古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

古代の鏡(銅鏡)

2018-03-18 18:43:30 | 歴史
日本古代の鏡についての歴史を追ってみると
1、魏の明帝から、貢物のお礼に、卑弥呼へ「親魏倭王」の金印、鏡百枚、刀、白絹など織物、真珠、鉛丹(化粧)などが贈られた。
2、古墳時代に、死者と一緒に鏡が埋葬されている。(殆どが三角縁神獣鏡)
3、天皇家の三種の神器が剣、鏡、勾玉
と鏡は女性が化粧をする道具ではなく、祈祷を行う道具、死者の邪気を払う徐霊、王家の後継者を意味するなど
特殊な意味合いがあったようです。

さて、ここでいくつか疑問を
1、弥生時代、卑弥呼がもらった100枚の銅鏡の以前には、倭国に鏡はなかったのか
2、卑弥呼は、もらった鏡を祈祷に使用したのか
3、近畿の古墳から見つかった多数の銅鏡(600枚以上)は、卑弥呼がもらった鏡なのか
4、そもそも、卑弥呼がもらったのは三角縁神獣鏡なのか
5、卑弥呼がもらった鏡の一つが三種(鏡・玉・剣)の神器(八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣)の八咫鏡なのか
色々と疑問の目線で考えてみると面白いです。

1、弥生時代に、農耕、高倉式建物、青銅製の農耕具、矛など倭国へ伝わります。
  当然、青銅製の鏡を伝わっていたでしょう。
  実際に、弥生時代の中期の遺跡(福岡県春日市)から鏡の鋳型が発見されています

2、魏の明帝も祈祷用であれば、100枚も贈らないでしょう。沢山の織物や鉛丹が贈られています。
  1000人の侍女がいた事も知っているようです。普通の鏡に使ったのではないでしょうか。
  織物と同じで、「皆で使ってね。」みたいな。
  もちろん、鏡を持っている女性は高貴な身分という事です。
  天照大神が太陽神なので、卑弥呼も鏡の反射を使った祈祷を行ったと思い込みがあるのではないでしょうか。

3、古来中国では、徐霊の意味で死者と一緒に鏡を入れています。(儒教、道教の教え)
  古墳時代に、大きなお墓を作る風習と鏡を入れる風習が伝わったのではないでしょうか。
  265年に晋に魏が滅ぼされて、280年に呉が滅びます。ちょうど古墳時代の出来事です。
  大陸から難民として倭国へ逃げてくる大陸人がいたはずです。
  大陸の影響は常に周囲の国々に影響します。
  朝鮮半島では、高句麗がここぞとばかりに朝鮮半島支配に乗り出します。

4、卑弥呼がもらった鏡=三角縁神獣鏡
  そもそも、これが大間違いなのです。
  機内で発見された三角縁神獣鏡の多くは倭製です。ただ周囲に漢字が書かれているために中国製を思い込んでいます。
  書かれている漢字には、存在しない年号や魏の国を中傷するような文言もあるようです。
  加えて、魏には三角縁神獣鏡を作る文化がないのです。三角縁神獣鏡は呉の文化です。
  卑弥呼がもらった鏡 <> 三角縁神獣鏡 が正しい答えです。
  三世紀後半、265年に魏が晋に滅ぼされます。280年には、呉も滅ぼされます。
  晋の奴隷となった旧魏、呉の職人たちが朝鮮半島へ亡命、倭国へ移住して、大陸の文化を伝えた。
  古墳や三角縁神獣鏡の鋳型を作り、死者と一緒に棺に入れる事で徐霊になる(道教の教えを広めた)のです。

5、天皇家の正当な後継者の証である三種(鏡・玉・剣)の神器(八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣)も古代中国の道教の影響です。
  道教では、正統な後継者の証に鏡と剣を二種の神宝を用いていましたが、秦の始皇帝が伝国の玉璽という印鑑を使ったことから
  鏡と剣、玉を三種の神器を持つ者が正当な後継者と云うようになります。
  この教えが日本へ伝わったのは5世紀頃と言われています。
  つまり、聖徳太子以降、「古事記」「日本書紀」の作成に合わせて、日本神道(伊勢神宮や出雲大社)の制度を確立
  同時に、当時の天皇の正当性を決めるために、三種(鏡・玉・剣)の神器を八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣としたのです。
  八咫鏡は、天の岩戸の日本神話で、天照が岩戸から少し顔を出した時に、自分の顔を映し出した鏡です。
  祈祷や徐霊ではなく、単純に鏡として使われています。
  玉璽という印鑑も印鑑ではなく縄文時代から倭国に伝わる勾玉です。
  剣は、素戔嗚がヤワタノオロチを成敗した時に尻尾から出てきた剣です。
  尻尾を切った時に、自分の剣が折れて、中から草薙剣が出てきます。
  後にヤマトタケルが襲われた時に、草薙を切り倒して火を点けてことから草薙剣と呼ばれています。
  官位十二条など律令制度を造る一方、神道と天皇制の正当性をしっかりと盛り込んだ日本神話を「古事記」に載せませす。
  既にヤマト朝廷が倭国統一を成し遂げた後であったからこそ出来たのです。
  実際の歴史とは、かなり異なる部分が多数あります。

間違っても
・古代の王(卑弥呼など)が大陸へ貢物を贈って金印をもらった。
・大陸から米など農耕が伝わった。
などは記載されません。
代わりに挿入されたのが、神功皇后などで、「史曰く」と云う文言を加える事で大陸の史記と帳尻を合わせようとしています。
ヤマト朝廷、恐ろしい程の知恵者です。

  

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1 コメント

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貴ブログを拝見させていただいてのお願い (iisaka)
2018-09-06 13:14:47
初めてご連絡させて頂きました。
私、株式会社スプリックスの飯 坂と申します。
突然のご連絡で大変失礼致します。

貴ブログを拝見し、卑弥呼がもらった100枚の鏡が何に使われたのか、それは本当はどんな鏡だったのか、興味を持ちました。
古代について疑問を持ち、明らかにそれが明らかになった時、歴史がまた面白くなると感じました。

弊社では、学校の先生方向けに授業準備のための無料情報サイト
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この度、貴ブログに投稿されている記事の数々を拝見し、
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また、記事を掲載する際の名義は管理人様の名義のまま掲載させて頂きます。
歴史の授業は暗記科目と呼ばれたり、教科書通りの授業進行になりがちだといわれます。
そんな中、歴史の人物にスポットを当てたり、教科書だけでは知り得ない場面を
取り上げる事で、歴史に思いをはせる子ども達が多くなっていくはずです。

ご不明な点も多々あるかと存じますので、何なりとご質問頂ければと存じます。
この度は突然の不躾なお願いとなり、大変申し訳ございません。
ご検討の程、何卒宜しくお願い申し上げます。

ご連絡いただける際は下記のメールアドレスまでお願い致します。
m.iisaka@sprix.jp

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