***前回の記事、その⑩より続きです***
員弁川を橋で渡っても青空盛り花盛りです。
羽田看板があります。
こうしてキリスト看板と一緒にいることも多いような。
が、その手前の公民館的建物に立派な石柱があります、なんだろ。
「昭和八年十二月二十三日
有□□□嗣宮御降誕之□
□□□奉祝紀念□説□」
表側には
「皇統連綿」
昭和八年の明仁上皇陛下の誕生記念の石碑でした。
地元白瀬マップ、こういう地域マップはつい見てしまいますね。
古い看板。
旅人の目印になる街道脇の大きな木はやっぱり絵になります。
昔は多かったけど最近こんなそのまんま用水路の蓋の歩道は歩いたことが無かったような。
鳥居の向こうにも桜。
最近の歩きのお供はブラックサンダー。
コンビニに置いてあるいろんな味のをひとつづつ買ってカバンの中に入れ、中を見ずに手を突っ込んでひとつ選んで楽しんで食べてます。
でもやっぱり普通のやつが美味しい笑。
なんとなくですが長野県あたりの高原を歩いてるような雰囲気になってきた・・・気のせいかな。
ほのぼの。
集落入口に内宮外宮の両宮常夜灯。
こんなところはやはりこの道は伊勢に向かう街道です。
ここにも羽田看板、絶好調になってきた。
とあるお堂前に・・・うーん、これはかわいそう。
いろいろあるんでしょうが・・・生かさず殺さずという印象を受けてしまいます。
そして下調べで見つけてた道標のある場所まできました。
この先街道は現在の資料では「巡見街道」(亀山から菰野町、員弁市と三重県の山手を通ってくる街道)の区分になる街道に合流して関ヶ原方面を目指てることが多いです。
昔はそんなひちめんどくさい区分はしてなかったと思いますが。
大正時代の石づくりの豪華掲示板、これこのあたりあちこちで見かけます。
もはや高札場といってもいい位の存在感に注目。
そしてその前の道標、ここの道標は自然石で読みやすいですよ。
右 八田こもの道
八田は治田のことかなと思われます。
巡見街道沿いの地名です。
左 くわな 四日市ミち
これはここまで歩いてきた濃州道の先にある地名ですね。
てことはこの道標は関ヶ原方面から来た人に見てもらうための道標なんか~。
ちょっと現状とは向きが違っているようです。
道標で振り向くとひっそりとこちらを見つめる羽田看板。
予定のコースではこの道標を左に曲がり「巡見街道」に入って北を目指します。
もう一度道標のあるここの写真で。
ここを真っすぐ行くとぎゅーっと道は下ります、ショートカットではあります。
その高低差は員弁川に注ぐ支流の谷で昔の街道は谷の少し上流を巻くように回り道しているのだと思います。
現在のこの真っすぐな道、少し行ったところに公民館的建物があるのですがそこに石物があるのをルート選定中にストリートビューで見つけてしまったのです。
それが何なのか気になるので時間がないのにそれが何か見に行きます。
無駄足になってもこういうの気になるんだよねー、下調べでストビューしちゃうと。
行ってみると・・・。
写真写してきたのに読めない・・・昭和10年代の青年会?公民館的施設の門柱だったかな・・・。
スミマセン忘れてしまいました。
中にあるポールの横の石物は・・・。
「皇太子御降誕記念」
当時の人たち盛大に祝ってたんでしょうね。
道標ではありませんでしたが歴史を感じるものを見ることができました。
さて急いで戻らねば、道標のあった三叉路に戻ります、上り坂でダメージ笑。
公式?には巡見街道に入った道ですがこれも結構な坂道。
急ぎ足なのでヒイヒイ言いながら急ぎ歩きなのですが、ホントのどかな道なんです、ウグイスの声なんかも聞こえてきてます。
左の鈴鹿山系の稜線はこんなに近い。
ココ見覚えあります、藤原岳と御池岳の間の稜線、頭陀ヶ平に登る木和田尾登山道の登り口でした。
水路には山の方向から田んぼに引く豊富な水が流れてきていましたが鈴鹿山系の美味しい水だったか。
先ほど見えたお寺、善長寺の裏手から植樹帯の道に入ります。
ちょっとひんやりです。
舗装路でしたが・・・。
土の道になってっきました。
つかの間の山歩き気分はすぐに終わります。
そして楽しみな場所が見えてきました。
現代の道標、青看のすぐ下に、モニュメント的な何かが。
真ん中に古式ゆかしい自然石道標を堂々据えて、右関ヶ原左彦根の道標的石碑が左右を固める助さん格さんのように?いや、ポンポンを持つチアガールが手を広げ盛り上げるように?並びます。(個人の感想です)
後ろに回り込んでみるとなにやら書かれています。
「この道標は本年7月22日付の鈴鹿国定公園指定を喜ぶとともに長年愛用の旧標石を明治百年記念として保存する為に建設する 昭和43年12月7日 区長 □□・・・。」
道路形態が変わったけど元からの場所にあって保存、PR。
道標ファンとしてはこれは感謝、嬉しいことをしてくれてるね~、わかってるね~!
それではメインディッシュの自然石道標を拝見しますよっ!
右 関ヶ原
左 西京 道
これは伊勢方面から来た人のための行き先表示ですね。
注目すべきは西京の左側の小さな文字。
「とうげまで三十丁」
鞍掛峠まで三十丁約3.3キロということです。
現代でも冬季は積雪凍結で毎冬閉鎖され、さらに法面崩落通行止めの珍しくない国道306号線鞍掛峠。
昔はどんな険しい峠道だったのでしょうか?
明治十七甲申。
江戸時代の風格がありますが明治のものでした。
座り込んで堪能しました、あ、ヤバい、急がねば。
このあと国道でまたまた員弁川を渡るのですが、橋が2本あるのは地図で見てわかってました。
やはりどう見ても谷を一気にひとッ飛びする現国道365線黄金大橋の下に見えるのは旧道と旧橋ですよね~。
旧道、結構迂回するように段丘を下り上りしてて距離が長くなるので・・・道標を見て満足してたのもあるし・・・時間短縮のために泣いて旧道を切りました・・・。
明治の地図ではこんな感じです。
いや、やっぱり戻って旧道に降りるか、などと後ろ髪引かれて迷いつつ続きます。