鍋塚古墳(藤井寺市) ・駅前に残った「沢田の七ツ塚」の一つ

鍋塚古墳

2021年11月訪問
鍋塚古墳(なべづかこふん)は大阪府藤井寺市沢田にある古墳です。近鉄南大阪線の土師ノ里駅の改札を出ると目の前に現れる古墳で、国道にも面しているため周辺の住民だけでなく、行きかう多くの人々が日々無意識のうちに鍋塚古墳のそばを通っていることになります。

鍋塚古墳(藤井寺市)
鍋塚古墳(藤井寺市)

鍋塚古墳は藤井寺市から羽曳野市にかけて広がる古市古墳群に属する方墳で、国の史跡に指定されていますが、令和元年(2019年)7月にはユネスコの世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群 古代日本の墳墓群」のリストにも登録されています。


歴史と概要

現地に設置されている説明板などによると、鍋塚古墳は方墳で、墳丘長は現状一辺40m前後ですが、周辺の調査成果により一辺約63mに復元することが出来ます。高さは約9.7mで墳丘は二段に築かれており、周囲に濠を巡らせていたと考えられています。

古市古墳群に属する方墳としては浄元寺山古墳(藤井寺市青山)や向墓山古墳(羽曳野市誉田)に匹敵する大きさで、全国的に見ても10位以内に入る規模です。

全国で9番目、古市古墳群で2番目、さらに藤井寺市内で最大規模の前方後円墳である仲姫命陵(仲ツ山古墳(仲津山古墳))の外堤に食い込むような位置に築かれていることからその付属墳(陪塚)とみられています。

鍋塚古墳(藤井寺市)
説明板

鍋塚古墳では発掘調査が行われていないため、埋葬施設や副葬品などについては明らかになっていませんが、円筒埴輪列や墳丘斜面に葺石があることがわかっています。また、墳丘の表面では、家、衣蓋、盾、靫形などの形象埴輪の破片が見つかっています。円筒埴輪には黒斑があり、類似の埴輪が出土している仲姫命陵との関係が指摘されているそうで、築造時期は4世紀末葉から5世紀前半と考えられています。

ちなみに、南河内では富田林市の式内社美具久留御魂神社の北側にも鍋塚古墳がありましたがこちらは既に消滅しているようです。

鍋塚古墳(藤井寺市)
駅(手前)と古墳(右奥)

沢田の七ツ塚

鍋塚古墳の周辺には「沢田の七ツ塚」と呼ばれた中小規模の古墳が数多くありましたが、戦後の宅地化や道路建設などの工事のために次々とその姿を消して行きました。そんな七ツ塚の中で最後に残った鍋塚古墳は昭和31年(1956年)に国の史跡に指定されました。また平成13年(2001年)に行なわれた史跡の追加・統合指定では本古墳を含む14基の古墳が「古市古墳群」の名称で改めて国の史跡に指定されました。

消滅した沢田の七ツ塚の一つである高塚山古墳は鍋塚古墳の北側にあり、ほぼ同規模の方墳または円墳で、鍋塚古墳と同様に仲姫命陵の陪塚であったといわれています。高塚山古墳は道路拡張工事により消滅する前の昭和29年(1954年)に発掘調査が行われ、6mを超える長大な割竹形木棺とそれを覆った粘土槨が埋葬施設であることが判明しています。内部の副葬品は既に盗掘にあっていましたが、鉄製武器や革盾(ほぼ原形を保っており紋様や彩色も留めていた漆塗のもの)、農工具類、ガラス小玉、管玉が残っていました。高塚山古墳の周辺には長持山古墳や唐櫃山古墳もありましたが共に消滅しています。

また、七ツ塚とほぼ同じ古墳群を指すと思われる記述が大正時代に編纂された「大阪府全志」にあります。その大字澤田の項には「古塚五あり」として、具足塚、小具足塚、唐櫃塚(長持山)、高塚、鍋塚があったと記されています。それらの古墳は小具足塚を中心に梅花形に配置されていたそうで、小具足塚の北に具足塚、東に唐櫃塚、西に高塚、南に鍋塚があり、鍋塚には雑木、他の四つの塚には稚松が生えていた他、唐櫃塚には石棺が露出していたと記されています。


古墳の現状

鍋塚古墳は国道170号(旧道)と府道12号堺大和高田線(ヤマタカ線)が交わる「土師の里」交差店の南西、近鉄南大阪線「土師ノ里」駅の西南西にあります。また、当古墳の150mほど北には長尾街道が、約250m東には東高野街道が通っており、周辺は古代から交通の要衝であったといえます。

鍋塚古墳(藤井寺市)
古墳(左)と国道と駅(右)

西向きに造られた駅の改札を出ると、国道を挟んだ向かい側のやや左手に鍋塚古墳があります。

鍋塚古墳(藤井寺市)
北東から見た墳丘

鍋塚古墳の墳丘には周辺にある他の古墳と同様に木々が生えていましたが、平成24年(2012年)頃に伐採されて芝生に覆われた公園のように整備されたようです。なお、現状では横から見ると方墳というより円墳のような印象も受けます。

鍋塚古墳(藤井寺市)
南東にある入口

駅前にある「土師の里」交差店を渡り、国道を50mほど南に歩くと説明板や「史蹟 鍋塚古墳」の碑が建つ墳丘の上り口(入口)があります。

鍋塚古墳(藤井寺市)
北西の景色

階段を上りきると、まず大阪市内の都心部を背景とした北西方向の町並みが広がります。

鍋塚古墳(藤井寺市)
南西にある仲姫命陵

そこから左(南西)を向くと、数軒の住宅の先に鬱蒼と木々が生い茂る小山が見えますが、こちらが大型前方後円墳の仲姫命陵です。仲姫命陵の北側に接するように澤田八幡神社古室八幡神社が鎮座しています。

鍋塚古墳(藤井寺市)

さらに左、南東方向には町並みの遥か遠くに二上山から連なる葛城、金剛の山々が見えます。写真では木の上部しか写っていませんが、300mほど南東には蓮土山道明寺道明寺天満宮があります。

鍋塚古墳(藤井寺市)
駅のある北東方向

最後に駅のある北東方向を見ると、手前に国道170号(旧道)が横切り、その先に土師ノ里の駅舎が見えますが、国道と立体交差する線路は台地を削った低地に敷かれているのでここからは見えません。ちなみに、駅の開業は大正時代で、国道(開通時は産業道路)や府道が開通したのは昭和に入ってからです。

なお、駅舎の奥やや左手に見える森は允恭天皇陵(市野山古墳)で、右手には土師ノ里八幡神社があります。

鍋塚古墳(藤井寺市)
南側の月極駐車場より

古墳の全体像は東側の国道からが最もよく見えますが、北側からの線路越し、南側や西側の住宅街の合間からも見ることが出来ます。


鍋塚古墳の現状は整備された公園の芝生の山のようになっており、駅前で国道沿いという大変見学しやすくなっています。


アクセス

近鉄南大阪線「土師ノ里」駅改札前からは、国道170号(旧道)と府道12号堺大和高田線が交わる「土師の里」交差店で国道を渡り、南(改札からみて左)に50mほど歩くと古墳の入口があります。

鍋塚古墳に見学者用の駐車場は無いので、車の場合は「土師の里」交差店の西、あるいは「土師ノ里」駅から少し南のコインパーキングを利用すると近いです。

Nabezuka Mounded Tomb(Fujiidera City,Osaka Prefecture)


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