長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『リコリス・ピザ』

2022-08-07 | 映画レビュー(り)

 青春恋愛映画として一応のハッピーエンドを見るが、この2人はそう遠くないうちに別れるだろう。映画レビューが結末から書き始めるなんて何事だと思うかも知れないが、ptaの『リコリス・ピザ』を観る上で予備知識は何の意味もないし、そもそもこの映画にはストーリーらしいストーリーがない。1970年代のハリウッド、サンフェルナンド・バレー。15歳の少年と25歳の女性が恋に落ち、くっついたり離れたりする。映画の冒頭で2人はこんなやり取りをする。「あなたは16歳になって、私は30歳になる。いつか私のこと忘れる」「忘れるもんか」。別れたって、結ばれなくたって、生涯忘れることのできない出会いはある。

 ptaの半自伝的映画とも言われるが、本人は1979年生まれ。これは彼が幼少期に見聞きした記憶と、本作で献辞が捧げられているロバート・ダウニー・シニアと轡を並べて撮っていたら、という映画かも知れない。とりとめもなくシークエンスは連続し、しかしここには無限に身を委ねたくなる夢見心地がある。pta映画を支えてきた故フィリップ・シーモア・ホフマンの息子、クーパー・ホフマンが主役に起用され、親父さんのキャリア初期を思わせるあどけない口元に「あぁこれはフィリップ・シーモア・ホフマンと撮ることの叶わなかった映画なのだな」という想いが込み上げた。『リコリス・ピザ』は叶わなかった想いが詰まったカリフォルニアドリーミングだ。

 そんな本作を地に足付けさせるのが主人公アラナを演じたアラナ・ハイムだ。ptaが度々PVを手掛けてきた3人組姉妹バンド“HAIM”の3女である彼女は全くの演技未経験だが、その魅力を知り尽くしたptaはこの才能豊かな女性に素晴らしいスクリーンデビューを果たさせた。心地よいハスキーボイスでエキセントリックなpta台詞を頼もしく回し、時折初期作を支えたジュリアン・ムーアのシルエットも過ぎった。物語の主観は彼女にあり、抑圧的な家庭と理想とは程遠い現実に揺れる25歳という重要な転機に立ったヒロインを描く“女性映画”でもある。

 ptaはダニエル・デイ=ルイス、ホアキン・フェニックスという現役最高峰の俳優たちを創作上のパートナーとしながら、本作では演技未経験の子どもたちにのびのびと遊ばせ、その無邪気さをカメラに収めているのが新鮮だ。要所にはトム・ウェイツ、ショーン・ペンらを配し、中でもブラッドリー・クーパーが瞬間風速を吹かす。pta映画おなじみの“どうかしちゃってる理不尽キャラ”で、てっきり終幕では「バーブラ・ストライザンドじゃねぇええ!」と現れ、ゲイリーと対決する『パンチドランク・ラブ』な展開を予想したが全然そんな映画じゃなかった(笑)

 日本では本国に遅れること約半年、2021年のオスカー作品賞ノミネート作では最後の登場となったが、この映画を観るには夏こそが相応しい。湿度のある東京の夜気も、この時ばかりは映画と僕を地続きになって実に心地良かった。


『リコリス・ピザ』21・米
監督 ポール・トーマス・アンダーソン
出演 アラナ・ハイム、クーパー・ホフマン、ショーン・ペン、トム・ウェイツ、ブラッドリー・クーパー、ベニー・サフディ

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