10月に入り、気分は秋口だが本日の京都は真夏日。
一週間前、ラジオが非公開寺院の特別公開のニュースを流していた。
上賀茂神社と同志社大学近くの尼門跡寺院の夜間拝観。

ライトアップには興味は無かったが、
昼間も当然公開されていると早合点し、昼過ぎに山門前。
背後には同志社大学の関連施設。



大聖寺(だいしょうじ)は起こりは南北朝時代。
山号は岳松山。本尊は釈迦如来。御寺御所とも称する、
歴代24人の内親王が住持を務めた天皇家ゆかりの尼門跡寺院である。
左京区岩倉の長谷、上京区の毘沙門町と移転を繰り返した後、
寛文13年・延宝元年(1673)に焼失。
その後、もともと聖護院があった現在地に再興され、
室町幕府の花の御所跡地の一部を占める。






花の御所の石碑周りには萩が咲いていた。








西の建物側には白い萩。



とは言うものの特別拝観している気配は無く、
工事関係者と思われる車両と作業員が忙しく立ち回っていた。

お寺の関係者を見つけ、特別公開の件を尋ねるも、
全く伝わらず、お寺の催事に詳しい方を読んで頂く事になり、
その特別拝観はこの西の同志社大学新町校舎北の尼門跡寺院、
光照院門跡の事ではないでしょうか?

その工事の関係者はその日執り行われる茶事の準備の方で、
お寺共々準備に慌ただしくされているのにも拘らず、
私の早とちりにお付き合い頂き、申し訳ない事をしてしまったが、
更にこちらの特別公開の予定なども伺ってしまった。
当分予定はないとの事です( ´艸`)。


山門から見える同志社大学の寒梅館は、
50年ほど前は確か学食とホールメインの学生会館?その時期は
この一分ほどの美術出版社内に住んでいたので、
ここの学生でも無いのに、よく食堂を利用していた。



この界隈は百万遍と並ぶ学生街なので、
学生相手の店があったが、跡形も無く亡くなった店も多い。
室町にあった当時世界最大のスピーカを自慢げに設置したジャズ喫茶。
確かJBL製のスピーカは横幅5メートルもあったかな?
ともかくどでかく、強烈な音は大地をも揺さぶる迫力だったが、
いつの間にか閉店、風の噂では店主が精神に異常をきたして廃業。
同志社女子大の裏手にも変わった店があった。
白いドアに小さく「SMスポット」、ヤバい風俗と思いきや、
京都では数少ない純粋にフリージャズを流すジャズ喫茶。

少し興味があったが、この店で10分も我慢できなかったので

フリージャズはそれ以来興味を失くした( ´艸`)。
そこから東に寺町通りに抜け、
桝形商店街角の二階で営業していた「52番街」は、
初めてモダンジャズのライブを体験した店だった。
新町近くのうす暗いブルース喫茶、衣棚通りのパチンコ屋。
住んでいた美術出版社もとっくの昔に、正門向かいの侘助も。。。

烏丸今出川西直ぐの
広東料理の芙蓉園は現在も営業なさっているみたいだが、
店の雰囲気はガラッと変わってしまっていて、
私の好きな辛子をたっぷり入れて食べる硬焼きそばは、
すでに名物ではなさそうだ。
何と言っても京都の広東料理の店の造作は独特で、
少し離れるが、その代表的な建物が紫明通りにあった異空間の「鳳舞」。
時間待ちをして食べるのが大嫌いな私だったが、ここは別格。
春巻き、シュウマイ、酢豚、スープ、そして焼きそば。
忘年会で使うほど贔屓にしていたが、こちらも随分前に。。
芙蓉園、鳳舞の焼きそばはそれっきり縁が無いが、
最近は鳳舞でコックをなさっていた方が
河原町で店をなさっているのをネットで目にする。
写真は少し当時のイメージと違っているが、
どうにか都合を付けて伺ってみたいものだ。