妻とのキャッチボール | 呑気じじいのひとり言

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不思議な時代になっちゃった!

妻の遺骨の横に、

今も転がっている100円のゴムまり。

 

 

まだコロナ前だった頃、

特別養護老人ホームにいるアルツハイマー末期の妻の元へ毎日出かけ、

彼女の様子を見に行くのがボクの日課だった。

   

 

外から食べ物を持ち込むことは禁止されていたが、

持ち込むものが、栄養ドリンクとかヨーグルト類・焼きプリンなどで、

毎日通ううちに顔パスになり、暗黙の了解に。

 

 

三時にはおやつが出るのだが、

ゼリーとかプリンとかで、

職員の手を煩わせることなく、

いつもボクが一口一口、

スプーンを妻の口元へと運び食べさせていた。

 

 

秋になると、

ブドウや柔らかな柿など、

季節の果物を内緒で持ち込んだりして。

 

 

「美味しいかい?」

と聞くと、静かにうなずいてくれた妻。

 

 

口こそきけなくなってしまっていたが、

コチラからの問いかけに、まだ反応があり、

内容は理解出来ていたのだと思う。 

 

 

少しでも体を動かすようにと、

部屋の壁に取り付けられていた木製のバーにつかまり、

屈伸運動をさせたり、

 

 

1メートルとちょっとの間隔を取り、

車椅子が動かぬようにロックして、

ゴムマリを下からそっと妻に向かい投げ、

それをキャッチさせ、またこちらに返球させるという

一連の動きを繰り返しやらせてみた。

 

 

”続けて10回できるまでな”

と最初に決めてスタート。

 

 

8回、9回と出来て、さあ、あとひとつ!

・・・最後の一球で受け取れずに落してしまうと、

また最初からやり直し。

 

 

何度も何度も繰り返した。

妻も良く辛抱強く従ってやってくれたものだと思う。

 

 

出来た時は、

”すごい、出来た!”

と頭をなぜたりしたが、反応はない。

 

 

 

 

しかし、それも3日ぐらいで難しくなる。

投げられたボールを掴もうと腕は伸ばすのだが、

どうしてもタイミングが合わずに落すようになった。

 

 

元気な頃、2人で散歩した時などに、

道すがら途中にある広場の金網の柵に向かって、

ボクが思い切りボールを投げてみると、

走ってそれを拾っては投げ返してくれるのだが、

妻の返球はいつもとんでもない方向へ。

 

 

そんな他愛もないことで、

笑いあった日々が懐かしい。

 

 

その後は妻の病状も悪化し、

老人ホームから総合病院へと転送された。

 

 

位置的にはかなり遠くなってしまったが、

それでも、電車に乗り、駅からはまたバスに乗り換え、

一日も欠かさずに毎日見舞いに行った。

 

 

どこでも、”愛妻家ですね”と

職員や看護婦さんに言われたが、

決してそんなものではなく、

 

 

本当は、ボクの単なる気休め。

 

 

日に日に悪くなっていく妻がみじめで、

手を握ると握り返してくれていたのも、やがて一方通行になる。

 

 

そこで、例のコロナで面会禁止になってしまい、

まあ、行っても反応がないのだから、

なんの役にも立たないのだが、行かずにはおれなかった。

 

 

最近アルツハイマーの薬が開発され、

効果があるとか。

 

 

これからの患者さんたちに、少しでも役立てばいいですね。

 

 

アルツハイマーと診断されて、

8年目で黄泉の国へ旅立った妻。

 

 

人から見たら

ただ一人の老婆がこの世から消えたに過ぎないのだろうけど、

ボクにとっては長い長い物語があるのです。

 

 

 


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