サブタイトルは
「半年の節目に…目に見えぬ磁場を運勢に紡ぐ」
1年過ぎるのは早い…
思えば今年、初詣はちょっとしたトレッキングになりました
まったくもって「そのようなつもり」はなかったが…
人の列について自分も山道を登り始めると「引き返す」決断を
迷い、突き進んだという具合である
「あともう少し行ってみるか」と歩く内、真冬ながら汗をかいたと
いう…( `―´)ノ
頂上で見た街の景色は自分が歩んできた「全てを映す視界」でも
ありました
全体が一望でき、「1年の計」を誓うに相応しい…
同時に(人生の)反省の意味もあったかもしれない
「ふうふう言ってそれどころではない」というのもありました
下っていくと次から次へと社がいくつもあり、それはかつて夢にみた
光景と同じだったという…
「すべての実像はこの場所だったんだな…」(*’ω’*)
初夢は現実となる
初詣以来、オイラは今年特に「歩く機会」が多くなっている
決して意図的でもない…
「釣り」のホームグランドに「手厳しい地元河川」を再び選択
した
当初考えもしていなかったが、現実に今そのようになっている
頂上から見下ろした景色のど真ん中に地元河川の全容が見える
なんとなく「今年の行動パターン」はこのときに決まってしまった
半年後の今、そのように認識している…
元旦には想像さえしていなかった節約志向…止まらぬ物価高
個人的に「より厳しい」暮らしの現実も重なる
それでも「一つや二つ、何か楽しみは絶やさずに…」
初夏を迎えました…というよりもう「夏」だね
河川では水辺に沿う野草の森を歩くと散歩の女の人間に出会った
「おばんです…」と挨拶をしてきました
「今のはパっと見、人間やな…
この地域も夕方のあいさつを″おばんです″と言うんだな…」
しかし実際はこの場合、だいたいキツネである
平地の河川敷とはいうものの…
昼でも薄暗い森のけものみちを「いかにも慣れた足取りで」進んで
いきました
「釣りの下見」を兼ねていたオイラはうしろをついていったつもりが
迷子になりました
水辺と河川敷の、わずかその狭間の森で何度歩き直しても、もとの開けた
場所へ出られませんでした
「なぜに…?」(*’ω’*)
グルグルと廻ってしまっている(*’ω’*)
年じゅう釣りをしてきた自分の体験ではよくあることで、山中では
目印をつけていないと簡単な場所でも迷うもんである
今回は深い森でなく、向こうに見えている出口へなぜかたどりつけない
という
来た道がなくなっているからである…
そうなったときは…
ほぼ100%の確率で戻ることは出来ず、クモの巣だらけのうっそうと
した茂みを突破して軌道をリセットする場面が多い
脱出するとやはり大した奥行きではない…
現実の視界と「結界の向こう側で見る世界」はまた違う
また虫に噛まれました
日にちグスリで2~3週間はかかる…(*’ω’*)
広大な野草にはいろいろな生き物が来たり住んだりしている…
運がよければ「まれに出会える」とは聞いていた
本土ギツネなど…
このとき不思議と野鳥は1羽もいませんでした
先を見据えるのも大事だが…
意外と人生の落とし穴は2~3歩先に潜んでいる…
歩みを振り返ってみる…それらも大事だと気づくきっかけ多い半年
(あっというまに時が過ぎてゆくが)
「うしろを振り向く」ということは負に捉えられがちだが、前を
見るための作業でもある
過去の10年や20年は大して昔ではなく、まだまだ「つい最近の内」
である
今後へのヒントは…意外と身近な過去の歩みに見落としてきたもの
がある
これを拾い直せば今後のプラス材料にできるかもしれない
急ぐことなく、慌てなくてよいと思えば気もラクになる…
暮らしの変化も情報も全てが見通しづらい現代こそ…
ほんのわずか、リセットの習慣も「いいもの」かもしれない