※意図的に今回は書きっぱなし、
推敲とか一切ない状態で
アップしてみます。
率直な一年の総決算、という感じでm(__)m
皆様、お久しぶりです!
クリスマスをいかがお過ごしでしょうか?
僕はこの間にまたひとつ歳を取り、「若さ」という武器を失いつつある事実に絶望してみたり、そうはいってもケーキはやっぱり美味しかったり、
ルルーシュの誕生日(12/5)でそろそろ年末なんだねとか思ってみたり、
本日の可愛い吉沢様です。
— 🐶🐔📗 (@midorinosige) December 24, 2020
女優陣の中にいる吉沢さんは例えるなら「お子様ランチ」って感じ。
#VS嵐 #BABA嵐 #吉沢亮 pic.twitter.com/PKFRPmdKHC
VS嵐の最終回のババ抜きで吉沢亮さんがマジでカッコよかった~♪、なんて思いながらこの1か月を過ごしていました。あ、クリスマスは生まれてこの方ず~っと家族と過ごしています。クリスマスとはそういうものです(爆)
さて、そろそろ年末です。
今年も色々なことがありました。
まずはコロナです。僕もイベントが何本か中止になりました。例年、秋口はチケット争奪戦とかになってたんですけども、今年はそんなのも一切なく平和な一年。いや、ホントは平和じゃないんですよ。毎日毎日コロナコロナで「一体誰が感染しているんだろう?」とか思いながら過ごす日々でしたけどね。
しかし、そんな中でも何回かオンラインのイベントには参加してみたんですよ。でも、なんとういうか、その、
「何かが足りない」
と正直思ってしまいました。コンテンツ自体は申し分なく、演者さんやスタッフさんの方も素晴らしかった。
でも、自分がこの場にいないとか、
誰かと感動を共有できないことに
堪え切れないほどの
虚しさを覚えてしまったんです。
今、このブログを書いているPCの前で僕は「なんだったんだろうな…」と感じてしまう。そういう熱量の差とか、気持ちの付いてこなさ加減が、「やっぱり生」という気持ちに収斂していったのがこのコロナ禍といったところです。
まぁ、そんなステイホームの最中でも、鬼滅にNiziU、どうぶつの森と、力があるコンテンツとかは人気を伸ばしてました。呪術廻戦も人気が出つつある状況だそうですが、どうなんでしょうか。とりあえず中村悠一さんは正義だと僕は思ったんですけど(笑)
ただ、わざわざ書くのもどうかと思いますが、ぶっちゃけ僕は、
『鬼滅』があんなにハネるとは…、
と今も感じています。いや、ホント、ufotableの手掛けたあのヌルヌル作画の躍動感といい、花江さん、下野さん、禎丞さん、鬼頭さんを筆頭に豪華なキャスト陣の熱演、LiSAさんや梶浦さんの功績も大きい。見るべきところはいっぱいだし、流行る理由も分かる。
だけど、どうしても僕はこの
「社会現象」について行けない。
いや、面白いのは分かる。でも、「なんでこんなにウケているんだろう?」と。そして、どうして僕はここまでハマらないんだろう?、と。
そう感じている中で、「じゃあなんで僕は世間ほど鬼滅がハマらない」と理由を考えていくと、
「みんな死んで欲しくない」という部分に
収束していくのかなと。
確かに炭治郎は優しい。優しいんだけども、そもそも「殲滅」が根底にあるお話だし、鬼殺隊の最終試験でほとんどが死んじゃったり、柱さえ犬死にしたり…、見ていてそこら辺がかなりしんどかったんです。
そうこうしていく中で、僕は、
この世で一番苦手な表現方法が
「犬死に」だと気付きました。
これは『バビロン』の時にも思ったんですけど、あの7話ですよね(見た人なら分かると思います)。イデオンとかギアスの血染めの話とか、ああいうのを除くと、一つのアニメのエピソードであれだけ無慈悲に人が、それこそ、軽く命が削がれていく(否、削ぐことを選択させられる)姿を見せつけらて、僕は途中離脱を選択しました。
僕は古い人間なのかもしれないんですけど、「死」ってホント、軽く扱っちゃいけないものだと思っていて、じゃあ作品で「死」を扱うんだったら「その死に何かしらの意味があったりとか、少なくとも犬死にだけは絶対にダメ」と思うわけです。
『鬼滅』は犬死になんてしていない、と思う方もいるでしょう。それはもう個人の判断によるものです。犬死にって基準は曖昧で、どこからどこまでが犬死にか犬死にじゃないかなんて、そんな明確な基準は何も無い。単純に見ている人間の主観です。それを前提とした上でまた『鬼滅』の話に戻ると、あの地獄の『バビロン』7話と比べたら雲泥の差だし、『バビロン』を持ち出すのも『鬼滅』に失礼だと思う。
だけども僕の目からすれば、
あれは「犬死に」のお話だ…、
そう思ってしまうのです。
じゃあ、『鬼滅』が嫌いか?となると、そんなことはありません。「嫌い」じゃなくて、「犬死に」っていうただ一つの引っかかりが僕を悩ませ、「そんなむごたらしいことをしなくても」とか、「炭治郎を見るのがツラい」なんて感じてしまう僕の問題なんです。
多分、僕の本質は善逸なんです。
やるときすらやんないけど(爆)
でも、臆病で戦いたくなくてどヘタレの極みで(僕の中では月亭方正さんと読んでいますw)、そばにいる正一くんに頼ってしまう。まるで僕を見ているかのよう(失礼)
善逸が主人公だったらもっと僕はハマっていたのかも。いや、ダメか。さすがに僕は女の子にだまされて多額の借金を負う、って設定に共感できないw 嘘は嘘と見破ろうぜ善逸(笑)
とまぁ、長々と「僕は鬼滅にハマれなかった」という事を書いたんですけど、話は最初に戻るんですよ。
あぁ、「若さ」を僕は失ったんだな、って。
『鬼滅』は全世代にウケましたが、特に、小学生の人気が爆発的です。
僕は鬼滅仕様のランドセルをTwitterで見てたまげました。
仮面ライダーとか、戦隊ものとか、プリキュアとか、そういう定番ものに匹敵するくらいの人気を鬼滅は獲得している。
その瞬間確信したんですよ。
もう僕は「なんでこれは流行ってるんだろう?」とか思う立場や、言う資格が無くなったんだなと。古い価値観に拘泥するだけの愚かな形骸と化してしまったんだな、と。
『鬼滅』がウケている事実、現在進行形で社会現象が続いている事実、LiSAさんは間違いなく今年の紅白では長い時間を与えられるだろうという推測(前回は1分58秒、さすがに短すぎです)、もう間違いないでしょう。
つまり僕はもう、世間の流行について行けないタダのおっさんなんですよ。一番世間から嫌われるタイプの人間になってしまった訳です(>_<)
鬼滅が悪いわけじゃ無い。
鬼滅にハマれない僕が悪い。
ただそれだけの話なんです。
さて、皆様は鬼滅にハマれましたか?
そこのところについて気になってしまう僕なのでした。
それでは、次回の更新まで
サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ!!!
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