愛知県の大浜街道を歩く、その③、刈谷~高浜。 | 歩いて走って登って、毎日ビール(・・・日本酒も)。

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体を動かすのは好きなのです。
体を動かした日でも。
動かさない日でも。
・・・ついつい今日もまたビール!
・・・いや最近は日本酒にはまり中・・・。

 

山の紅葉もピークを越えて、久しぶりに街道歩きをしたくなりました、大浜街道再開です。

地元5時台の電車に乗って刈谷市駅に向かいます。

リトルワールドの駅張ポスターは毎回笑わせてくれます、大ファンです。

 

 

駅前ロータリーの謎の石物、何かわからなかったのです。

 

駅を出て、前回の切り上げポイント交差点。

お地蔵さまがおられたので今日の無事をお願いします。

奥に和菓子屋さんがありますがまだ開店前です。

 

歩道橋ってこうやって修理するのか。

 

市街地の中を進みます、歩いてるとホント土地の起伏がよくわかります。

 

カラーマンホールはカキツバタ。

 

 

下り松川という変わった名前の川を渡る橋の親柱の装飾もカキツバタ。

 

道路の歩道フェンスもカキツバタ、隙あらばカキツバタ。

 

東海道をやった方は思い出すかもしれませんがカキツバタって知立だったんじゃ?

八橋に在原業平のうたのいわれがあって。

調べると刈谷には大きなカキツバタ自生地があるそうです。

刈谷、知立、両市とも市の花に指定、真っ向勝負。

・・・と思ったら、愛知県の県の花もカキツバタでした、県民なのに知らなかった笑。

 

次の橋もなんだか装飾が多くて・・・。

 

なになに、親柱を見ると・・・おおっ、巡見橋という名前の橋です。

「江戸時代に架けられたこの橋は幕府の巡見使の通行する道筋に当たり、

刈谷藩の役人がここで出迎えるのが通例であった。

その当時から巡見橋と呼ばれている」

ここは三河をめぐる区間の巡見街道なんだ。

 

しかし橋の欄干は猿の親子、なぜ?

 

頭を悩ませつつ渡ったら答え合わせがありました、猿渡川っていうのですね、この川は。

そのまんま猿が川を渡っている絵なのでした笑。

 

ここでちょっとだけコースアウトして、下調べで見つけた道標を見に行きます。

超円寺というお寺に入る道の角の場所のお地蔵さまの脇に道標ありとのこと。

途中の観音寺、鬼瓦がカッコいい。

この先のお隣高浜市は三州瓦の産地で観光的にも鬼瓦も推しのひとつのようですから、

この日は朝から屋根を気にしてたら見つけました。

 

 

そしてお地蔵さまはこちらか、ああ確かに傍らに石がある。

 

摩耗で読めない・・・。

調べでは□しげ原□なごや道、らしいのですが・・・。

なんとなしに「ごや」はわかるかな。

 

まあ気を取り直していきましょう、お、鍾馗様が。

この日はいくつかの鍾馗様を見ました。

 

とあるマンションの下にアイスクリームと冷凍食品まである自販機が。

こんなん我が家にあったらしょっちゅう買ってしまうな、これはヤバいやつです。

 

普通の住宅街なのですが何気にお堂があります、これだけが街道の残り香。

 

途中の誓満寺は改修中?

寺社建築の改修は大がかりそう。

 

 

小垣江神明神社にも立ち寄ります。

 

「征路従軍凱旋記念」

今は平和の象徴とも思える神社にも、戦争の記憶はあちこちで多く残されていますね。

 

 

ヤマトタケルさん、東征の帰りここ通ったのか~。

そしてそのあと伊吹山で傷を負って杖突坂なのか。

 

松が植えてあるところの解説板は・・・。

 

天正だから戦国期ですね、西尾城修理でここの松を切ってしまいその家臣がたたられ?

それを聞いた城主が無断で切ったことを謝罪して松の苗木3000本奉納。

2997本は枯れて残る3本のうち2本は安永・・・江戸中期か・・・に大風で倒れて、

残る1本はとうとう伊勢湾台風で倒れて全滅したので二代目を植えました。

・・・いやはじめの方枯れ過ぎでは?

