな中、淀君が嫡男を産むと秀吉は狂喜して、大坂へ戻って遠征軍を撤退させます。政宗も無事に帰国。翌年、愛姫(めごひめ)は、嫁いで15年目で懐妊します。

第32回 秀次失脚

京の伊達屋敷で、愛姫(めごひめ)は娘を産み、政宗は五郎八(いろは)姫と名づけます。突然、蒲生氏郷が京で命を落とし、毒殺のうわさが流れます。氏郷や政宗が親交を深める関白・秀次は秀吉に世継ぎができたため不仲とうわさされ、政宗がいったん岩出山城に戻ると、その間に秀次は三成のざん言で秀吉から切腹を命じられ、妻子や側室までも処刑されます。その中には最上義光(よしあき)の娘・駒姫がいました。

第33回 濡れ衣

政宗は秀次の謀反に連座した疑いをかけられ、身の危険を感じて大坂にとどまり、秀吉が送った使者に無実を訴えます。しかし、秀吉は政宗に流罪を言い渡し、家督は4歳の長男・兵五郎が継ぐことになります。ある夜、何者かが徳川屋敷の門前に、義光(よしあき)と政宗が秀次反逆事件の中心人物と書いた不可解な高札を立てます。秀吉はそれを読むと、家康の助言を聞いて、政宗の流罪を取り消して豊臣への忠誠を誓わせようとします。

第34回 太閤の死

慶長元年(1596)、政宗の長男・兵五郎が元服し、秀吉の一字を賜り秀宗と名乗ります。成実は、秀吉の機嫌を取る政宗の姿に失望して姿を消します。政宗が従四位下に叙せられた祝宴の席で、秀吉が倒れてしまいます。健康に不安を抱える秀吉は政宗に秀頼への力添えを頼みます。一方、越後の上杉景勝が会津に領地替えになり、政宗は家康を警戒した三成の気配を感じます。慶長3年(1598)、秀吉は62年の生涯を終えます。

第35回 成実失踪

秀吉が死ぬと、淀君と三成は政宗の長男・秀宗を秀頼の小姓に差し出すよう迫る一方、家康は今井宗薫を通じて長女・五郎八(いろは)姫と家康の六男・忠輝の縁組みを申し入れます。行方をくらましていた成実の居場所がわかり小十郎が連れ戻しに行くと、成実は政宗を見限って再び失踪します。三成と家康の対立が激しくなる中、前田利家が死ぬと家康の力がさらに増します。そんな中、政宗は愛姫(めごひめ)から懐妊を告げられます。

第36回 天下分け目

慶長4年(1599)、家康は三成を追放して実権を握ります。伊達家では愛姫(めごひめ)が嫡男を産み、虎菊丸と名づけられます。翌春、政宗は家康に上杉討伐の先陣を命じられ出陣すると、そこに失踪していた成実が戦と聞いて一騎だけで駆けつけます。京では三成ら西側の諸将が挙兵し、上杉討伐の軍勢を背後から突こうとします。家康は諸大名が敵か味方かを見極めるため江戸城に入ります。天下分け目の戦いが迫ります。

第37回 幻の百万石

関ヶ原の合戦は東軍の大勝利でしたが、政宗は奥羽で上杉勢とにらみ合いを続けていたため、勝利の知らせが届きませんでした。三成が勝利すれば、家康が約束した、伊達の旧領返還を含む百万石が幻になるため、政宗は最上の要請を受けて上杉との和睦を破棄して援軍を送り、この好機に上杉を攻めて領土を獲得しようとします。政宗は関ヶ原の合戦の東軍勝利を半年後に知り、百万石の夢を膨らませますが、家康に謀反を疑われます。

第38回 仙台築城

政宗は家康に謀反を疑われて上らくすると、帰郷を禁じられます。処分は無いものの旧領返還を含む百万石の約束は無くなります。家康は徳川体制を強化するため、江戸城周辺に大名屋敷を建てます。政宗は仙台築城を進めますが、家康の命で江戸屋敷に住むことになります。家康は征夷(せいい)大将軍になると、秀頼を関白にして大坂方の懐柔を計り、政宗の娘・五郎八(いろは)姫と六男・忠輝の縁組みを決めて、政宗に帰郷を許します。

第39回 五郎八嫁ぐ

政宗の長女・五郎八(いろは)姫と家康の六男・松平忠輝の婚礼が江戸・松平屋敷で執り行われ、さらに、嫡男・虎菊丸と家康の一姫の縁組も決まります。家康は大御所になり幕藩体制作りに専念します。政宗は1年ごとに江戸と仙台を往復し、江戸では儀礼や外交に努め、仙台では国づくりと経営に力を入れます。猫御前が産んだ長男・秀宗は井伊直政の娘・亀姫を妻に迎え、伊達は隆盛を極める中、旧臣や旧知の者が次々と世を去ります。

第40回 大船造り

政宗は娘婿・忠輝の家老・大久保長安から、天主教(キリスト教)の入信帳に署名を求められますが、謀反を疑われるため断ります。しかし、そこには豊臣秀頼と忠輝の署名と花押がありました。政宗は南蛮との交易をもくろみ、宣教師ルイス・ソテロに仙台での布教を認めて、家康に大船の建造を願い出て許されます。しかし、政宗は、家康から長安の屋敷で怪しい連判状を発見したことを告げられ、忠輝を助けるため手を打ちます。

