第2次安倍政権では、国の守りを強化する特定秘密保護法や

平和安全法制を次々に制定した。

その都度、10ポイント以上も支持率を落としたが、

安倍氏は戦い、全て成立させた。

 

私が主宰する「言論テレビ」で、安倍氏がどんな思いで

日々政治の場において日本を変えようとしているか、

語ったことがある。

当日は2015年9月11日、懸案の平和安全法制の審議は

山場を迎えていた。

民主党は国会での議論を拒否して、デモ隊と一緒に

安倍首相批判の声を張り上げていた。

 

デモの中で法政大学の山口二郎教授が、こう演説した。

「安倍に言いたい。お前は人間じゃない。たたき斬ってやる」。

またこうツイートした。

「日本政治の目下の対立軸は、文明対野蛮、道理対無理、

知性対反知性である。日本に生きる人間が人間であり続けたい

ならば、安保法制に反対しなければならない」と。

 

蓮舫氏も福島瑞穂氏も同法案を「戦争法案」だと論難した。

 

私がこの一連の批判について問うと、安倍氏はサラリと言った。

「知性対反知性と言われるのなら、『人間じゃない、

たたき斬ってやる』というのは言わない方がいいと思います」

「本当にこれが戦争法案なら私も反対します。アジア諸国も

反対するはずです。そうではなくて、ほぼ全ての国々が

賛成しています。戦争法案のはずがありません」

 

そしてこう続けた。

「自民党は相手(民主党)を攻撃するよりも、平和安全法制案

について、より時間をとって説明したいと思っているんです」

 

当時の国会での発言録を読めば安倍氏は説明を尽くしている。

しかし、野党の大部分は馬耳東風だった。

安倍氏はこうしたことの一切を我慢し、支持率低下にも耐え、

法案を成立させた。

いま、わが国の安全保障に欠かせない日米同盟がかつてなく

安定しているのは平和安全法制があってこそだ。

 

「言論テレビ」でも安倍氏の説明は見事だった。

平和安全法制の制定によってわが国は集団的自衛権の行使が、

一部だが可能になる。

なぜそうしなければならないのか。

安倍氏の説明は実によく整理されていた。

(1)集団的自衛権の政府解釈は40年前のもので、

当時はわが国よりも外国を守るためという概念だった。

(2)外国のためならそれは必要最小限を超えており

憲法違反とされた。

(3)ところがこの40年間に北朝鮮さえ核やミサイルを有し、

わが国を狙えるようになった。

(4)日本へのミサイル攻撃に備えて警戒に当たっている

米国のイージス艦が攻撃され、それを自衛隊の艦艇が

守らなかったら、日米同盟はその瞬間、大きな危機を迎える。

(5)米艦船を守ることはわが国の存立と国民を守るために

必要で、そのための集団的自衛権の行使はまさに必要最小限の

中に入る。

(6)昭和34(1959)年、憲法の番人である最高裁判所は

自衛権を国家固有の機能として当然だと認めた。

(7)日本国民を守るために必要な自衛のための措置とは何か、

政治家が考えなければならない。

(8)40年前とは違う状況下で、昨年(2014年)、自衛権、

集団的自衛権の解釈を変えた。それが平和安全法制だ。

一連の説明を安倍氏は一切の資料を見ることなく、

言葉が湧いてくるように行った。

安倍氏の理解力と説明能力には、官僚や他の政治家を

寄せつけないものがある。

頭脳明晰な人である。

 

安倍氏はその後、祖父、岸信介氏についても振り返った。

「祖父が『岸信介回顧録』で1960年の安保改定時のことを

書いています。安保改定で徴兵制に逆戻りするとか、

夫が戦場に行くことになるとか、戦争に巻き込まれる

という批判があった、ありもしないことを批判されて残念だ

と祖父は書いています。55年経って、いま、全く同じ

言論状況ですね」

 

祖父と孫は日本がまともな国になるように法制度を整え、

占領軍の急拵えの憲法のくびきから日本を解放しようと

その一生を捧げた。

日本国内では愚かな左翼勢力が岸氏の功績も安倍氏の

それも認めようとしないが、国際社会は安倍氏の貢献を

高く評価している。

安保法制に賛成の意を正式に表明した国々はアジア諸国を

含めて50以上に上る。

 

さらに、来日したカンボジアのフン・セン首相について

安倍氏はこう語った。

「日本にPKO部隊を派遣していただいたお陰で、カンボジアは

しっかり成長できた。いまは自分たちがPKO部隊を送り、

スーダンで医療活動をしていると言っていただきました。

PKOのときも菅直人氏らは非常に強く反対しましたね」

 

安倍氏は存分に自分の想いを語ったが、それでもこの日の

「言論テレビ」に安倍氏は不満だったと思う。

私が番組の締めで、安倍氏の課題に憲法改正があると

語ったからだ。

 

ただでさえ難しい平和安全法制に取り組んでいて、

もう1、2週間で法案が成立しようかという大事なときに、

私はそれよりもっとハードルの高い憲法改正を安倍政権の

課題として持ち出した。

ひとつひとつ結果を出さなければならない政治家にとっては

私の問題提起は余計なお世話だった。

 

一方、個々の政策の背景にも言及して問題提起するのは、

言論人としての私の役割でもある。

そして私は時に妥協を許さず、問い詰めすぎる嫌いがある。

安倍氏と私の関係は基本的に友好的であるが、常に一種の

緊張感があった理由である。

 

安倍氏と私は確かに同じ方向を向いていた。

「日本を取り戻す」と叫んだ安倍氏の気持ちは深く

理解できていると思う。

けれど、個々の政策になると、微妙な相違も生まれるのだ。

対ロシア外交においても、対中外交においても、大きな方向は

同じであるのに、眼前の政策については違いがあった。

その都度、私は質し、安倍氏は答えた。

 

 

 

 

 


 

にほんブログ村 その他日記ブログ 日々のできごとへ