坂本竜馬のファンの方には申し訳ないですが、大政奉還や、船中八策などは彼が提唱したもと言われてきましたが、

 

大政奉還の考え方も早くから、幕府側の優秀な官吏の中には、考えた人がいましたし(横井小南や勝海舟、大久保一翁など)、

 

船中八策も坂本竜馬が言ったかどうかも実際ははっきりしないようです。

 

彼はあくまでも、グラバーの手先として、武器を売りまくった商人気質の人であったのだと思います。グラバーは、前にも言いましたが、ユダヤ資本のジャーデンマセソン商会の

販売代行人だった人です。

 

京都の霊山公園に坂本竜馬の墓があり、いつも供え物でいっぱいになっていますが、ここは維新の志士たちの墓がいっぱいあります。

その中でも、坂本竜馬や中岡慎太郎の墓は一番下にあります。

 

一番上にあるのは、木戸孝允です。これでもわかるように明治維新全体では今言われているほどの人ではなかったのではないかと思います。

 

坂本竜馬の事は明治維新後、こういう人がいたと、新聞が特集記事を組んで書いたものを、

司馬遼太郎、取り上げ本にしたものが、あまりにも有名になり、偶像化してしまったというのが、本当のところではないでしょうか?

竜馬ファンのかたごめんなさい・・・

 

でも自由人で面白人であったことは間違いないでしょうね。

でも死に方について、脇があまり甘すぎますよね?