(霊界の目撃証人 49)



「生きている死者からの手紙」(1914年の出版)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳



手紙22 永遠の蛇(前半)

 今夜は永遠について話したい。私はここに来るまでこの問題が把握できなかった。ただ年月や世紀でしか捉えられなかった。しかしいま、環の全体が理解できる。物質界から出て来ることや、そこへ入ってゆくことは、自我・心臓の収縮と弛緩と何ら変わらない。そして永遠という視点に立てば、ほんのわずかの時間でしかない。君には人生は長い時間だろうね。私もそう感じていたが、いまでは違う。

 人はいつも言うね、「もし人生をやり直せたら、あれやこれをやってみたい」と。しかし、誰一人として、同じ人生を繰り返しはしない。ちょうど心臓が1秒前に打った鼓動をもう一度打たないように。すべての人は次の人生のために準備することができる。君が人生に失敗したとしよう。すべての人は、その最高の理想から見れば、失敗するものだ。だが、考えることのできる人なら、その経験を吸収し、次へと持って行くことができる。彼は、地上でもう一つの人生を送るために陽光のもとへ出て来た時に、前の人生の経験を事細かに覚えていないかもしれない。幾人かは十分な訓練と強固な意志によってそれができる。だが、どんな人生であっても傾向というものがあって、自分では説明できない衝動や欲求はたいてい場合、持ち越されてゆく。

 君たちは、現在の人生が唯一のものと考えるクセを捨てなければならない。それに、死んだ後のこちらの世界で同じ状態が永遠に続くと考えてはいけない。こちらの希薄な素材のなかで永遠に存在し続けることに耐えられないのは、君たちが閉じ込められている濃密な素材のなかで永遠に生きられないのと同じだ。飽きてしまうだろう。我慢できなくなるはずだ。

 リズムの法則という考え方をしっかり記憶しておきなさい。存在するすべてのものはリズムの法則に従っているし、神々でさえ――私たちよりは大きな、長い干満のサイクルではあるが――そうなのだ。

 私は地上を去りたくなかったので、最期まで抵抗した。だがいま、当時の状態を思えば、私がここに来るのは必然だったとわかる。準備を早くしていたら、もっと長い航海のために、私という船に多くの食料を積み込んでいたと思う。だが、石炭と水を消費してしまったので寄港せざるを得なかった。

 小さな命の船であっても、70年という割り当てよりも長い航海のために準備することは可能だ。それでも石炭は節約しなくてはならないし、水を浪費してはいけない。人々のなかには水が命の液体だと知っている者がいる。

 死後の生が永遠ではなく、スピリチュアル界(霊界)で絶え間なく進歩し続けるわけではないと聞いて立腹する人が多い。しかし、反対する人の大半が、そもそもスピリチュアル界について自分で話していることの意味を知らない。

 永遠の命は、ほとんどの魂にとって可能だ――そうだ。だが、それは永遠にひとつの方向へ向かっているわけではない。進歩はカーブを描いている。永遠は環であり、蛇がしっぽを飲み込んだ姿をしている。君たちが濃密な素材の世界に出たり入ったりしない限り、物質を超越する方法は分からない。人々のなかには、自由に、濃密な素材に入り、また出ることができる人がいて、相対的な意味では、その状態でいつまでも留まることができる人がいる。だが彼らはどちらの世界も決して恐れはしない。