良い質問を考察することで、自問自答の質が高まる。 | キンジの自分軸哲学

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どもども。

 

今年のおみくじは、

大吉の次の大当たりの、

 

中吉でしたキンジです。

 

 

 

まぁ、

大大吉があれば、

 

大当たりとは言い切れないものではありますが・・・・・・(笑)。

 

 

 

でわ早速、

本日のお題目に入って行きましょう・・・・・・!!

 

 

 

 

そもそもとして、

 

物事には、

 

問いが存在しており、問いが存在するからこそ、

答えが出るもんではありますね・・・・・・??

 

 

 

また、

世の中的に言えば、

 

答えってものは、

勿論、

 

無くてはならないものでもあり、

 

それが存在しなければ、

 

何かを、理路整然と進めて行く為には、

支障が出てくるものではあります。

 

 

 

 

けれども、

答えって言うのは、

結局は、

 

一つのピースでしか無いと言う見方もする事が出来、

 

答えは無くてはならないものではありますが・・・・・・、

だからと言っても、

 

当事者意識として、

最も大切にしたいものとするには、

 

いささか、

 

心許ない存在でもあるとも、

言える事でしょう・・・・・・・・。

 

 

 

 

要するに、

 

答えを前提とした、考え方でもあり、

マインドセットであれば、

 

「自分自身の行動の、如何に、無駄が多いか??」

って事に、

 

フォーカスが集中してしまいガチでもあり、

 

その答えが、

元々は、

 

「何かを成し遂げる。」って想いの元の答えであったにも関わらず・・・・・・・、

 

「何かを終わらせたい。」とか、

 

「早く終わらせたい。」って想いに、

 

いつの間にか、

 

すり替わってしまう側面を、

孕んでしまうものであると言う事なのですよ・・・・・・・(^^;)

 

 

 

当たり前ではありますが、

 

「何かを成し遂げる。」って想いは、

勿論、

 

シンプルな、人の為とはなりうるものでしょうが・・・・・・、

 

「何かを終わらせたい。」とか、

 

「早く終わらせたい。」って想いは、

結果的に、

 

その場での、

 

自分自身の居場所を、失ってしまう行為と、

なってしまうと言う事なのです・・・・・・・・!!

 

 

 

まぁ、

 

嫌々行うような事や、

仕方が無く行うような事であれば、

 

「終わり。」を描いてしまうのも、

得策ではありますが・・・・・・、

 

僕自身の想いとしては、

 

「終わり。」を安易に、

描かない、もしくは、

意識しないからこそ、

そこに、

 

ゲーム性とか、世界観とか、

エンターテイメント的な要素が、必要不可欠となり、

 

それ以外の物事にも、

応用・流用していけるような、

工夫が生まれるものであるとは、

言い切れるものではあるのですが。

 

 

 

 

 

要するに、

 

だからこそ、

 

安易な終わりばかりを、

意識しがちな答えを、

重要視するよりか、

 

創意工夫が生まれるような、

質問でもあり、問いを、

「自分自身に課す。」

即ち、

 

良い質問こそを、

シチュエーションに応じた、

「自分自身の答え。」とするスタイルとする事を、

おすすめしたい訳ではある・・・・・・って事なのです。

 

 

 

 

まぁ、だからと言っても、

 

世の中で言う、

答えそのものが、

無くなってしまう訳じゃあありませんし、

 

答えは、結局は、

 

問いを立てる事で、出てくるものでもありますし、

 

我々の習性そのものが、

答えを求める性質を、

持ち合わせているものでもありますから、

 

安易かも知れませんが、

一旦、

 

答えを出した上で、

 

そのプロセスを、実際に行動に変換して行く際に、

本当の意味での答えでもあり、

自分自身にとっての

「良い質問。」を、考察して、

定義して行く事が、肝要とはなるものなのでしょう・・・・・・・!!

 

 

 

 

また、

答えって想いは、

 

学校の勉強でもそうだったでしょうが・・・・・・・、

結局は、

 

問い→答えと言う流れが、

自然でもありますし、

 

それが自然の流れであるとは、

言えるのでしょうが、

だからが故に、

 

答えが丸見え状態であれば、

モチベーションの維持の為には、

答えを隠す、もしくは、

答え自体を変換するって行為が、

必須なものとなりうるのです・・・・・・!!

