以前は仙洞御所と呼ばれていたが、
東京に新しく仙洞御所が完成したので、
令和元年に「京都仙洞御所」に改名されている。
この場では煩わしいので以降は「仙洞御所」、
大宮御所も同じ理由で「京都大宮御所」と呼ばれる事もあるが、
「大宮御所」と表記させて頂きます。

休憩所で降りしきる雪を見上げながら待つ事20分。
ようやく解説員が拝観者を牽引される。



最初の御常御殿の車寄せ、
ここでの説明がやたらと長い。雪吹き降りしきる中、
多くの拝観者の様子から早く中に入りたいと思っているのが、
手に取るように分かる。

後で分かった事であるが、担当解説員により、
説明が多少異なり、その人により所要時間が異なるらしい。
基本は以前は50分ほどであったが、最近は一時間、
この時のベテランの解説員は70分、一番長いらしい( ´艸`)。



御常御殿は名前のとおり天皇が常におられた建物で、
以前は皇族が京都へ帰洛した際の宿泊、
又、外国の王室が来日した場合に宿泊されていたが、
今は近くの新しい迎賓館を利用されている。

 

 

 

 

 

 



大正年間に外国要人の為に内部を洋風に改め、
ガラス窓にレースのカーテン、バス、トイレ、
天井にはシャンデリアが飾られている。










ここでも説明は長く、潜り門の向うに庭園がちらつく。











大宮御所と仙洞御所には小堀遠州による庭園があったが、
ある理由により後水尾上皇により大きく改築され、










その後も火災により焼失、何度かの変遷を経て、
北池、南池として連結されるなど一体化し、
大きな池泉回遊式庭園としてバランスの取れた景観を見せている。









庭園には10個ほどの色んな種類の橋が架けられているが、
実際拝観で渡られる橋は8個ほどで、
この遠くに見える橋は確か土橋!









仙洞御所と大宮御所は同一敷地内に設けられ、
かつて聚楽第の後身として太閤秀吉が築いた
豊臣家の本邸「京都新城」のあった跡地である。

 

 

 

 

 

 

 


仙洞御所は後水尾上皇の為に造営され、
上皇の中宮であった東福門院の女院御所として
造営されたものがかつての大宮御所であった。
元々は築地塀で仕切られていたが、その壁は今は無い。








雪は時折激しくなり視界を遮るが、
こんなチャンスは二度とないと思い、夢中でシャッターを押しまくった。







 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大木が倒壊し、幹だけを残しているが、
等しく雪が積もっていた。










最初に見えた土橋にようやく辿り着く。











京都には俳諧の先駆者と言われている、
松永貞徳が造ったと伝わる「雪月花の庭」があった。

 

 

 

 

 

 

 

 



貞徳は寺町二条、清水、北野に庭園を造ったとされ、
寺町二条の妙満寺「雪の庭」、清水「月の庭」、北野「花の庭」と称し、
それぞれが成就院の塔頭であった事から成就院「雪・月・花の三名庭」、
あるいは「雪月花の庭」と並び称されている。


今は清水寺の成就院の「月の庭」だけは、
その当時の場所と景観を残しているが、
北野「花の庭」は昨年、北野天満宮に再現され話題になっている。
又、寺町二条の妙満寺は1968年に現在は「京のチベット」事、岩倉に移り、
その当時の面影を再現して、「雪の庭」ファンを楽しませている。



しかしこの仙洞御所北池の「雪の庭」は、
この称号にふさわしいのはここではないだろうか?
桂離宮、修学院離宮もそれ相応の景観を見せているのは分かるが、
こんなにもランドスケープが美しく、どこを撮っても絵になる、
雪が似合う庭園は稀だとつくづく思う。

 

 

 





最初はこの一回で紹介する予定だったが、
点数を多く撮った事もあり、仙洞御所南池は次回報告。