本当の「価値」を見誤らないために大切なこと

物事の本当の価値は、それが無くなったときに分かります。

典型的な例は、親の存在。
反抗期、口うるさい母親に、
「うるさい、くそババア! はよ死ねー!」
とひどい言葉を浴びせた息子も、実際母親が亡くなると
「おかあちゃーん!」
大声で泣き、孝行できなかったことを悔やむ。
「健康」もそう、「友人関係」もそう。
失うまでなかなかその本当の価値を認識することができません、残念ながら。

ですから、何かの価値を測るとき、その必要性を見定めるときは、それが無くなったときのことを想像することが有効です。
自分の周りの人やモノ・コトについて、一つ一つそれが「無くなって二度と戻ってこなかったら」と想像してみる。
すると、それらの本当の価値(自分にとっての価値)が見えてきます。
そこで価値を感じないものは捨ててしまえばよいでしょう。
そして残ったものを見回すと、思っていた以上に自分が価値のあるものに囲まれて生きていることに気づきます。
それは自分の人生の豊かさに気づくことでもあります。

仕事も同じでしょう。
気に食わない上司や、デキの悪い部下。
普段不満に感じている相手について、彼らがいなくなったらと想像してみる。
すると、彼らがいなければ自分の仕事も成り立たないこと、案外自分が助けてもらっていることに気づいたりします。
毎日提出するのが面倒な業務日誌や、中身が薄く役に立ちそうもない会議。
ムダに感じる業務日誌や会議について、それらが無くなったらと想像してみる。
すると、それらが無ければいざ自分が情報発信したいときには手段がなく困ってしまうことに気づく。
同時に業務日誌や会議を最初に導入した人の思いにも気づく。

ではそんな気づきの後、自分はそれら「上司」「部下」「業務日誌」「会議」に対してどう向き合うべきか。
それを考えるところから、仕事が豊かなものになっていきます。

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