映写機のレンズに汚れがあったら、スクリーン上のすべてのシーンに黒いシミとして現れる!これが私たちの人生!?
あなたは映画館にいます。映画を映し出す映写機を思い浮かべてください。
もし映写機のレンズに汚れがあったら、スクリーン上のすべてのシーンに黒いシミとして現れますよね。
その作品がどんな映画であろうと同じシミが出てしまっています。
どんな映画のフィルムに変えようとも、レンズに汚れがあったらその全ての映画の全てのシーンに黒いシミが映ってしまいます。
よってそれは映写機のレンズから汚れを取り除く必要があるという事でもあります。
これが私たちの人生!?
そう、これが私たちの人生の正体なのです。
どういう事でしょうか?今日はそれを見ていきましょう。
スクリーンに汚れが映っているからと言って、この時銀幕であるスクリーンの汚れを拭おうとする行為は、頭のオカシイ人のする事です。
本当は映写機のレンズが汚れているのに、スクリーンを拭きに行こうとする行為は狂気の沙汰とも言えます。
実際に映画館で舞台に上がって、スクリーンの汚れを落とそうとしている人を見たらビックリしますよね。
あいつは何をやっているんだ!?と失笑を買いますよね。
しかし私たちは、この愚かに見える行為を本当に笑えるのでしょうか?
この映写機やフィルムとは「私たちの心の事」だとしたらどうでしょう?
ここで言うスクリーンとは「私たちが目にするもの、体験する事」だとしたらどうでしょう?
つまり私たちの心の映写機が、私たちの日常を映し出しているという事。
よって日常で起きている事とは、私たちの心が映し出したものだったという事なのです。
あなたの考えている事がフィルムとなって、世界に投影されていたのです。
しかしそれ以前に、私たちはそもそもその汚れを認識しているのか?という問題もあります。
これがある意味で「世界は幻想だ!」と言われる所以でもあるのです。
私たちの心が世界を作り出していたとも言えるのです。
自分で作っているのに、あいつは許せない!と言っているのです。
私たちは気に入らない事が起きたら不機嫌になるし、相手に不満を言ったりして責めてしまいます。
これって相手を変えようとしている行為ですよね。
つまり映画のスクリーンを拭こうとしているのと同じことなのです。
私たち人間には個々人としての学びと、人類全体としての学びがあるのです。
つまりは個々人の人生で起きる問題の解決方法があります。
同じく家族での問題の解決方法もあります。
そして国家としての問題の解決方法や、世界全体としての問題の解決方法もあります。
ステージは違っても唯一その原理は同じものがあります。
それは「心が映し出している」ということです。
しかし私たちは真の問題の原因である心は無視して、いつでも相手に向かって行きます。
あいつだけは許せない、あの会社は許せない、あの政治家は許せない等と・・・。
自分の外側と戦い続けて来ました。
しかし自分の心が映し出したスクリーンと戦っても、何も変わる事はないのです。
ですから個人でも団体でも「敵と戦う」という事の意味するところは、実は「自分と戦っている」という事になってしまうのです。
なぜならばこの世界を、そしてこの世界の登場人物を映し出しているのは自分の心だったからです。
だからこそ、すべての関係が「学びの場」だという事なのです。
人生とは「学びの場」であると言ったのは、この事からでした。
全人類が今、学びの途中にいるのです。
今、人間としてここにいるという事は、まだ卒業は出来てはいないようです・・・。
ですから私たちがクリアーすべき問題に見える事、それが私たちの人生での場面場面に問題を解く鍵があるのです。
相手を変えようとするのは、スクリーンを変えようとする愚かな行為なのです。
レンズの汚れをキレイにしない限り、スクリーンの黒いシミは落とせないからです。
ではそのレンズの汚れを落とすには、どう生きたら良いのか?という事になります。
それは「正しく生きる事!」、それに尽きます。
あなたは知っている筈です。
自分を誤魔化して生きて来た事を・・・。
しかし人生に黒いシミがあるからと言って、自分を責める必要はありません。
個々人の人生の中でのシミもありますし、人類全体としてのシミもあるからです。
私たちに出来る事、それは「今からどう生きるか?」だけが大事なのです。
私たちは他人を変える事は出来ません。
他人を、外側を変えようと戦っても何の意味もありません。
映画館のスクリーンを拭いても意味がないのと同じことです。
変える事が出来るのは、その自分の見方、心のあり方を変えることです。
映写機のレンズの汚れだけは、今すぐに拭くことは可能なのです。
心をキレイにする事。
自分の周りに対しての見方を変える事。
エゴというレンズの汚れを拭き取り生きる事は、今から出来ることです。
自分勝手な考え方はしていないだろうか?
愛のない生き方をして来てしまわなかっただろうか?
それらを正し修正して行く事!これは私たちが出来る唯一の事なのです。
実はこれだけで良いのです。相手を変えようとしてはいけません。
この唯一の事に手を付けずに、私たちは何と一体戦って疲れ果てているのかを考える時だと思います。
ヴィジョン / Vision
▼記事更新の応援クリックをお願いします▼
この記事へのコメントはありません。