まさに魅せる獅子舞!今治市にて、アクロバティックな「継ぎ獅子」を見てきた

愛媛県今治市には「継ぎ獅子」という珍しい獅子舞がある。肩の上に人が上り、上へ上へと伸びていき、ものすごく背の高い獅子が生まれるのだ。

てっぺんにいる子どもは獅子であるにも関わらず、獅子頭を被っていない。新潟県の角兵衛獅子のような子供の曲芸としての要素を感じる一方で、千葉県などの梯子獅子やつく舞のように天に向かって高く高く上っていく要素も持っている。江戸時代にもてはやされたアクロバティックさを今に伝える獅子舞と言えるだろう。

今だに子どもの担い手が途絶えないのは、観客を飽きさせない工夫と、晴れ舞台の高揚感が人の心を動かすからだと思う。その魅力について改めて知りたいと思い、愛媛県今治市で2022年8月7日に行われた市民祭り「おんまく」に行ってきた。

継ぎ獅子とは?

まず、基礎知識として、継ぎ獅子とは何か?について触れておきたい。継ぎ獅子は愛媛県今治市越智郡などで広く発達して演じられる曲芸的な立ち芸のことである。原型となる伊勢大神楽は人の肩の上に獅子が上がる「二継ぎ」の獅子が演じられるが、継ぎ獅子の場合は3段の三継ぎ、4段の四継ぎが当たり前だ。かつては五継ぎや六継ぎまであったこともあり、天へ届くように上へ上へと芸風を磨いていった結果とも言える。これは神様に近づきたいという表れであるとされる。また、獅子の長い胴幕が舞台幕となっており、舞い手が登場するときと帰っていく時に、この獅子の胴幕が入退場口として使われるというのは珍しい。頂点に登る子どもを獅子児(ししこ)と言い、扇や鈴を持ちながら舞う。獅子児は獅子頭をつけないという場合もある。

継ぎ獅子で獅子頭をつけない鳥生獅子舞

継ぎ獅子の由来

その起源は伊勢大神楽にあり、江戸時代中期の元禄年間(1688~1703年)に民間の間で盛んになり、春秋の祭礼や船下しの吉事に行われた。継獅子は二、三継の獅子が普通であり、今治市鳥生野間、越智郡大西町九王、越智郡菊間町、同郡波方町などで受け継がれている全国でも珍しい形態を持つ獅子だ。

今治の獅子舞の始まり

江戸中期頃、鳥生村三嶋神社の別当寺、妙釈寺の学信和尚が寺総代に「三嶋神社の祭礼の神輿渡御が貧弱だから獅子舞行列を加えたい」と申し出て獅子頭一頭と付属品全般を寄贈。氏子総代決議の結果、獅子舞修行を庄平氏に依頼。春から秋にかけて伊勢大神楽の流れをくむ獅子舞を習得して、村の若衆に教えたのが始まりとされている。今でも鳥生三嶋神社では、獅子発祥の地の石碑が建てられており、5月の祭礼では獅子が登場する。

※1845年の高山重吉によって明治初期に始められたのが継ぎ獅子の発祥という説もある。おそらく明治になってからの方が今の芸風にかなり近づいたということであろう。

今治市の市民祭り「おんまく」の様子

2022年8月7日に行われた今治市の市民祭り「おんまく」における継ぎ獅子の様子を振り返っておきたい。3組2回で、合計6組の演舞が行われていた。流れとしては概ね鈴をつけた通常タイプの獅子舞が登場したのち、胴幕と獅子頭を外して、人が肩の上に乗り出し、上へ上へと伸びていき背の高い継ぎ獅子が完成する流れだ。

これを2回繰り返して終演という場合が多かった。獅子舞が起伏に富んでいる上に激しく、観る者を飽きさせない獅子舞であると感じた。最前列で通常タイプの獅子の首振りを見ていると、かなり圧倒される。まさに「魅せる獅子」という言葉がふさわしい。

獅子頭と胴幕ありバージョン(阿方獅子舞)

獅子頭と胴幕をとった継ぎ獅子(阿方獅子舞)

参考文献

久保田裕道『日本の祭り 解剖図鑑』(2018年11月, 株式会社エクスナレッジ

阿方文化連盟会長 二宮大『阿方獅子舞・昭和~平成の歩み』(平成19年8月, 原印刷)

近藤晴清『愛媛のまつり』(昭和47年1月, 新居浜観光協会