151系と591系 / 京都鉄道博物館 | 安芸もみじ / Historys, Trains, Townbikes - Hiroshima JAPAN

151系と591系 / 京都鉄道博物館


国鉄新世代特別急行列車。

日本初の特急用電車のモハ20系こと151系電車の、3回目のUPです。

前回も前々回も、サラっと撮っていたので、今回はじっくり攻めてみました。



DE10とキハ81の並びも3回目のUPですが、初回は連結器カバーが向日町式の赤1色でした。

2回目となる前回は、オリジナルの赤とグレーのツートンに復元された、現在と同じカラーリングですが、ヘッドマークが特急つばめでした。

そして今回は、復元連結器カバーのカラーリングはそのままに、通常展示の特急こだまにヘッドマークが戻された姿です。



さて、じっくり攻めた写真と記事にする際に述べるつもりでいたので、撮影時に普段は見慣れない目線からや、181系ですが昔はホームからよく見ていた目線でも撮りました。

そして運転席の写真も。

貼ってあるシールは、博物館で見学者が入ること前提のモノで、昔の業務用ではないのが少し寂しく感じて。




運転席に貼ってある『静かにしましょう』も、1958(昭和33)年当時の、最新高床式運転台や高加速・高性能な電車に対して。

MAXハイテンションでエルビスの監獄ロックなどを歌いながら、ハンドルを握る運転手に向かって言っていたのではなく、きっと・・・・。

見学者に騒がないように促しているものと思われます。



1970(昭和45)年には走れコウタロウがリリースされますが、ノリノリで運転台に座る運転士さんはいないはずなので(笑)

国鉄晩年には飲酒運転や居眠り運転など、不祥事も新聞を賑わしたこともありましたが、ほとんどの運転士さんは安全に集中したプロフェッショナルでした。

ただ、こういったシールが貼られているということは、見学者が騒ぐ事案も発生しているのかな?と、モラルハザードを感じます。




そもそも展示してある151系はクハ151-0で、営業運転どころか試運転さえしたことの無い、モックアップ。

当初は客室と座席もあったそうですが、大阪交通科学館時代に切断されて今の車体長になりました。

それでも、161系・181系の原型である151系が、こうして現存していることには感謝するばかりです。



そう言えば赤とクリームに塗られた581系のモックアップも、鉄道ファンや鉄道ジャーナルで見たことがありますが、アレはいつ頃解体されたのでしょうか?

すごく気になるところです。

と言うことで、ここからは591系の写真です。



約1/20の模型ではありますが、JRグループが所有する唯一の591系電車でもあります。

台車は精密に組み上げてあり、振り子システムの構造と動作を直に観ることができる、貴重な教材となっています。

このDT96台車の成功が、その後の特急しなの・くろしお・やくもへ投入され、現在も伯備線で最後の務めを果たしている381系電車へと繋がります。



振り子システムはその後も進化を続けて383系・283系・885系などへ受け継がれましたが、振り子システムを搭載せず、台車に車体傾斜装置を組み込んだ車種も登場。

最後の国鉄型特急列車が定期運行をしている伯備線ですが、新車導入時には振り子システムを搭載するのか、車体傾斜装置付き台車を履くのか、とても気になります。

その始祖である591系電車の落成後は1970(昭和45)年3月27日に公式試運転を実施し、仙台運転所に配置されました。



東北本線で試験を繰り返していましたが、整備新幹線や幹線の電化計画に翻弄され、奥羽本線・羽越本線・鹿児島本線などを転々とします。

381系電車の設計が本格化すると試験は終了され、長い間岡谷駅構内に留置されていましたが、1980(昭和55)年3月26日付で廃車され、静態保存されることもなく同年秋頃に長野工場で解体されました。

ところで591系のDT96台車は大阪交通科学博物館で展示されていたのですが、同館の閉館後の行方は不明となっています。


ちなみに、京都鉄道博物館の591系はあくまで振り子システム実演の教材なので、運転席の部分が作られておらず"顔ナシ"となっています。

しかし客室内は成功に再現されていて、アルミ合金による荷物棚やリクライニングシートなど、車内設備の新機構も591系によって行われました。

14系客車や481系電車に採用されたのは簡易リクライニングシートでしたが、591系で実用化した普通車向けリクライニングシートはその後、全ての特急列車に普及されました。


さて、151系電車ですが、誕生して直ぐに高速試験が行われています。

最高速度163km/hを記録し、鉄道の高速運転の可能性を示しましたが、その技術の完成は昭和30年代に完成していたものの、在来線での160km/h運転は2002(平成14)年の特急はくたかまで実現しませんでした。

高速運転は車両の性能のみならず、信号や通信そして踏切などの設備の充実が不可欠だった故の、44年間という歴史の空白でした。

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World history,Today is Pacific Ocean Anniversary,今天是太平洋紀念日


Have you ever played or traveled on a boat?

I envy if it's an elegant trip on a passenger ship.

November 28th is Pacific Ocean Anniversary.

Last year was the 500th anniversary of the discovery of the Pacific Ocean.


This year is the 501st year since it was named the Pacific Ocean.

On November 28, 1520, Portuguese voyager Ferdinand Magellan passed through the straits at the southern tip of South America and left the Atlantic Ocean into the Pacific Ocean.

This strait was later named "Strait of Magellan".


And as Magellan sailed the Pacific Ocean, the weather was nice and peaceful, so he praised the sea as a "peaceful and calm ocean" and named it "Pacific Ocean".

At that time, it was one of the theories whether the earth was round or not, and it was considered reckless to go around the world.

Magellan himself was killed by aboriginal people in the Philippines, but his ship went around the world for the first time in human history and returned home, proving that the earth is spherical.


Magellan commanded the Spanish fleet, which consisted of five ships, and the King made special arrangements to name it the Magellan fleet after the fleet returned to Spain.

He died in the midst of his aspirations, but gave his name to the fleet in honor of his feat.

Thank you for your time.

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