山神社に休憩がてら立ち寄ります。
この神社は江戸時代に領主の西尾城主本多家により建立されたとのこと。
ポールが少し邪魔ですが紅葉が見頃で雰囲気いい。
無理して火曜日に歩いてるのは紅葉がちょうど見頃だと思ったからでようやく満足な綺麗さ!
手水も江戸時代、天保のもの。
などをつらつらと見て歩いていると遠くになんだか石物が立っています。
隣接するのは公民館的建物のようですが見に行ってみます。
・・・って、向かう途中にトイレがあり、そのすぐ前にもなんか石物があるよ!
なんと道標じゃないですか、しかも四方向への東西南北ものです。
達筆だなあ、こんなにはっきりしてる彫りなのですが・・・。
4面もあっても現地ではひとつも読めませんでした。
なのであらゆる方向からコンデジとスマホで撮影して、帰宅してから解析しました。
参考ページ
一番上の文字は東西南北です。
まずこの面がはじめに解読できました。
〇〇ざ記と読めたのでまず思い立つのが岡崎ですが違いました、「かめざき道」でした。
このあたりからだと衣浦の海を渡った対岸の知多半島東岸の町です、確かに西です。
ということでこのあたりからの方向を加味して地名を探すと。
「東 わしづか道」今昔マップで探すと4キロほど先に鷲塚という村が見つかりました、ここかあ。
南は・・・一文字目が先ほどの鷲塚のづの字と同じですからえーと、「つる〇〇き」
今昔マップで探すと・・・「鶴ヶ崎」これかぁ。
ってここもう鶴ヶ崎の北の端といってもいい場所なのですが笑。
ああそうか、亀崎への渡しを書いてあるところをみると、これ元々は先ほどの新川病院北交差点の常夜灯あたりにあったのかもしれません。
最後の北がなかなかわかりません。
初めは西尾かと思いましたが文字数も方角も違う。
wikiで近辺の自治体の歴史の欄の合併した自治体なんかから探すと・・・。
明治22年より前に西境村というのがありました、これでしょこれ。
でもここ現刈谷市内なのですが刈谷の城下町よりも北なのです。
東海道が境川を渡る境橋のすぐ北あたりで12キロ以上も離れてて何でここだけこんなに遠い?
境川沿いでもしかしたら水運的にはつながりがあるかもしれませんが。
それに大きな城下町刈谷を無視してるし笑。
普通は知立とか刈谷とか大浜とか西尾とか大きな町の案内しがちなはずなのに、
微妙に地味な地名ばかりの変わった道標ですこれ。
いつの時代の物かは書いて無くてそこは知りたいなぁ。
で、碧南市さま。
貴重な道標を保存していただいてるのは嬉しいのですがこのトイレのすぐ横の場所が・・・。
こんなところで写真写しまくっていて傍から見たらほぼ不審者でした笑。
この日はだーれもいなかったので思う存分写真写してましたが。
そしてもうひとつ、入り口近くに見えたのは旧新川橋の親柱でした。
移設日を書いた標柱も立っていて正面入り口近く。
トイレ前の道標とはずいぶんと扱いが違うような・・・なぜだ~笑。
門柱を見るとやっぱりもうここは鶴ヶ崎、區の字が渋いね。
浅間神社にも立ち寄り。
今昔マップで見ると坂を下りるのは昔の海岸線だっからなのでした。
ずいぶんと立派な伊勢の遙拝所がありました。
ここも紅葉綺麗!
なかなか古民家は無いなー。
川にぶち当たりました。
そしてこの橋が現新川橋です、ヨットの帆をイメージしてるという変わったデザイン。
欄干は波をイメージしてるのかな。
この港はヨットマリーナなのでこんな感じなのですね。
若干日常に戻されてドン・キホーテ前を通り。
だんだんと神社も多くなってきたようで、今度は津島社です。
由緒の解説を読みます。
武田信玄と戦った村上義清の所持していた牛頭天王像を祀った津島社ということです、どうやって大浜の住人に渡ったのか笑?
そしてなんと織田信長初陣の地ということです。
なんだかいろいろ歴史が伝わってて面白い。
バス停に大浜の文字が現れました、大浜の町に入ります、ゴールは近い!
そういえば今日はまだお土産を買ってないな~と思いつつ歩いてたら、「梅の木」さんという餃子専門店の前を通り過ぎました。
Googlemapを見ると評判がいいのでお土産に生餃子を買ってしまいました、美味しゅうございました。
最近はザックに保冷バッグをいつも持ち歩いているので要冷蔵も生酒もどんとこいです。
そして最後は大浜の町です、もう一回続きます。