この小説は純粋な創作です。

実在の人物、団体に関係はありません。






山の端に日は近づいていた。

雲はきらびやかに層を重ね、

西の空は紅に輝いている。


しんと静まる林もまた赤く燃えている。

日と月が拮抗するこのひとときは、

天地は赤光の中だ。



鬱蒼と生い茂る枝が差しかわされる薄暗がりに、

影がうずくまっていた。

一刻も動かなければ、

それは葉影と変わらない。



その梢に陣取り、

同じ一刻を過ごした黒は、

いささか退屈していた。




くいたりない。

つまらない。

手きびしいものだが、

今のタケルに黒をひきつけるものはない。



恋に落ちる男など、

瑞月の周りには星の数ほどいた。

それを認められずにジタバタする様などは、

警護班チーフで見飽きている。

それでも離れようとは思わないのは、

待っているからだ。



鷲羽の門前に聳え立つ大樹は、

恋に悩む男と皮肉屋の猫を枝に乗せていた。



高いところも悪くない。

黒は祭のクライマックスを前にした鷲羽を俯瞰する。



館は小高い岡にあり、

里をうるおす川までを見はるかすことができる。

その道の半ばに、

人家の高さをゆうに超える階がそびえている。

その高さを圧巻というべきか、

それを組み上げた男たちの眼差しを圧巻というべきか、

おそらく後者なのだと黒は思う。



男たちは佇立していた。

それぞれの村から、

家々から

集ったままてんでんばらばらに。


晴着姿もそれぞれだ。

長衣姿は臣と家人だろう。

姿勢がいいのは武技で鍛えているからだ。

ピシッとした上っぱりに筒袴をまとう民たちの中では目立っている。


だが、

それらの違いは、

ただそこに皆が集っているという証にすぎない。



男たちは西を向いていた。

沈もうとする日を見つめて揺らがない。

それぞれの表情は見えない。

ただ晴着姿で男たちは日を見つめていた。




日が山の端に触れる。



男たちが

無言で館へと頭をめぐらせた。

そして、

館からは、

こそとも音がしなくなった。


黒も門へと視線を落とした。

むくりとはりついていた影が身を起こす。

葉影は赤く縁取られ、

人となった影は鮮烈な赤に染まった。




ジャリ ジャリ ジャリ‥‥‥‥。

子どもらが楽しげに敷いていた丸石を踏む音がする。

長が住まう離れの角を回って一群があらわれた。

髪を結いあげ、

肩口を紐て結んだハレの装いの女たちが、

肩に白木の台を担いでしずしずと進む。   



雨乞いの日、

みなが歓喜に沸いたそこに、

その影が長く落ちる。



長の居室は開け放たれていた。

女衆がその前に腰を落とす。

膝をつき、

白木の敷台が廊に続く一続きの道となるまで、

こゆるぎもしなかった。



音がない。

ただ影が伸び、

空に絢爛と繰り広げられる残照だけが、

ときを刻む。




衣擦れは、

門まで届くものではない。

だから、

純白の被衣が廊にあらわれたのは不意打ちだった。

それをつまむ細い指先がほの赤く日にそめられて、

黒は思わず身をふるわせた。



白い被衣が燃えたつ炎となり、

袴は熾火の暗さを抱いている。




金色の虹彩がすっと細くなる。

黒の小さな体も、

枝にそわせた男の体も、

夕闇に沈んでいる。


その闇をついて、

輿を見つめる男の心音が、

足もとからのぼってきていた。

まるで、

その腕に、

純白の衣ごと巫を攫わんとするかのように、

激しいものが噴き上がっている。



はあああーーーーっ

その声を、

黒は男の中で聞いた。



月 のぼる

〝耳〟が祝詞を謡いはじめたのだ。

と、

思うのと、

視野いっぱいに被衣を上げる指先が広がるのは同時だった。



胸の中に怒涛が渦巻く。

押し流されてゆく若者の声なき叫びは、

渦のはるか下で、

たぶん若者自身の耳にも届いてはいない。



空白になった魂に、

月光は凝り、

玉となって降りそそいだ。

その雨を黒は楽しんだ。



攫うなど

もはやできまい。

いま、

攫われたのは男の方だ。




白皙の肌に紅の唇、

そして闇を映すぬばたまの髪。

眸は残照を貫いて天をさす。



輿は門を抜け、

ゆっくりと坂を下っていった。



画像はお借りしました。

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