第41回 海外雄飛

慶長18年(1613)夏、浅草・南蛮寺で30人余りのキリシタンが捕らえられます。政宗は直ちに家康に会い、処刑寸前の宣教師・ソテロを助けます。同年9月、念願の大船は完成し、ソテロや支倉(はせくら)常長ら総勢180人を乗せてイスパニアを目指して出航します。一方、最上義光(よしあき)は病の床で家康が伊達の取り潰しを謀っていると遺言して、翌年、息を引き取ります。幕府はキリシタン禁止令を発布します。

第42回 大坂攻め

慶長19年(1614)春、政宗は忠輝の居城・越後高田城の普請を見守り、家康の信用回復に務めます。片倉小十郎は病のため隠居し、長男・左門が後を継ぎます。一方、家康が秀頼に大坂城の明け渡しを迫ったため、真田幸村ら豊臣恩顧の武将は決起します。政宗が小十郎を見舞うと、大坂方の出陣要請に応じないよう進言されます。同年11月、政宗は秀忠から大坂討伐を命じられ、ついに大坂冬の陣が始まります。

第43回 ねこ、宇和島へ

秀頼と淀君は家康の講和条件を受け入れたため、大坂冬の陣は終わります。徳川方は大坂城の本丸を残し、外堀や二の丸などを次々に埋めていきます。政宗が徳川の使者として大坂城に入ると、淀君らは約束が違うと怒ります。家康は政宗の長男・秀宗に伊予宇和島十万石の所領を与え、大名に取り立てます。生母の猫御前は、仙台から遠く離れた宇和島が不満ですが、孫の千松と離れたくないため秀宗の後見として宇和島へ同行します。

第44回 大坂夏の陣

家康は秀頼に伊勢への転封を命じると、秀頼と淀君が拒否したため再び戦の様相を呈します。徳川勢は堺を掌握し、大坂への武器弾薬の補給路を断ちます。大坂城内では淀君が大軍を率いる徳川勢に動揺しますが、秀頼は覚悟を決めます。元和元年(1615)4月、大坂夏の陣が始まり、大坂方は真田幸村らが抵抗を続けますが、5月には城内に追い詰められて秀頼と淀君が自害し、関ヶ原の合戦から15年で豊臣家は滅亡します。

第45回 ふたりの父

政宗は秀頼と淀君が自害した件で家康に詰め寄るつもりで、京・二条城を訪ねます。しかし、政宗は天下人としての家康の器を改めて思い知り、天下取りの野望を捨てて、天下太平のために尽力することを誓います。一方、忠輝は義父・政宗の力添えもあって階位に叙されることになりましたが、家康と御所に参内(さんだい)する約束を破り、ちっ居謹慎処分になります。政宗は忠輝を救うため、五郎八(いろは)姫に離縁を命じます。

第46回 離縁状

元和元年(1615)8月、政宗を支えてきた片倉小十郎が、伊達家の将来を案じながら59年の生涯を終えます。江戸の伊達屋敷にいる政宗は、忠輝を助けるためには松平と伊達の関係を絶つことが必要と考えていました。そこには伊達と松平を切り離そうとする幕府の思惑もありましたが、五郎八(いろは)姫も夫・忠輝の命を救うほかの術がないと知り、忠輝との離別に同意します。翌年、忠輝は切腹を免れて、伊勢への流罪となります。

第47回 天下の副将軍

元和2年(1616)正月、家康が倒れると、六男の忠輝はちっ居の身でありながら見舞いに駿府へ向かい、途中、江戸・伊達屋敷で五郎八(いろは)姫に再会します。政宗は忠輝が近くにいると家康に伝えると、家康は会いたくても会えないと言って信長から拝領した笛を忠輝への形見として政宗に預け、さらに、副将軍として将軍・秀忠を助けるよう頼みます。4月、家康が息を引き取ると、秀忠は政宗の謀反を疑い、側近を遣わします。

第48回 伊達流へそ曲がり

元和2年(1616)、幕府に仙台藩討伐の動きが出ますが、政宗の嫡男・忠宗に将軍・秀忠の姪(めい)・振姫との縁組みの話が届きます。政宗は、将軍の娘ではなく姪であることにへそを曲げて断ります。すると、秀忠は姪の振姫を自分の養女に迎えて忠宗に嫁がせます。伊達家は将軍家と親族になりました。幕府がキリシタン弾圧と改易、転封を繰り返して支配体制を強化する中、支倉(はせくら)常長がイスパニアから戻ります。

第49回 母恋い

元和8年(1622)、50代半ばの政宗は将軍・秀忠からの信頼も厚く、将軍のご意見番として采配を振るいます。そんな時、幕府は不祥事が続いた東北の名門・最上家に改易の断を下し、政宗に、母・保春院が住む山形城の召し上げを命じます。成実が大軍を率いて赴き、何の支障もなく引き渡しは行われます。政宗は保春院を仙台城に引き取ろうとしますが、保春院は最上家の再興を願って仙台入りを拒みます。

第50回(最終回) 大往生

家光が三代将軍になり、副将軍・政宗の地位は盤石です。母の保春院は晩年を仙台城で過ごし、一生を終えます。寛永2年(1625)、政宗は嫡男・忠宗に家督を譲り、能や詩歌を楽しむ毎日を送ります。しかし、政宗の体はすでに病に侵されていました。政宗は「画像にも木像にも両眼を入れさせろ。来世では両眼でめごの姿を見たい」と愛姫(めごひめ)に言い残し、寛永13年(1636)5月、享年70で大往生を遂げました。

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