広島旅行②

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広島旅行②です爆  笑

 

広島焼きで腹ごしらえし、次に向かうは広島記念公園!

 

さあまだまだ歩くぞぉ(つω`*)

 

  広島平和記念公園

 

平和記念公園は、旧太田川(本川)が元安川と分岐する三角州の最上流部に位置し、原爆死没者の慰霊と世界恒久平和を祈念して開設された都市公園です。

 

この場所は、江戸時代から昭和初期に至るまで広島市の中心的な繁華街でしたが、昭和20年(1945年)8月6日に人類史上初めて落とされた一発の原子爆弾により、一瞬のうちに破壊されました。

 

被爆後、昭和24年(1949年)8月6日に公布された「広島平和記念都市建設法」に基づき、爆心地周辺を恒久平和の象徴の地として整備するため、昭和25年(1950年)から平和記念公園及び施設の建設が進められ、昭和30年(1955年)に完成したそうです。

 

ちなみに川を挟んだ原爆ドームも平和記念公園の一部だそうです。

 

祈りの像
 
園内は雨にも関わらず多数の観光客が訪れていて、ボランティアガイドさん達も忙しそうでした。

 

原爆死没者慰霊碑 よく追悼式でTVに映ってる所です
 
もしお天気が良ければ、あちらこちらに設置されたベンチに座って、ゆっくり考え事が出来たのにと少し残念でした。
 
それほど、とても多くの「考え」が浮かんでくる公園でした。

 

 

  広島平和記念資料館

 

では、いよいよ人生初の平和記念資料館です!

 

 

中には特に「撮影禁止」の警告はなかったのだけれど、誰一人撮影していなかったので私も控えました。

 

「広島平和記念資料館」は、重要文化財の指定を受けた”本館”と”東館”からなっており、原爆投下前の広島市の様子、原爆投下の歴史や被爆犠牲者の遺品などに関する資料・写真が展示されています。


館内を回れば、被爆当日に広島で何が起こったのかを疑似的に体験でき、改めて核兵器・戦争の恐ろしさを学び感じられるようになっていました。

 

原爆投下は正義か否か、日本人と諸外国、特にアメリカの方々とは意見が食い違っていることが多いようですが、私個人は、同じ人間への核兵器の使用は、戦争だからとか、どういう理由があろうがなかろうが、生き物として「正しくない」と思っています。

 

万が一多用すれば、種の絶滅だけではなく、地球そのものを壊してしまいかねない、それくらい激烈な破壊をもたらすものが核兵器であると私は認識しているので。

 

核兵器=いけないもの、と言う認識を再確認させてくれる資料館の展示品の数々。

 

それらをたくさんの外国人観光客はどう思ったのでしょうね。

 

そう言えば、私の後ろにいたご家族がこんな会話をしていました。

 

「外国の人が多いねぇ」

「ほんとだね、外国の人がこういう場所に来てくれるのは私はすごく良いことだと思う」

「そうだね、見たいと思ってくれたこと自体が素晴らしいよね」

「特にアメリカの人はどう思ってみてるんだろうね」

「それはわからないけど、とにかく観光で日本に来て、この場所を訪れようという気になってくれたことがありがたいよ」

 

ほんまやわぁ、ありがたいことよねぇと考えながら密かに頷いていると、20代くらいの息子さんがお母さんらしき方に

 

「なんでここに来ようと思ったんだろうね、、、日本人が真珠湾行く感覚かな」

 

と思いがけないことを言い出し、それに対してお母さんが

 

「・・・それは違うと思うわ」

 

と反論したのが印象的でした。

 

うん、確かになんか違う・・・。

 

資料館内はこの日、本当に混雑していて、そりゃもう前にも後ろにも進めない状態で。

 

被団協のノーベル平和賞受賞の影響もあったのでしょうか。

 

閉所恐怖症の方は、絶対に行かない方が良いレベルの人の多さでした。

 

あんまり関係ないけど案内をしている方々がみなさん高齢で、でも

 

「右側空いてますので、どんどん前に進んでくださいねー」

 

などのアナウンスを、日本語の次は流暢な英語で話しておられて、さすが広島のボランティアガイドさんはスペックが高い!と変な所で感心してしまいました。

 

 

 

「原爆の子の像」前では多くの観光客が写真を撮っていました。

 

人がどうしても映り込んでしまうので、下の方が取っていませんが、国内外から集まった折り鶴が展示されていました。

 

  原爆ドーム

 

川の向こうには原爆ドーム。

 

 

「原爆ドーム」は、原子爆弾(核兵器)による惨禍の実情を、現代および未来に伝える貴重な建造物です。


1996年には世界遺産に登録され、核兵器の廃絶と恒久的な世界平和を求め、誓うためのシンボルにもなっています。


当時のままの状態で、残されたボロボロの外壁やむき出しの鉄骨からは、悲惨な歴史がひしひしと伝わってきますね。

 

世界で唯一の被爆国として、日本に何が出来るか、日本は何をすべきか。

 

考えさせてくれます。

 

最後に、原爆詩人として知られる峠三吉の詩碑より。

 

「ちちをかえせ ははをかえせ

 としよりをかえせ

 こどもをかえせ

 わたしをかえせ わたしにつながる

 にんげんをかえせ

 にんげんの にんげんのよのあるかぎり

 くずれぬへいわをへいわをかえせ」

 

峠三吉は、被爆から8年後、36歳でこの世を去りました。

 

 

広島旅行はまだまだ続く・・・!