まあこの元号を変えるというのは、前からあったのでおかしなことではないし、以前「昭和」を「平成」に変えるときに、軍国主義的な意味合いから「昭和」を変えるなという団体があったからね。そうした意味において、戦争を一度もしていないこれまでとは違う「平成」は変える必要がなかったんじゃないかと思うんだよね。


「新元号」でマスコミが報道しない元号のイデオロギー的本質! 元号強制は日本会議前身団体の圧力の結果だった
https://lite-ra.com/2019/04/post-4637.html

 元号は国際社会にはまったく通用しないうえ、日本国内でも西暦が完全に定着し、国民生活では西暦が中心になっている。そのため、ことあるごとに元号表記を西暦に、あるいは西暦を元号に換算する必要が出てくる。


 そうこれがまた面倒くさいんだよね。後年度ね。どっちか分からなくなるからね。
 ようするに面倒くさいものを省いてシンプルにするなら、はっきり言って元号も年度もなくせばいいんだよね。西暦で12月31日を全ての区切りにすればいいからね。


改元にあたっては当然、政府や民間のデータベースやシステムを「平成」から新元号に刷新せねばならず、その対応には膨大な手間と費用を要する。


 大阪市を変えるという部分でも、こういう手間や費用がかかることを前回書いたけどね。まあ元号を仮に作ったとしても、西暦で統一すべきなんだよね。とくに公的機関ね。それこそ税金の無駄でしょ。変えたから使わなければならないことにはならないからね。あくまで歴史の1ページと捉えればいいわけだから、そもそももう天皇は政治とは関われないからね。それなのに天皇が変わったから元号も変えていろんなものを変えると言うのはいろんな意味で無駄でしかない。


『日本書紀』によると、孝徳天皇の「大化」(646年)が初めての公式な元号だとされる。元号は現在の「平成」まで北朝を入れると約250もつくられた。日本の天皇は明仁天皇で125代に数えられている。つまり、単純換算で元号は天皇の人数の2倍の数ある。
 なぜか。元号は、政治的混乱、飢饉や天災、その他諸々の理由をつけては頻繁に変えられていたからだ。大衆は必ずしも元号を身近に感じておらず、日常的には干支を使っていたといわれている。


 あー、やっぱり都合が悪いから変えたりしてたんだ。あ、そういえば考えたら江戸時代って300年くらい続いてたのは、あれは幕府だからだ。となると年号と元号の違いが出てきて、さらにいつから年号と元号が同じになったのか?って考え方になるね。まあ幕府が滅びて天皇がTOPについてからって考えに行き着くだろうけど。あ、でも平安幕府とか飛鳥幕府とか聞いたことがない鎌倉幕府はあるけど。その辺もまた違うね。とりあえず年号一覧

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http://www.i-sagami.com/walking/nengou/nengouitiran.html

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日本は明治の改元から『一世一元』となっており、以来公称として『元号』が使われています。それまでは必ずしも元号と天皇の在位の期間は同一ではありませんでしたが、現在は一世一元となっているため、年号という言い方は、あまり一般的ではありません」(担当者)


 でも俺の学生のころは年号だったけどね

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最初の年号は大化の改新が起きた645年。孝徳天皇の即位元年につけられた「大化」が始まりとされている。
「その大化から平成まで、247の年号が存在します。日本は世界で唯一、長期的かつ持続的に年号を使う国なのです」


明治に入ってから、大日本帝国憲法および旧皇室典範(第12条「践祚の後元号を建て、一世の間に再び改めざること、明治元年の定制に従う」)によって一世一元が定められた。天皇を絶対的な権力として、大衆支配のイデオロギーの中心とする「国体思想」。そのなかにおいて改元は、まさに天皇の権勢をアピールするための重要なツールだったのである。


 まあ、そういう意味において天皇が平和を希求してくれないと困るね、そうしないと利用されるからね。


廃止論も盛り上がった。そして、昭和天皇の高齢化に伴い、「昭和」の元号が終わりを迎える日が刻一刻と近づいていった。
 こうした流れに強い危機感を抱き、元号の法制化に邁進したのが、いまの日本会議に繋がる宗教右派・極右運動家たちだった。いま現在、元号は1979年施行の元号法によって法的な地位を得ているが、これは、彼ら極右運動体の“成果”であり、日本会議前史における大きな“成功体験”として刻まれているとされる。


 これだと日本会議の手柄になるが、実際右派でも昭和を残せと言う動きがあったわけだから、一概に日本会議の成果にはならないね。

 そもそも年号と元号が一緒になっただけの話で、むしろ元号が年号に組み込まれたと言ってもいいくらい。さらに言えば平成は戦争は起きなかったと言うことも忘れてはならない。もっというなら平成のまま終わりにすべきだったともいえる。


1997年結成の日本会議は、生長の家や神社本庁などの宗教右派が実質的に集結した「日本を守る会」(1974年結成)と「日本を守る国民会議」(1981年結成)が合わさって生まれたものである。後者はもともと、この元号法制化運動のための「元号法制化実現国民会議」が前身だ。そして、これらの団体の実働部隊が、現在でも日本会議の中心にいる右翼団体・日本青年協議会(日青協)だった。


 元号法制化といっても明治時代から今のシステムだからね。しかも元号が年号に組み込まれたと言ったほうが自然。


しかも彼らは、明らかに元号法の制定の先に、戦前の天皇制や国体思想の復活をみていた。


 平成天皇は、全く持って距離を置いてるわけだから、関係ない話だね。それどころか安倍は生み出したが、戦前のようにはまだなっていない。だから憲法も変えられない。


「元号法制化運動の一番根源的な問題は、天皇と国民の紐帯をより強化する、天皇の権威をより高からしめるというところに一番の眼目がある」
「われわれの元号法制化運動は、たんに元号を法制化したらそれで良いという単純な運動ではないわけですね。彼(引用者注:右翼思想研究でも知られる橋川文三氏のこと)が言う様に、『天皇制をとりまく付帯的な事実』としての元号とか、たとえば『神器』の問題とか、そういう戦後の象徴天皇制の下で無視もしくは軽視されて来た問題を復活せしめて行くことによって、『国体恢復』への『大きな流れ』をつくる運動なんだということが理解されなければならないと思うんです」


 こういうことが全く意味を成していないのが、天皇の「国旗国歌は強制じゃないほうが望ましい」という言葉。天皇も分かってるんだよね。象徴するものが何を生み出し何に利用されるか。だから利用しようとする人間にあえて言葉を発する

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国旗・国歌「強制でないのが望ましい」天皇陛下が園遊会で
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200410280332.html


いずれにしても、わたしたちが、なんとなく受け入れてしまっている元号は、戦前日本の天皇制と国体思想、すなわち民衆を戦争に駆り立てた狂気の思想の復活を目指す勢力の圧力によって維持されてきたのだ。


 逆に言えば元号ではなく年号と言えばいいと思うんだよね。元号というからおかしくなる。そもそもこういうときしか元号とは言わないでしょ。元号平成30年なんて言い方しないからね。だったら今だけは元号と言っててもそのうち言い方だけ年号と言い換えれば言いだけの話。