いつの頃からか、新茶の季節になると
毎年、クラからお茶が送られてくる。
今年も届いた友からの初夏の贈り物。
コロナ禍が続き、さらに政情不安の
国々の様子を見るにつけ、当たり前
のように穏やかにお茶を飲む日々を、
大事に思うようになった。
朝、ゆっくりと淹れて飲むお茶の
時間が有難くて貴重に思う。
来年、いや明日の事だってだれも
分からないのだ。
お礼のショートメールにも書いたが、
朝、お茶を入れるたびにしみじみと
味わって飲む。
自分で買ったお茶だとこういう気持ち
にはならないかも知れない。
果物とかお菓子とかをお供えする場所に
「クラからの新茶よ」と、そっと置いた。
うちの母とも中学の時から知っているので、
我が家にも遊びに来ていた。
母が入院していたときにはお見舞いにも
来てくれた。
きっと母も喜んでいるだろう。
当のクラは昔のことは(同級生のことも)
ほぼ覚えてないので、多分うちに遊びに
来たことは覚えていないだろう。
思い出話のできない中学からの親友なんて
なーーーんも面白くない!
なんて奴だ。
しみじみとした話しのはずが悪口で終わる。