しかし戦災、伊勢湾台風、濃尾地震、明治維新の4大文化財損失原因のひとつがここでも。

 

ど真ん中の御神木的な木の真ん中あたりになんだかくくり付けてある木簡的なものはなんだろ?

 

 

 

この刈谷から先の大浜街道、古民家とか全然残ってないけどお堂が結構多くて、

それだけが今んとこ頼りの綱です、前を通る都度覗き込んで手を合わせます。

 

 

小さい地味なものながらレトロ看板かろうじてありました。

 

この橋のたもとにも下調べで上がっている道標地蔵さまがいらっしゃるはずです。

 

鷗橋。

今日は凝った橋が多いな。

 

うーん、ホントかという小垣江村の名前の起こりが書いてありました。

 

お城?が住宅街の中に!

ちょっと遠いので見に行きませんがストリートビューで見たら茶室工房という看板がかかってました。

 

さてお地蔵さまは、こちらも文字部分は激しく摩耗してる。

 

解説板がありました、右しんかわ、左にしお だそうです。

そしてここは川湊でもあったということです。

 

刈谷、高浜の市境を越えます。

 

自治体の境目ってなんだかお互い打合せして整備しなよっていう感じな雑な場所多いですよね・・・。

 

何はともあれ高浜市に入ります。

謎のモニュメント、三州瓦なのかな?

 

「T街道」?

調べると地元で子供たちに通りの名前を募集してつけた道の名前だそうです。

 

水準点とかも明治期からの主要道路の証です。

でもなかなか雰囲気ある家や街角の風景が出てこないなぁ。

今日はわりと裏道も歩いてるんだけど。

 

葵紋のあるお寺。

 

 

 

イチョウ黄葉も期待したこの日の歩きなのですがまだ緑っぽいですね、やや早い?

徳川家との関係とかありそうですが解説等は見つかりませんでした。

 

吉浜の町に入ると。

 

人形小路という案内板がありました。

そういえば吉浜人形店のCMやってたの覚えてます。

吉浜は細工人形で有名だそうです。

 

今日初めて見るいい感じの建築のある一角。

Googlemap先生の口コミでは持ち帰りのとりめしが高評価で美味しそうなのですが・・・。

火曜、お休みです(火曜水曜休み)。

この日はこの後もお休み施設ばかりで、定休の多い火曜日に歩きを強行したのは大失敗でした。

 

ここも開いてない。

 

元仲平饅頭の店舗で五平餅やらを売ったりしてるらしいのですが・・・。

 

角の建物もいい雰囲気で、ようやく古い町並み的な一角が現れてホッとします。

 

人形に続いて高浜市の次の出し物は瓦、それも一押しは鬼瓦、前座の皆さん登場です。

 

相変わらずお堂は点在。

 

ちょっとおっかないいわれが書かれていました、番頭さんに手を合わせます。

 

ほらすぐにお堂。

 

県道50号を渡る向かいにもまたお堂、ここも覗きに・・・ん?

 

なんかお堂の前に石が立ってるよ!

 

道標でしたー!

下調べにない道標が現れるとホント嬉しいなぁ!

右 お加さきみち、岡崎ですね。

左 ち里ふ 加りや道、知立 刈谷ですね。

 

真ん中の文字はいちばん上の文字は「右」で一番下は「仏」だけどわからんなぁ、

どこか右に行くと〇〇〇仏という大仏とかあるのかななどといろいろ考えてましたが、

写真を見ながらああでもないこうでもないとしっかり調べると「右」に見える文字は「な」のようです。

そう、どうやら「なむあみだ仏」のようです。

崩し字は難しいけど解読はホント楽しいなあ。

家で詳しく見るようにスマホでもコンデジでも何枚も角度変えたりして写真写してます。

 

ちなみに現場では「右お加さきみち」しか読めてませんでした笑。

 

ここまでイマイチでしたが未知の道標を見つけたのでテンションやや回復して、続きます。