(霊界の目撃証人 46)


「生きている死者からの手紙」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳


手紙28 汝、幼子のようにあらねば(後半)


 さて、創造を可能にする力というものは、濃密な素材をまとったとしても魂から失われるわけではない。だが、その力は次第に、大人の男や女の不信の念によって失われてゆく。彼らは子供たちにしじゅう言う。「それは遊びでしょう。本当じゃないのよ。単なる空想よ」

 君がこの手紙を出版する時は、ワーズワースの「幼い子ども時代の記憶、不死の暗示」と題した詩の一節を載せてほしい。

 我らの誕生は、眠りと忘却とに過ぎない
 我らとともに目覚める魂、生命の星は
 どこかで沈み
 再び遠方から出現する
 すべてを忘却したわけではなく
 完全に裸でもない
 栄光の雲を引き連れて、我らは来た
 神から、それが我らの住まい
 幼子の我らの周囲に天国がある

 牢獄の影が差し始めるのは
 成長する少年の上
 しかし彼は、光を見つめ、どこから流れてくるのかと
 至福とともに眺める

 若人は、東方より日々隔たり
 旅をせねばならぬが、なお自然の聖職者であり
 比類なきビジョンは
 彼とともに道を歩む
 
 遂に大人となれば、ビジョンは死んで行き
 日常の光のなかで消えてゆくを知る

 空想の可能性は無限大だ。だが最大限の力を発揮させるには、人は自らの空想を信頼しなければならない。もしも君たちが常に自分に、母親が子供に言うように、「でもこれはただの遊びよ、本当じゃないの」と言うのであれば、思考のなかで想像した何事であろうとも現実にならない。

 空想そのものが子供であり、励まし、信じさせねば、成長はしないし、完璧な働きはできない。

 君たちの幾人かにとって、私がここにいることは本当に幸運なことだ。そちらにいるよりも、ここからたくさんのことができる。それは私が自分の空想に、以前よりも断然深い信念を抱いているからだ。

 この世界を遊び場と表現した男は、自分の力でありとあらゆる実験を行なっている。彼が許可してくれないので話すことはできないが、君が驚くようなことだ。たとえば、彼は自分の妻を助けており、彼のいわゆる死後、以前には信じる心が足りなかったために不可能と思えた共同作業を実現しようとしている。それはある種の家を建設するという計画だ。

 だが、ここの大半の人が地上で家を建てようとしているとは考えないでほしい。まったくそうではない。私の同僚の市民たちは、いまいる場所で喜んで働いていて、地上には関わっていない。もちろん、私のような夢想家もいて、ひとつの世界では満足せずに、ふたつの世界に触れたがっている。だが、地上では詩人がまれなように、彼らも少人数でしかない。たいていの人間にとっては、たまたまいる世界で当面は十分なのだ。

 私には、ある空想があって、地上でそれを実現することに手を貸したいと考えると楽しくなる。私のしていることを君は知らないが、私は当然知っている。「世界のために」と君たちが言うような動機から、私が誰かの仕事に関わるのではないかと考える人を不快にさせるようなことは決してしない。だがもしも、目立たず、感づかれもせずに、私が自負する空想の力によって手助けできるのであれば、誰も傷つけずに、相当なことを証明できたと思うのだ。