私魚人(あいうおんちゅ)~定年親父の魚三昧:タナゴ仕掛けとガサで出会った魚たち~

50年続けた魚遊び。胴長ガサガサもしんどい。ならば釣りだ。タナゴから珍魚・駄魚釣りへ!さらに地元の生き物探しへ!

『睡蓮』 俳句ポスト365初落選記念号!:7月の俳句結果②

2021-08-02 17:06:50 | 俳句
2021年8月2日(月)

今年4月から松山市主催・夏井いつき選の俳句ポスト365はリニューアル。
初心者コースは、家藤正人さんが担当、俳句の基本的なルール解説をメインとし
中級者コースは、夏井いつきさんが担当、曜日ごとに『没(未掲載)・類想・並選・佳作・秀作・特選』に選句してる。

今回の兼題は『睡蓮』(すいれん)

で、早速結果から書くと、一昨年冬から始めて初の落選
パチパチパチ、せっかくの記念だし、一句入魂でつくったこだわりのある句だから
選に漏れたとしても胸張って載せようではないか!

睡蓮め羊を纏った偽善者め
スイレンめひつじをまとったぎぜんしゃめ


スイレンへの悪態を吐いた句なのだが・・・

元々、明治時代以前の「睡蓮」とは、在来植物の「ヒツジグサ」のこと。
以後、欧米から観賞用植物として様々なスイレン属の植物が移入され、品種改良も盛んに行われて
今は、それらをまとめて「睡蓮」と呼んでるんだよね。

だから、江戸時代の季語「睡蓮」と今の「睡蓮」は違うと思ってるんだよね。

観光地や寺社の池をのぞくと、こちらでもスイレン


あちらでもスイレン


確かにキレイだから口惜しいけどさ
元々の在来スイレンである「ヒツジグサ」なんてのは、どんどん滅びの道を辿ってて
せめて山間のお寺なんかでは「スイレン」じゃなくて「ヒツジグサ」を植えてもらってくれんかなあ、なんて思っちゃう。

やたらと今風のスイレンを愛でるのも観賞のニシキゴイを愛でるのも
人間の業というか、やむを得ないんだろう。
けど、その一方で在来の生き物が滅んでることを知るのも大切な感覚だと思うんだよな。

例えば、この池、30年前はガガブタ・オニバス・ヒシも自生していた。


それれらの水生植物が次第に消えてゆき、ハスとアシ・ガマなどの抽水植物だけになり


アゾラ・クリスタータ(オオアカウキクサ)という外来ウキクサの大繁殖とともに
今や在来植物どころか、水面に水草の1本もみられなくなってしまってる。

例えば、この池、数年前はヒシの自生にくわえ、誰かが植えたんだろうね。
アサザが生えてた。


この池のヒシもアサザも今はない。

アサザも十分きれいな水生植物で植えてることもあるけど、自生してる池はめっきり減ってる。

それは、コウホネなんかでも同じで


心ある人たちの手によって管理されてたからね。
そのコウホネを食草(ホスト)とするネクイハムシという小さなハムシも

コウホネと一蓮托生なんだよなあ。

私は、何となく整備された景観の中で
西洋スイレンとかバラとかソメイヨシノとかイロハカエデとか・・・
そんなの見てると「美しい」よりも「ウソっぽい・むずがゆい」と思ってしまう。

こうした思いをまとめたいし、やたらと怪しい詐欺とかデマとか物騒な人たちも増えてるからね。
そうした思いを俳句にしたためた。

だから、落選しても入選しても『なんちゃかわらん』
恥ずかしくもなんともない。
睡蓮め羊を纏った偽善者め

もちろん俳句としては駄句なんだろうけど、そんなこたあ選者さんが決めることだ。

俳句は、文学であり創作であるから、想像を自由に形にするのもいい。
ただ、そこに自分がいるかいないかは、私にとって上手いヘタ以前に大切にしたい事柄。

たまたま最近読んだ「種田山頭火」さんもこうおっしゃっておられる。

文は人なり、句は魂なり
魂を磨かないで、どうして句が光ろう
句の輝き、それは魂の輝き
人の光である

ま、私も後頭部だけは光ってるもんな!

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« イトウ&ベステルの刺繍:と... | トップ | イカリヒメジンガサハムシ:... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

俳句」カテゴリの最新記事