沢村一樹の母親・兄弟の家族エピソード!父親はいなくても幸せな家庭だった

家族

この記事は沢村一樹さんの家族(父親、母親、兄弟姉妹)や実家にまつわるエピソードを紹介しています。

幼い頃お父さんが家を出てしまい、お金持ちとは言えなかったけれど、明るいお母さんのおかげでまっすぐに育ったという沢村一樹さん。

また、苦労をともにした妹さんはどんな方なんでしょうか?

さっそく調べていきましょう。

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沢村一樹の家族構成(父母・兄弟姉妹)

沢村一樹さんのご実家での家族構成は父、母、沢村一樹さん、妹の4人家族でした。

沢村一樹の父親

沢村一樹さんの父親は1986年、すでに亡くなっています。
今まで名前が公表されたこともありません。

若い頃は背が高く、キレイな顔立ちで目立つ男性だったようです。
お父さん自身のお写真はありませんが、20代の沢村一樹さんはお父さんに似ていたのでしょうか。

しかし女性関係はだらしなく、家庭では亭主関白。
気に入らないことがあるとすぐに食卓をひっくり返すようなこともあったそう。

お人良しな部分もあったのでしょうか。
知人の借金の保証人になり、1000万単位の返済を押し付けられたあげく会社員だった父親が姿を消したのは沢村一樹さんが12歳の頃。

風呂のない二間のアパートで親子4人の極貧生活だったそうですが、父親が消えてからはアパートに借金取りが押しかけて来たことも2度や3度ではなかったそうです。

沢村一樹さんが中学生になると、両親は正式に離婚。

しかしその後も、父親はたまに家に顔を出すことがありました。

いつもは無視を決め込んでいた沢村一樹さんですが、ある日、酔っていきなり訪れ、お母さんの悪口をくどくどと垂れ流す父親のむなぐらを掴んで

「二度とうちに来るな!お前がお母さんを悪く言うな!」と激昂したとか。

その夜を最後に、父と息子は二度と会うことはありませんでした。

2018年3月に出演した『徹子の部屋』では後日談が語られています。

沢村一樹さんが役者に憧れ、上京するため鹿児島でアルバイト生活をしていた19歳のとき、父親は他界。
57歳だったそうですから、まだ若い死でした。

「言い方が良くないかもしれませんけど、介護もしなくていいし、僕らにとってはいわゆる『子孝行』だったのかなって」。

引用:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/03/23/kiji/20180323s00041000184000c.html

お母さんに対する気遣いから、弔いに出向くことはひかえたという沢村一樹さん。

「もともと(父親を)憎んでいたわけじゃなくて、ただ僕は母の味方をした方がいいと思っていて。でもそれももう年を取って母親も親父についてあまり言わなくなったし、自分にも家族ができたのでもういいかなっていうのもあって」
引用:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/03/23/kiji/20180323s00041000184000c.html

この時葬儀に参列しなかった後悔は、ずっと心にあったといいます。

2000年、33歳で5歳下の女性と結婚した沢村一樹さん。
自らの家族を持ってからの帰省の折、父親の眠る墓が老朽化しているのを見て、新しく建て直しました。

今でも命日には可能な限り帰省、じっくり時間をかけて墓参りをするそう。
以下、妹さんのコメントです。

「つい先日も帰ってきて、お墓参りに行ったんですけど『もういいんじゃない?』と言っても、延々と掃除をしている。東京からわざわざ掃除セットも持ってきてね。こっちでも買えるのにって言うと『隅っこのコケを落とすにはこれが必要なんだ』って(笑)。兄も家庭を持ったことによって、父に対する思いが変わったんだと思います。

引用:https://gendai.media/articles/-/52563?page=4

墓石だけは新品のタオルで拭く、という沢村一樹さん。
葛藤を超えて、お父さんもきっと、たくましくなった息子を誇らしく思っておられるでしょうね。

沢村一樹の母親

「狭いながらも楽しい我が家」

夫がこしらえた借金を抱えて、女手一つで沢村一樹さんと妹さんを育てたお母さんの当時の口ぐせです。

苗字が変わると子供たちが学校で辛い目にあうのではないかと、正式な離婚に踏み切れなかったお母さんに『もう離婚していいよ』と背中を押したのは、当時13歳の沢村一樹さんだったそう。

子供たちに苦労を見せないよう明るくふるまっていましたが、昼間は化粧品の販売、夜になると近くのスナックと、一日中働き詰めに働いていたというお母さん。

その間にも借金取りが勤め先まで現れ、せっかくの給料を取り上げられてしまったことも。

子宮ガンを患った時も、患部を全摘出するほどの重大な手術だったにもかかわらず、わずか1ヵ月で退院。
すぐに働きはじめたといいます。
懸命にはたらく母親の姿を見て育った沢村一樹さん、反抗期を起こす余裕もありませんでした。

引用:https://kyun2-girls.com/archives/2612

「物心ついて反抗期と呼ばれるころにはもう親父がいなくて、会う機会もそんなになかったので、親父がいたらもしかしたら反抗期があったかもしれない」

引用:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/03/23/kiji/20180323s00041000184000c.html

