朝っぱらから雨の日には
たいていジャレットさんを聴きながら1日をスタートさせたりするんですけれども
今日は、いつもと違う反応をしておる自分がおりました。
 

 

 


珍しいことに

もうかれこれ3年ぶりぐらい?と思うくらいひっさしぶりに

朝っぱらから米モード=和朝食的な。

 

とりあえず冷凍保存の白米をチンして、卵をテキトウに焼いて、ジャポンの梅干し添え

ここまで来たら、手前味噌にも登場願ってみようではござらぬか、になった。

これは、もう2年以上ジャポンへ帰れていない自分の郷愁の念からなのか(意識したことはまだない)、先日看取った友の望郷の念の残像なのか知るよしもござらぬが

この曲となんちゃって和朝食なんで、きっと姉さん(亡き友)の残像の念かも知れへんな、と思ってワタクシを通じて一緒に食べよなと話しかけましたん。

 

 

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旅館のやうな豪華さもなければ、映えもしない(笑)質素な朝飯やけど

米も味噌も梅干しも姉さんに使ってくれと送られたジャポン製やし、(草類は自家栽培よ)、それなりに仏国では高級食材な朝飯かも知れまへん。

まあ、美味けりゃいいのよ。(実際涙が出るほど美味いんだもの)

それにこれらは本来姉さんが生きておるうちに食べるはずやった食材でござんす。

 

雨垂れの音を聞きながら、ジャレットさんでもかけよか、と支度をしていると

自然にある思い出の曲を口づさんでおりんした。

今朝の気分は朝から映画音楽のLa chanson d'Hélène が頭の中をぐるぐると。

なんで今日、ふとこの曲なんかは分かりませんけれども

この曲は姉さんとの永遠の思い出の曲の一つやからかも知れません。
 
これは1970年の名作、いや仏国を代表する名作の一つと思う
Les Choses de la vie (過ぎ去りし日の...)という仏国映画で流れる曲で
エレーヌの歌、という映画のシーンでは流れへんバージョンなんですが、主演のロミー・シュナイダーが歌い同じく主演のミッシェル・ピッコリが語りを入れている、
静かで儚くも切ない名曲でござんす。
 
 
 
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静かすぎる部屋での養生は一人の時には寂しかろうと思って、
ラジオやと時間帯によっては騒々しすぎるし、とりあえず綺麗な音楽やと思うCDをかき集めてクラシックやらジャズ、映画音楽などを選んでいるとオットが一押しだと言った一枚がこれでござんした。
ふ〜ん、どれどれ、と思いながら流し始めたらね、
姉さんは仏語で一緒に歌い始めましたんよ。
それはもう穏やかで嬉しそうな表情やったのを覚えています。
ああ、思い出のある映画なんやね、とその頃は思ったものですけれども
その後姉さんの人生を深く知ることになり、この映画のある種のニュアンスは同じではないけれど彼女の人生に重なる部分がありそうで、この映画に対する彼女の気持ちが少し分かった様な分からん様な気になったりしとります。
 
そしてこれは、献身的なケアに加わってくれた仏人マダム(ワタクシの親友のママンである)と姉さんが一緒によく歌った思い出の曲の一つでもありんす。
雨の朝、仏映画に味噌汁かい、という今日のツッコミどころは我慢していただきつつ
改めて、この映画のことを思い出すきっかけにもなりんした。
 
 
恐らく、仏国映画ファンなら知らぬものはおらん名作の一つやし、ワタクシたちから上の世代の仏人でこの曲を知らん人は殆どおらんのちゃうかしら(全部とは言わぬ)
ついでに言うたらこの作品はアメ〜リカでリチャード・ギアとシャロン・ストーンの主演で「わかれ路」Intersectionというタイトルでリメイクされとるんですよ。
あれも良かった記憶があるけど、オリジナルのフランスの景色とかファッションとか
やっぱり身近に感じる分より魅力を感じるかな。
なんと言ってもロミー・シュナイダーの眼差しがもうスンバラしい。
元はドイツの女優さんやったけど、もはやフランスを代表する大女優よ。
 

 

 

 
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ある時、姉さんが

訪問看護師のステロイド剤の投与時間にミスがあり一晩中眠れなくなった夜

気を遣って頑張って寝ようとしているところに、悪い子チャンピオンの黒モフがうず坊と部屋にやってきて一緒にお歌を歌いましょうと唆しました。

思えばこれが真夜中の宴会(魔女の夜宴)の始まりやったかな。

そしてついに医療ベッドが導入された日の夜も、この曲を口ずさみ聴き入りながら

ワタクシは姉さんの手を握りながら厚かましくも隣に滑り込んで添い寝を企てマットレスの心地よさにうっかり本気で寝落ちしてしまう醜態を晒したり(←お前が悪い子チャンピオンやろ)

物悲しい曲にも関わらず、ワタクシが関わるとなんやお笑いの情けないオチになったものです。
でも、幼い姉妹みたいな気分で(立派なオバハンですけれども)ワクワクしたわ。
 
 
 
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あの頃は、
いろいろ大変な事も多かったけれど
それと同じだけ、素晴らしい時間もあって最後の日々を一緒に過ごしてくれた姉さんがくれた思い出に救われている自分に気がつくんですよ。
 
あの頃は、
姉さんには何度も眠れない夜があって、
一日中横になってるんやもの、眠たくなければ眠くなるまで一緒に楽しもう!と
その度に夜を徹して思い出話をしてみたり、一緒に歌を歌ったり、子供の頃好きだった好物のことを思い出しあったり、くだらぬ冗談でケラケラと笑い
食が細くなった彼女の食欲を引き出す作戦が効果を発揮したのものでしたっけ。
(まあ、魔女の夜宴なんで夜中に歌声やら笑い声が響き渡る家ってちょっとアレですけれども)
 
それからどんどん体調が厳しくなって、最終段階の鎮痛鎮静体制に入った時にも
やはりこの曲が流れると、姉さんは痛みをふと忘れるかのやうに一緒に口ずさみ
あるいは鼻歌で反応し続けて、私やマダムと一緒に歌っておりんした。
きっともう無意識下の状態の時ですら。
 
 
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彼女にとってのフランス、
古き良き時代の仏国と人々の仕草、そのファッションや調度品や景色をこよなく愛していた彼女にとってのこの映画は物語の内容を超えた、心に深く刻まれた作品の一つやったのかも知れまへん。
偶然とは言え、オットが勧めてくれなければ分からず仕舞いやったことですよ。
彼の機転にはいつも陰日向なく救われております。
 
 
さて、朝飯が済んだら
やっぱりワタクシたちの朝のルーティンの一つやったジャレットさんを聴きながら
姉さんの愛した温かいお茶でも淹れるとしよう。
 
いや、今日はもう一回エレーヌの歌を聴こうかな。