近所の桜並木を通って春を感じ、
家の薔薇のつぼみの開花が楽しみで、気分はハッピー。
なのに、右目の瞼が痙攣しまくり、
今日は腕が痛くて、身体が重い。
昨夜は久し振りにたっぷり寝た。
元気いっぱいのはずなのに。
目はWBCやらネットフリックスやらの見過ぎ?
だるさは、襖のせい?
好きな事をした結果の疲労ならどうでもいいか。
弟が「前からだるいと言ってよく休んでいた。息切れも無く、単なる疲れかと思っていた」
と、奥さんの病気のことをしかめっ面で話していた。
コロナもだるさを先に感じることもあるし、
パルスオキシメーターを使っていたら、おそらく血中酸素濃度が悪かったはず。
持っていたなら何故使わなかったのだろう。
そうすれば、病院で検査し旅行にも行かずに済んだ。
結果論で、今更な話だが、この夫婦だったからこうなったと思えてしまう。
弟夫婦は、病気に関しては無知、無関心な方だ。
弟は定期的に検診を受けているが、病気をしたこともなく、
身近に持病を持つ人もいないので、甘く考えている。
アレルギーに関しても、気のせいと言っているレベルだ。
奥さんが花粉症を治療していたのも、大げさと思っていた様だ。
だから、弟に、具合が悪いと家族が訴えても、
どうせたいしたことないだろう、気のせいだろう、と仮病扱いしがち。
母も奥さんもそのせいで手遅れになったようなものだ。
反省したと言っているが、人はそう簡単には変わらない。
母を3度仮病扱いした事を反省したはずが、奥さんの訴えも軽く流していた様だ。
本人も病院嫌いで、検診もいっていなかったことも良くなかった。
家族が、だるいと寝ていれば、何か探ろうと、パルスオキシメーターを使ったり、
病院に連れて行くと思うが、放置していた。
その事を、後悔はしている様だったが、誰でもそうだと決めつけていた。
人の傷みを想像する力に欠けている。そこは父に似てしまった。
その点は、冷酷に感じる。
そんな性質なのに、いざ亡くなると落ち込むことのギャップが腹立たしい。
そんなに落ち込むなら、何故もっと早くに相手の辛さを信じてあげなかったのと言いたい。
ここだけの私の本音。今の弟には言えない。
次に同じ状況があった時に、指摘しようと思う。
奥さんの場合は、若い時からいつもだるいと言って
嫌なことから逃げる人だったから、いつものことと思っていたのだろう。仕方が無い。
それにしても、同じ体勢をとった後にくる腰痛と左腕の痛みは治らない。
目の硝子体後部剥離も終わっていないし、網膜剥離の心配はまだある。
自分の老化はてきめんに身体に出てきている。
いつかくる72歳の壁。
それまで生きているだろうか。