自らの人生の軌跡。
二度と戻れない過去を覗いてみると面白い。
同じ形の手帳を60年もの間、書き溜めていたのだが、
これも日記になるのかな。
しかしこれは、
文章ではなく、短いセンテンスでの書きなぐり。
パラパラとめくって見て、結局は燃えるゴミに出してしまった。
他にも日記を付けていたことがあるが、
これは毎日ではなく、
時々に思いついた下手くそな詩とか、
生意気な言葉などが残っていた。
小学生の頃のダメ男が、
社会人になって、家が良かったのか本人の努力か、
どんどん僕らを追い越し出世していった。
あいつが!
仲間も皆そう思っていたはず。
ところがその頃の日記に曰く、
”スポーツでも先行していた者が勝つとは限らない”
と。
負け惜しみだったな。
<ある年の記録から>
恥を忍んで大公開
<1876年>
さんま定食・・・400円
メンチカツ一枚・・・50円
コッペパンジャム付き・・・80円
肉なんばん・・・400円
・・・
こんなものしか食べられなかったのね、
その頃のボクは。
こんな一節も発見。
”未来の花は今の枝に咲く”
・・・成るほど。
”あじさいの花が雨にうたれた日
あの女(ひと)に似た子が通る
赤い傘さして
あじさいの花が色を変える日
あの女(ひと)を思う心は淡い初恋か
あじさいの花が枯れてしまった日
あの女(ひと)はもう帰らない
甘い初恋も”
赤く熟した実やその形だけを見て、
甘柿か、しぶ柿かを見分けるのはむづかしい。
しぶ柿も手を加えると甘柿以上の美味になる。
人もまた、見かけだけでは何も分からない。
柿が人に食べられるために赤い実をつけているわけではない様に。
他の者に理解されるために生きているわけでは決してない。
<1965年の作詞>
『兄と妹』
♪幼い時の妹は、鼻緒が切れたと泣いたっけ、
私の肩につかまって
学生の時の妹は、理解がないのと泣いたっけ、
私の胸を突きながら
恋をした日の妹は、とても素敵な人なのよ
笑って私に言ったっけ、
別れた相手を妹は、見損なったと泣いたっけ、
私の胸のその中で
私は言った、
いつの日も、素敵な奴はお前だけ♪
”人は水に溺れ、魚は空気に溺れる”
「体の弱い苦しさ。
教養のないみじめさ。
他人を羨むみにくさ。
する事のない寂しさ。
嘘をつかねばならない悲しさ。
良心にそむいた恥ずかしさ」
ロマンチストだったなぁ~。
半分も読まないうちにいろいろ考えさせられる。
歳月人を待たず。
90の坂を越える日記の抜粋より。
ご笑納のほどを。
応援、ありがとうございます。