上の画像を見てもわかりますが、種子島出身のお母さんは、若い頃から美人と評判だったとか。
芸能界に興味があったというのもうなずけます。

小学生の頃からマッシュルームカットのサラサラ髪と高い身長でモテモテだったという沢村一樹さん。
母譲りの明るい性格、勉強も運動も出来て、バレンタインにはチョコもかなりもらっていたよう。

成長に連れどんどんカッコよくなる息子に、芸能の仕事を期待するのは自然なことだったかもしれません。
実際、沢村一樹さんが俳優を将来の夢と決めたのには、お母さんの影響も大きかったそうです。

母は兄に身体的な長所を生かした仕事をしてほしいと考えていた。兄はバレーボールをしていたので実業団か、俳優かという感じでした 引用:https://gendai.media/articles/-/52563?page=3

2016年、雑誌アエラの企画で林真理子さんと対談した際、お母さんがどれだけ沢村一樹さんを自慢に思っているかが良くわかるエピソードが語られています。

鹿児島に帰り、繁華街に呑みに出ると「お母さんに会ったことがある」という人が次々と声をかけてくるんだそう。
一般人である母親がいったいどんなシチュエーションでこんなに大勢の人と出会ったんだろう?
不思議に思ってたずね返すと、

路面電車を待っていたらいきなり「私は沢村一樹の母なんですが、、」と話しかけられたというのです。
もちろん初対面!
お母さんにしてみれば、言いたくて言いたくて仕方なかったんでしょうね。

一日に何人自慢したらこんなに出会うんだろうと思うぐらい(笑)

引用:https://dot.asahi.com/articles/-/110696?page=2

現在は特別養護老人ホームに入所されているというお母さんですが、沢村一樹さんはたびたび帰省しては、足しげくお見舞いに通っているようです。

妹さんによれば(確執のあった)お父さんと同じ墓に入るのか?とお母さんにたずねたところ、
「せっかく耕蔵(沢村一樹さん)が建ててくれたお墓だから入ろうかね」とおっしゃったそう。

息子の思いを、どこまでも汲んでくれるお母さん。
やさしい方なんですね。

沢村一樹の妹

「ちなみに兄は母似です」引用:https://gendai.media/articles/-/52563?imp=0

沢村一樹さんの4歳年下の妹は、野村真美さん。
画像は『Astudio+』に出演されたときのものです。

引用:http://nostopnews.seesaa.net/article/459475318.html

ちなみにこちらの女優さんではありません。

昼夜問わず働いていたお母さんに代わって、幼い頃の真美さんを守ってくれたのは兄・沢村一樹さんでした。
アパートに押しかけてくる借金取りにおどしつけられる事があっても、常にお兄さんの存在があったため心細い思いはなかったそう。

ドラマ内で出稼ぎ先のボロアパートで膝を抱えているシーンを見た時、兄と二人で過ごした幼い時代を思い出して、涙が出ました。兄はどんな心境だったんだろうなって。
引用:https://gendai.media/articles/-/52563?imp=0

兄に比べ、父親の記憶がほとんどないという真美さん。

カメラはあってもフィルムを買うにも事欠くような暮らしだったため、家族そろった写真は一枚もなく、子供の頃の写真自体がほぼありません。

年に一度だけ、兄・母と三人で近くのレストランに洋食を食べに行くのが最高の外出だったそう。

レストランといっても、いつも出前を頼んでいる定食屋の隣の店。それでも嬉しくて、いつもよりオシャレして行きました
引用:https://gendai.media/articles/-/52563?page=2

上京前の兄を身近で見ていた真美さんに、当時の沢村一樹さんはどう映っていたのでしょう。

映画好きなのでレンタルビデオ屋のバイトは性に合っていたようです。

エッチなビデオ?その辺はどうでしょうね。見ていないはずはないと思いますけど(笑)。
引用:https://gendai.media/articles/-/52563?page=3

高校卒業後も変わらず女の子には人気があったようですが「当時兄には特定の彼女はいなかった」と真美さん。

「おカネもなかったし、友達といるほうが楽しかったのかも」と振り返っていました。

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沢村一樹の実家

1960年代、鹿児島市内にあったという古いアパート。
4畳半と6畳、風呂なしは親子4人が暮らすには、やはり手狭だったでしょう。

お父さんが出て行ってしまってからは、母子3人で協力し合う暮らし。
働き詰めのお母さんは食事を作る時間すらなく、近所の安い定食屋から出前をとることも多かったとか。
そのせいか、妹さんは生活に困っていると感じたことはなかったそうです。
沢村一樹さんも、明るく学生生活を楽しんでいました。
お母さんの愛情と献身あってこその、ご実家だったのではと感じます。

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まとめ:沢村一樹の家族と実家での様子

  • 沢村一樹さんのお父さんは借金に追われ家を出てしまいました。
  • 沢村一樹さんのお母さんはけんめいに働いて兄妹ふたりを立派に育て上げました。
  • 沢村一樹さんの妹は、信頼できる兄と明るい母に守られ、成長しました。
  • 沢村一樹さんの実家は古いアパートでしたが、お母さんの愛に満ちていました。

現在は3人の男の子の父親である沢村一樹さん。
芸能界という一見華やかな世界に身をおいても、幼い頃に貧しさを経験しているからこそ、子供たちに教えられることがたくさんあるかもしれませんね。

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