伊勢は遥か遠いけど・・・伊勢西街道を歩く、その⑭、気になるところを落穂拾いで。 | 歩いて走って登って、毎日ビール(・・・日本酒も)。

歩いて走って登って、毎日ビール(・・・日本酒も)。

体を動かすのは好きなのです。
体を動かした日でも。
動かさない日でも。
・・・ついつい今日もまたビール!
・・・いや最近は日本酒にはまり中・・・。

 

***前回の記事、その⑬より続きです***

 

先日の伊勢西街道、完歩しましたが時間に追われて入ってみることができなかった区間、

かみいしづ緑の村公園に沿った昭和初期の地図に載っていた旧道がどうしても気になります。

 

三国岳登山、途中撤退で下山時間が早まり時間的余裕ができたので、帰路立ち寄ってみることにしました、落穂拾い編スタートです。

緑の村公園の車を置いてしばし国道を歩きます、あ、旧道はここからだ。

 

マムシグサが両手を上げてお出迎えです。

 

緑にあふれる道です。

 

山桜も。

 

公園の裏手を歩きます、特にどうもない林道的道が続きました。

が、あ、お堂がありました。

やはりここが旧街道なのかな?

 

その後は頭上に木もなくあっけらかんとした道が続きます、またちょっと不安になってきます。

 

表示板の柱のパイプの上から葉っぱがでてます。

このパイプの中を地面からここまで伸びたのか~強い!雑草魂!

 

 

満開の桜と広場に出ました。

なんか石碑も並んでます。

元キャンプスペースらしいのですが・・・キャンプバーベキュー禁止表示が。

 

管理棟の建物になんだか書かれてます、あっ!

 

関ヶ原合戦の時島津豊久がこの地のかくれ小屋で自刀した、という事と・・・。

 

ここに茶屋場があったという解説板が。

「伊勢街道のうち多良から時へ通ずるこの道は、横欠け四十七曲りと呼び蛇行した難所であった。

その茶屋場には小さなお堂があり仏像が安置されていた。

托鉢の修行僧や旅人たちのここで一時休息・参拝し茶屋番のたてる茶を喫したのち旅を続けた。」

やはりこの道が伊勢西街道とのことでした。

やや怪しい手書きだし出典などはあやふやでわかりませんが信じます笑。

 

件の石碑のひとつはこの「茶所の跡」というものでした。

 

その後もなるほど四十七曲りらしくくねくねと進みました。

中電の巡視路がここにも。

 

この日一番きれいなイワカガミの花。

 

国道に出て探索終了。

やはりこの道が街道でしょう。

(個人の感想です)

 


あとは延々と国道を歩いてぐるりと一周回って公園駐車場まで戻りました。

 

 

長い未踏区間はクリアしました。

次は黄金大橋の下に見えた昭和初期の地図の旧道の橋、三当橋を見に行きます。

堂々たる黄金大橋を見上げて、ここか~。

 

親柱に獣除けの大ボリュームの威嚇音が出る装置がくくられていました。

近づくとこれがうるさいうるさい。

 

ガードレールの「立田線」表示、これは県道表示と思われます。

現在は県道ではありませんがやはり昔は県道として黄金大橋の旧道の立場だったのでしょう。

 

立派な石製の親柱、員弁川。

 

三当橋。

 

あれ、全国Q地図の全国橋梁マップでは「さんとうはし」とかかれていましたが、

この親柱には「みつあたりはし」になってました。

無論こちらが正解でしょう、来てみると何らかの収穫はありますね。

 

昭和三十六年。

 

親子みたいな絵に描いたような二代の橋の姿でした。

 

最後に、阿下喜町歩きで見た改装中の阿下喜温泉が再開したらしいのでお風呂にいこう♪

 

いなべ阿下喜ベース

なんだかオサレ温泉になってました。

 

 

どうもサウナが売りのようです。

自分はサウナ使わないからな~。

 

温泉はそのまま受け継ぎ・・・。

入口の解説通りお風呂自体は全く改装前のままでした笑。

 

改装前は産直売店でよく大きなしいたけ買って帰ってたのですが、お店も食堂もオサレになっていてちょっと笑。

個人的には地味ーな前の方が好みでしたが・・・。

でもさほど広くない休憩スペースの漫画のラインナップはなかなか良くて風呂上りに寝転んで読みだしたら帰れなくなりそうなヤバいやつでした。

 

宿泊スペースもあります、山も近いし山小屋代わりにするか笑。

いや実際遠くから鈴鹿に来る登山者さんには使えるかもしれません。

 

ログ。

 

以上、伊勢西街道落穂拾いでした。