「生きている死者からの手紙 42」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

健康長寿&安楽死を、正心調息法&らくらく毛管運動で実現しましょ。
https://www.youtube.com/watch?v=TkUHQtQVZFc&list=PLbPRSTyFexIqLs9eYPCF84D4nS62I20vU
Raku Raku Workout (らくらく毛管運動)

らくらく毛管運動は、脳梗塞で両手が痺れたとき



手紙27 魔法のリング(前半)

 君の世界と私たちの世界の違いを、私の話だけで理解するのは難しいだろうね。素材の違いから言えば、私たちの体を作る素材や周囲にある自然な物体も、君たちとは違っている。

 こちらの世界のものを「自然な物体」と表現すると驚くだろうか? 私たちが自然とは無縁だと想像しているかもしれないね、そうではないかな? 誰一人として自然と無縁ではいられない――神ですらそうだ。自然は存在する。

 想像して見るといい、60年や70年も地上の重い肉体で過ごし、肥りがちで、関節が硬くなってリウマチになったり、時には体がストライキを起こし、ベッドの上で、たいていは不器用な修理を受けねばならないことを。その上で、この重い肉体を軽くてしなやかな形と取り替えることを想像してみるといい。想像できるかね? 正直に告白すると、私は1年前、2年前ですら、想像できなかった。

 太陽の粗い光が差さない時は、自分の場所を照らすに十分なほど発光するこの形をまとい、あちこちへと、人から人へと、アイデアからアイデアへと移動することを想像してみるといい。時間が経つにつれて、食事の欲求すら薄れてゆく。私たちはもはや、飢えや乾きに悩むことはない。だが、私の場合は、まだ少量の食事を摂っているが、以前好んでいたビーフステーキと比べれば、取るに足らない量でしかない。

 それに、私たちは地上の、些細な責務の数々にも悩まされない。ここでは、私たちは気分に頼っている。面会の約束はまずしない――何日の何時に会おうとかいう約束だ。一般に、例外はあるものの、欲求は両者から生じる。私が、ある友人と会って交流したいと願えば、同時に、相手もそうしたいと願っており、私たちは自然に出会うことになる。ここの友情はとても美しい。それでも、孤独はたいそう魅力的だ。

 最初の2、3か月以来、私は孤独ではなかった。当初は、水から出た魚のように感じていた。普通は誰もがそうだが、例外もあって、非常にスピリチュアルな人々は地上との絆はなく、野心も持たない。私は「死ぬ」という考えに必死で抵抗したので、この新しい状態は最初、失敗だと思えた。そして地上の、嵐とストレスに満ちた生活のなかでも、もっと有意義に時間を過ごせたのに、それを浪費したという印象を抱いてさまよった。