 

 

 

その結果、

 

安易な答えでもあり、

誰が見ても丸わかりである答えは、

結果的に、

 

抽象度が高い答えに、

変換されて行くって事でもあり、

 

それを持って、

 

抽象度が上がるとか、

ステージが上がるとか、

言えるようになるのでしょうし、

 

そのプロセスを持って、出して行った答えは、

 

誰がなんと言おうと、

 

自分自身にとっては、

確かな、

「良質な質問。」となって行くものでもあり、

 

逆に言えば、

 

人の理解が、あまり無い方が、

結果が出せる分、美味しいものとはなりうるのでしょうね・・・・・・(^^)

 

 

 

 

ま、だからこそ、

 

スタートを切る時に、

注意が必要でもあり、

 

直接的な、理解を得る事が、

難しいが故に、

 

人と共同作業のスタートにおいては、

安易的な答えと見えガチでもあり、

 

自分自身の良質な問いは、

自分自身で、一人から、

考察して行く必要性があるのですが・・・・・・・。

 

 

 

 

また、

 

具体的な答えってものは、

勿論な事でしょうが・・・・・・・、

 

抽象的な答えってものも、

 

問いを立てる=マインドセットとする事で、

必ず、答えってものが出てくるものではあるのです。

 

 

 

 

要するに、

 

直ぐに、答えが出ないような問いであったとしても、

 

すごく、抽象的な問いであったとしても、

 

その答えは、

 

時間をかける事で、出てくるものではあるのです。

 

 

 

 

だからこそ、

 

良い質問には、

 

直ぐに、答えが出ないような問題こそが、

望ましいものでもあり、

 

その答えが、抽象的となる質問もまた、

問いを立て続ける為には、

望ましいものとなりうる事でしょう・・・・・!!

 

 

 

が、

そのプロセスにおいては、

 

具体的なプロセスでもあり、

具体的な、チェックポイントとなりうるような、

答えが、必要となりうるものでしょうし、

 

具体→抽象の変換にも、

慣れて行く必要性もありますし、

 

抽象は抽象でも、

 

多くの想いでもあり、

世界観でもあり、ゲーム性を踏まえた上での、

抽象的な言葉を、チョイスして行く必要性もあるのでしょうが。

 

 

 

 

まぁ、それが、

 

抽象度の高い言葉なのでしょうし、

 

具体的な答えってものは、

直ぐに出てしまうって事も、

勿論ありますが・・・・・・、

 

逆に、

 

具体的な答えを、直ぐには出せない問題ってものも、

この世の中には、

溢れかえっている事でしょう・・・・・・・。

 

 

 

まぁ、その大抵が、

 

具体的な答え=責任問題に関わる問題でもあり、

むしろ、

 

メンタルブロックにも関わってくる問題でもあり、

 

具体的な答え自体に、向き合えない問題でもある事でしょう。

 

 

 

 

そのような問題ってものは、

そもそもとして、

 

自分自身、個人からの問題とするには、

いさかか、

 

大き過ぎる問題であるとも言えますし、

 

そこに、

 

当事者意識を持ち続けられないのもまた、

仕方が無い問題であると言えます。

 

 

 

 

だからこそ、

 

個人からの、良質な質問を、

そこにぶつける事によって、

 

責任のバランスを取るって事が、

必須ともなり、

 

そこを過信すれば、

まぁ、

 

他人軸主体の、

当事者意識が、あるか無いのか、

良く解らない状態に陥って、

 

「面白い。」とか、

「面白く無い。」とか以前に、

 

自分自身の責任でもあり、

影響力を、より良く発揮する為の、

当事者意識が曖昧となり、

 

自分自身の人生でもあり、

 

もっと地に足を着ければ、

 

自分自身の生活の、当事者意識が薄れてしまうって事でもあるのです・・・・・・。

 

 

 

 

当たり前ではありますが、

 

自分自身で、当事者意識を持って、

企画して行った物事ってものは、

結果的に、

 

必ず、

 

「面白くなる。」事が、

保証されているのですが・・・・・・・、

 

だからと言っても、

 

他の人々との、関係性でもあり、

関わり方も関連してきますから、

全てを全て、

 

自己責任で、当事者意識を持てる問題とは、

なっていかないものでもありますし、

また、

 

より、その領域に近づく為には、

 

自分自身の、当事者意識の枠組みってものを、

絞った上で、

 

明確に、定義して行く事が、

必要とはなりうるでしょうし、

その為には、

 

インプットする情報そのものも、

絞り込む必要性がありますし、

そもそもとして、

 

インプットばかりじゃあ無く、

 

アウトプットする為の、

スペースの方が、大切な要素とは、

なりうる事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

まぁ、簡単に言えば、

 

インプットを一旦、遮断するとか、

 

瞑想的な、

 

何もインプットしない時間を確保するって事に、

当てはまってくるのでしょうし・・・・・、

 

その時間を持って、

 

「何も行動する気が起きない。」って事自体が、

 

健康な人であれば、

「あり得ない。」でしょうし、

もし仮に、

 

「何も行動する気が起きない。」のであれば、

 

それはそれで、

 

瞑想的な、

 

何もインプットしない時間を、

満喫し続ければ良いのでしょう・・・・・・・・!!

 

 

 

それはそれで、

 

良質な質問が生まれる=何かの行動を始める為の、

エネルギー源とはなって行くでしょうから・・・・・!!

 

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・・。

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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