このコーナーは、私が東海道五十三次を
京都から江戸(東京)に向かって、
ちびちびと歩いている記録を、
文と写真でつづっています。
まずは「(徒歩で)日本橋に到達する」を
目標に掲げて、頑張っています!
私の東海道旅は「広重の浮世絵作品」を
キーワードとしています。
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これまでの旅の記録は、こちらの目次 をごらんください!
三
ちょっといい和・東海道編です!
今回は、静岡県の舞坂(まいさか)宿を散策します。
舞坂宿は・・・
日本橋(江戸)から数えて30番目の宿場町です。
近くの浜名湖は、大昔は陸地続きの閉じた淡水湖でしたが、舞坂を描いた歌川広重の作品の1つ
「舞坂 今切真景(いまぎりしんけい)」 をごらんください。
「これが版画だなんて・・」といつもビックリします。
今回の移動ルートはコチラです
< おおまかな流れ >
1. スタート: 舞坂宿常夜燈
2. 北雁木(きたがんげ)跡
3. 本雁木跡
4. 西町常夜燈
5. 舞坂宿脇本陣
6. 本陣跡
7. 仲町常夜燈
8. 一里塚跡
9. ゴール:見付石垣
では、本編をどうぞ
舞坂宿常夜燈から徒歩約1分で・・
渡船場跡 北雁木(きたがんげ)に到着。
こちらは、すぐそばに案内板もありました。
助かります。
また、さらに3分ほど歩いた所に
本雁木跡
案内板のみでしたが、本雁木跡というのがありました。
本雁木跡と、道路を挟んだ反対側には
西町常夜燈
最初、石灯ろうだけを撮影していましたが、
すぐそばに案内標識がある事を後で知り、
この記事を書く時(地図を作る時)に役立つかも?と
パチリ!
この写真だけでも、なかなか不思議な写真だな~と
あとから感じています。
そして、次に向かったのはの標識に載っています
舞坂宿脇本陣跡
実はこちら「東海道に現存する唯一の脇本陣の遺構」とのこと。
1838年に建築された茗荷(みょうが)屋脇本陣の
書院棟を復元しています。
受付の方に、「建物内の写真撮影の可否」と
「撮影した写真の、個人SNSへの掲載可否」を確認したところ、
OK のお返事を頂きました!
ではでは中へ〜
一部、ごらんください
茗荷屋脇本陣の模型
江戸時代をイメージしているんでしょうか?
中の廊下
どこま〜でも、どこま〜でも・・
同日の後のスケジュールを考慮し、
もう少し見学したのちに、脇本陣をあとにしました。
三
脇本陣のほぼ向かいには
本陣跡碑
周辺は一般家屋なので、配慮してトリミングしています。
「この後しばらく、何も無いみたい」
などと
気を抜きながら歩いていましたが、
見落としていたスポットがあった事を、
この記事を書いているいま、気付いたのでした。
次のチェック・ポイントは
仲町常夜燈
本陣跡から徒歩約4分という近さです。
案内板によると、1809年に舞坂宿の大半が火災に襲われたそうです。
旧東海道案内図
こういう地図を写真に撮っておくと、後々、
役に立つんですよね〜
写真には写ってませんが、そばにベンチがありました。
「ゴールは近い!」と思い休憩はせずに歩行継続。
そして3分歩くと〜
一里塚跡
江戸幕府が諸国に通じる街道を整備した際、
日本橋から一里(約3.9km)ごとに塚を作るよう定めました。
土を盛って作られた塚には榎や松の木が植えられ、
往来する人々の休憩所にもなりました。
すぐとなりには新町常夜燈がありました。
今回は案内板だけしか写していませんが、
常夜燈もありましたよ!
そしてラストスパート!
の一里塚跡から約50m進んだ所には
見付石垣
右奥に写っている東海道を挟んで、反対側にも
このような石垣の遺構が残っていました。
この「石垣から向こう側が舞坂宿」という事になります。
というわけで、こちらを舞坂宿散策の最終地点としました。
舞坂宿・見付石垣到着:11時42分
歩行時間:0時間37分
(アプリ「adidas Running」にて計測)
次回は舞坂宿を出発して、
となりの浜松宿を目指します。
以上、ちょい和・東海道編でした!
私のインスタグラムでは、
「東海道五十三次をたどる旅」シリーズとして、
過去撮影写真を、1枚づつアップしています。