今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

社会の闇 ~残存する「当たり前のように猫を捨てる文化」~

2022年06月29日 | シリーズ:ノラたちとの共存を目指して
本記事は、「ノラたちとの共存を目指して・場外編その5」となります

ブログ村の新しいカテゴリーに移って初めて本シリーズ記事を書くので、本題に入る前に少しいきさつを説明します。ノラたちとのお付き合いを始めて過酷すぎる彼らの立場に胸を痛め、ある子猫(チビ)の死をきっかけにこのブログを始めました。それから5ヶ月間ノラたちへの知見を深め、本シリーズの全体が見えてきたところで、当ブログの根幹をなすシリーズとして書き始めました。始めた時点で既に「その8」までの道筋は頭の中にできていたので予告。9と10はこのシリーズの華となる章で、当面の目標であるその8を書き終えた時点で追加する予定でした。(※最下段にシリーズ全体記事目次)

最終目標「その10」実現までの必要なステップを列挙し、考えられえる障壁と対応策を案出する。それらに意識して取り組めば、いつしか最終目標に到達できるはずだ。道筋を作るとはそういうことだと考えて、ひとつひとつのテーマについて取り組んできた。しかしそれぞれの下調べに膨大な時間を要し、また時間が経てば世の中の状況も変わって修正の必要に迫られる。そしてついにスタート時の当面の目標だった「その8」を前にして、前に進められなくなりました。

世の中そんなに簡単じゃない。まだまだ、何か大きな壁を見落としている。そんな思いで回り道を始め、追加したのが3年前の番外編です。回り道は昨年も続き、場外編へと移行した。そしてようやく、探し求めていた壁を見つけたような気がします。というより、本当は前から知っていたんですね。それは平均的善良な日本人の、心の中にありました。

店に現れた頃のちび太
(幼猫が単独店まで来るのは無理なので、捨てられたと思われる)

過去記事「動物愛誤と書く諸兄へ」(2021.2.20)の終わりの方で、「(共通の敵は)人間社会の悪しき慣習という巨悪」と書いています。命を尊ばない文化が日本にはまだ残っている。ノラに限らず動物たちと共存を図るとき、最大の障壁となるのがこの文化だ。日本人はペットショップで平気で檻に詰めた命を販売し、それを購入する。猫を殺そうが虐待しようが殆ど罪に問われることはなく、問われても重くて数万円の罰金か執行猶予付きの判決ばかりで、結局無罪と変わらない。どんなに刑罰を重くしても、それが見せかけに過ぎないことは警察司法の姿勢を見れば明白なのです。

それだけではない。多くの日本人が自ら猫を捨てる。普通の人たちが猫を捨てるのです。自分をどんなに信頼している猫でも平気で捨てる。ネットの中にも、自分の周囲にも、この記事を読んでいる皆さんの周囲にもそんな話はゴロゴロしていますよね。普段は注意して読んでいないか、注意して聞いてないだけです。猫を捨てる話は無理して探さなくても無尽蔵にあります。なぜなら、それが日本人の文化だからです。

このおじさんは・・・本文参照

上の写真は昨秋chamiさんがツイッターに投稿したものです。まいどなニュースが転載しました。写真の男性はこの後、淀川新橋という大きな橋の中央で運んできた子猫数匹を川に投げ捨てました。数年ほど前には、猫をトラップに入れて川に投げ捨て、息をしようと顔を水面に向けてもがきながら沈んでいく猫の動画が投稿されたが、警察は動こうともしなかった。長崎をはじめ各地で報じられた子猫をゴミ袋に入れて捨てた事件。猫たちの死は殆ど記事にされない。先日新設した「猫愛」シリーズの初回記事にも書いたように、ノラが幸せになった話でさえこういった残忍な現実が含まれていることが多いのです。

いったいどれだけの件数があるのだろう。ノラの出生数と猫捨て件数(脱走含む)。いずれも調査されたことすらなさそうだが、環境省をはじめとする自治体のオルグの結果、ノラの出生(自然増)ばかりが強調される。しかし番外編3で書いたように環境省の"計算値"はまったく現実を反映していない。(脅しと言えばそうなのだけど、多頭飼育崩壊の防止を目的とする"脅し"としては理解できる。)いずれにしても、いろいろ調べた結果の自分の感覚として、日本における猫捨て件数はノラの出生数に勝るとも劣らないほど多いのではないかと思うのです。

