廿山北古墳(富田林市) ・丘陵地の住宅街の公園内部に保存された方墳

廿山北古墳

2021年4月訪問
廿山北古墳(つづやまきたこふん)は大阪府富田林市津々山台(つづやまだい)にある古墳です。富田林市西部に開かれた住宅地、金剛東ニュータウン(金剛東団地)の公園内に保存・整備された方墳で、間近で古墳を見学できる状態となっています。

廿山北古墳(富田林市)
廿山北古墳(富田林市)

廿山北古墳の所在する富田林市津々山台は羽曳野丘陵の南部に位置し、かつて廿山村(つづやまむら)の一部でした。その廿山村の村域には当古墳以外にも廿山古墳や二本松古墳など複数の古墳が確認されています。


歴史と概要

現地の説明板や富田林市のホームページなどによると、廿山北古墳は一辺約32m、高さ約7mの二段築成の方墳と考えられており、墳丘頂上の標高は130mとなっています。墳丘上に埴輪や葺石は認められず、出土遺物や内部構造についても明らかになっていないため、築造年代ははっきりと分かっていません。かつては古墳の周りに小さな灌漑用の溜池があったことから古墳には周濠があったとも考えられています。

廿山北古墳から約700m北東の石川を見下ろす羽曳野丘陵東縁には、古墳時代前期(4世紀後半)に築造された当古墳と同じ方形の墳丘を持つ宮林古墳があったことから、当古墳の築造年代も同時期とする説もあるようです。

廿山北古墳(富田林市)
説明板

廿山地区には他にも廿山古墳、二本松古墳、廿山南古墳、櫟坂古墳、廿山古墳(前記とは別の火葬墓・全壊)といった古墳があったようです。

前述のように、廿山北古墳は石川左岸(西岸)の羽曳野丘陵上の東部に位置していることから、当古墳付近から見渡せる平野部、つまり現在の富田林市南部の石川周辺に勢力を誇っていた豪族の墓であると考えられています。

廿山について

廿山北古墳の所在地周辺で、現在は難読地名としても知られる廿山地区の歴史を振り返ると、当地区は古来河内国錦部郡(にしごりぐん)百済郷に属し、後に廿山村と称するようになりました。廿山村は羽曳野丘陵南端に近い津々山(二十山)を開拓して出来た村のようで、字二本木には元弘2年(1332年)に楠木正成が築いた城の一つである津々山がありました。正平14年(1359年)12月23日に京都を発した足利義詮は南朝方の勢力下にある河内国に攻め込みましたが、翌年2月には和田氏、楠木氏が立て籠る嶽山城(だけやまじょう。龍泉寺城とも)から石川を挟んで3kmほど北西にある津々山に布陣しています。

江戸時代には隣村との争いが発生した結果、村の境界に一部の村人が移住し、「五軒家」と呼ばれる出郷を形成。

明治22年(1889年)の町村制の施行により、廿山村は同じ錦部郡の新家村、甲田村、加太新田と合併して改めて廿山村が発足。明治29年(1896年)には所属郡が南河内郡に変更となります。そして、明治32年(1899年)に廿山村が改称して川西村となり、昭和17年(1942年)、川西村は富田林町、新堂村、喜志村、大伴村、錦郡村、彼方村と合併し、改めて富田林町が発足することになります。なお、富田林町が市制施行し富田林市となるのは昭和25年(1950年)のことです。

第二次大戦後、パーフェクトリバティー教団(PL教団)が廿山の大部分の土地を買い取り教団本部を建設。後に遊園地(現在は閉園しています)やゴルフ場も建設されました。

高度成長期に入ると金剛ニュータウンの造成が始まり、次いで金剛東ニュータウンの開発も進められ、廿山地区の森林の多い丘陵地は小金台、高辺台、寺池台、向陽台、藤沢台、そして津々山台などといった新興住宅地となりました。昭和63年(1988年)、廿山北古墳は「りぼんどおり」に接した古墳公園、「津々山台2号公園」の中に保存・整備され今に至ります。


古墳の現状

廿山北古墳は、金剛東ニュータウン南方の津々山台3丁目にある津々山台2号公園の中に保存されています。

廿山北古墳(富田林市)
公園南側の出入口付近

津々山台2号公園は正方形ではありませんが、一辺90m前後のほぼ四角形で、廿山北古墳はその中心からやや北寄りに位置しています。

廿山北古墳(富田林市)
公園の北東角

公園の外周部分は所々に木々もありますが大部分が芝生のようで、その傾斜が古墳の墳丘を思わせます。

廿山北古墳(富田林市)
公園北西部の出入口

公園の周囲には、特に古墳についての案内も無いようなので、通りすがりの人が古墳に気付くことはなさそうです。

廿山北古墳(富田林市)
墳丘の南東にある説明板

公園の出入口は、北西側、南東側、南側にあるようで、公園内の遊歩道を歩くと必然的に公園中央にある木々に覆われた「高まり」が目に入ります。

廿山北古墳の説明板は古墳の南東側に設置されています。

廿山北古墳(富田林市)
南西から見た墳丘

墳丘自体は柵があって立入禁止となっていますが、かなり近くから見学することが出来ます。


石川谷に存在し、富田林市南部に勢力を誇った豪族の墳墓と考えられる古墳は当古墳以外にも廿山古墳や彼方丸山古墳西野々古墳群等々ありますが、隣接する私有地などのために近くで見学できる古墳は多くありません。廿山北古墳は公園内に保存・整備され、地域住民の憩いの場としても活用されている貴重な文化財ともいえます。


アクセス

南海高野線「金剛」駅より出ている南海バス「津々山台二丁目東」バス停の約50m西にある交差点を南に入ると150mほど先に津々山台2号公園が見えて来ます。

国道170号(外環状線)の「西甲田」交差点から西に進み、約450m先の交差点を左に。さらに450mほど進み歩道橋の手前を左折すると約150m先に津々山台2号公園があります。地図上では国道309号から100m程しか離れていませんが、国道309号はかなり低い所を通っていて住宅地との連絡には大きく迂回する必要があります。

なお、公園に駐車場は無いようです。

Tsuzuyamakita tumulus(Tondabayashi City,Osaka Prefecture)


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