チキン(左)とキリンも捨てられた可能性が高い

本記事を読んでいる人なら、これだけ動物愛護が叫ばれている中で何を言ってるんだと思うかもしれません。しかし動物愛護とか動物たちとの共生とか、そういった意識を持っている人たちは日本ではまだまだ少数派です。多くの人はそんなこと考えたこともなく、いやそれ以前にそもそもリテラシーがない。PCをできないどころか、新聞もテレビ欄しか見ない、テレビもお笑いバライエティ―しか見ない、猫を平気で捨てるのはそんな人たちが中心なのです。

では文化文明の進歩から取り残された人たちなのかと言うと、そうでもない。PCすら使えない日本のIT大臣が世界中の嘲笑を買ったことはまだ記憶に新しいですね。台湾をはじめ諸外国のIT相は自らアプリを開発し、国民をコロナパンデミックから守る手助けをしています。日本で、何か役に立ったアプリはありますか? 能力よりも年功序列の順番で大臣の椅子を待つ。日本の恥部が世界中に知れ渡った瞬間でした。この時の日本の報道を見ていると、まるでお笑い話のネタのような書き方でした。

そうなのです。いわゆる"昔の人"だけでなく、ごく普通の日本人にも「命」とか「動物たち(あるいは他者)の文化を尊重する」という考え、いやリテラシーそのものがないのです。だから警察も司法も動かない。立法府には熱心な人もいるけど、多くの政治家は選挙の票目当てくらいにしか考えてないように思えてしまう。杉本彩さんやクリステルさんのような方たちが啓蒙活動に奔走しても、伝えるべき相手にリテラシーがないのだからそれこそ"馬の耳に念仏"だろう。

ではどうすればよいのか。正直なところ、話が大きすぎて自分でもわかりません。ひとつ言えることは、気付いた人たちが声を挙げ、(法律はあるのだから)警察やメディアを巻き込んで輪を広げていくしかないのかな、と思うのです。

お向かいさんによると、イエチビは町外れに捨てられていた

「ノラたちとの共存を目指して」目次  ※予告編(期日未定)含む
その1  資料編「現状と動向調査」(追記:餌やり、地域猫問題) 2017.2.27
その2  現場編「ノラを守るのに理由は要らない」(報道されたボラさんたち) 2017.5.31
その3  エサやり問題・続編「裁判事例の検証・他」(司法が肯定したもの、否定したもの) 2017.8.31
その4  一服編「ノラだからこそ・・かわいい!」(ニャー&みう+テンちゃんの日常) 2017.11.30
その5  闘魂編「許さない、虐待に不法投棄に暗闇ビジネス」 2018.4.29
その6  原点回帰編「再確認・人間性とは?」(食肉、動物駆除と保護活動) 2018.8.31
その7  形而上学編「ノラの幸せとは」(シャッポやソトチビの行動に想う) 2020.1.31
その8  地域猫問題・続編「殺処分ゼロに向けて」(目的達成のために必要なこと)
その9  理想追求編「殺処分ゼロの先にあるもの」(対等の精神と真の共存)
その10 最終章「共存の終焉」(ノラのいない社会)
番外編
番外編1「罪と罰」(法の実行と刑罰の妥当性) 2019.3.29
番外編2「動物愛護の精神を問う」(餌やり議論の本質) 2019.10.31
番外編3「エサをやるなは殺せと同じ・第3弾(前編)」(特別加入) 2020.6.30
番外編4「エサをやるなは殺せと同じ・第3弾(後編)」(特別加入) 2020.8.31
番外編5「政治とメディア」(ノラたちの未来を決める人たち) 2021.1.31
番外編6「保護に奔走する人たち」(その2とその6の補足)
場外編
場外編1  猫の煩悩とはこれ如何に 2021.7.10
場外編2  続・死刑に処すべし? ~死に体・動物愛護法の復活を期して~ 2021.7.21
場外編3  どうしてこんなに軽いのか <続・続・死刑に処すべし> 2021.11.10
場外編4  メディア批評、の・つもりが・・(国民の鏡としてのメディア)2021.11.24
場外編5  社会の闇 (残存する「当たり前のように猫を捨てる文化」)
場外編6  ジレンマ(猫捨てを補完するノラ保護活動)


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