狗奴国再考 〜強い国って誰が言ったの?〜 | 邪馬台国と日本書紀の界隈

邪馬台国と日本書紀の界隈

邪馬台国熊本説にもとづく邪馬台国・魏志倭人伝の周辺と、まったく新しい紀年法による日本書紀研究について
ぼちぼちと綴っていきたいと思います。

 YouTubeで「邪馬台国を熊本に想定した場合、邪馬台国に対抗できるだけの国力を備えた狗奴国(くなこく)をどこに想定するのでしょう?」という主旨のご質問をいただきました。

 この機会に、「狗奴国はどんな国だったのだろう」ということについて少しまとめておこうと思います。『日本書紀「神代」の真実』の中でも少し考察したのですが、狗奴国は実はそれほどの脅威ではなかったのではないかということについてです。

 

 邪馬台国を研究されている方々の中では狗奴国はけっこう人気があり、狗奴国が後に邪馬台国を攻め滅ぼしたという説もあるくらいですから、こんなことを書くと猛烈な反論を受けそうな予感もします。ですので最初に申し上げておきますが、そういう風に解釈できる余地もあるのではないかという仮説です、あくまでも。

 

 

 狗奴国は、邪馬台国九州説を唱える方々の間では熊本平野に想定される場合が圧倒的に多いです。

 しかし、私は邪馬台国熊本説です。そこには邪馬台国があったのです。

 

◆方保田東原遺跡(熊本県山鹿市)かとうだひがしばるいせき

私は熊本平野全体の拠点集落ネットワークが邪馬台国だったと考えていますが、郡使たちが到着したのは道里から算出して方保田東原遺跡だろうと推定しています。

 

 倭人伝を普通に読めば、狗奴国は女王国(邪馬台国)の南にあったと読めますので、私は狗奴国を九州山地以南に想定しています。現在の宮崎県、鹿児島県にあたる地域です。

 そして、私も邪馬台国研究の当初から、狗奴国は邪馬台国に対抗するだけの国力を持った強国であると考えていました。特に根拠を考えることもなく、何となく最初からそういうイメージが刷り込まれていた気がします。先学の方々の書籍や論文でそういうイメージが出来上がっていたからかもしれません。

 ところが、『日本書紀「神代」の真実』を書いていた時に、狗奴国について考えるきっかけがあり、改めて見つめなおしてみたのです。私自身、狗奴国を宮崎県、鹿児島県に想定しながら、そこに強国の存在を示す弥生時代終末期の遺跡が乏しいことに、正直言って以前から悶々としていたこともあります。

 

 魏志倭人伝に「狗奴国」が登場するのは2か所です。後世の『後漢書』にも言及(ただし「拘奴国」と誤記)されているのですが、私は基本的に『後漢書』「倭伝」は『三国志』「魏志倭人伝」の焼き直し、それもかなりの誤認を含んだ焼き直しだと考えているので、ここでは対象にしません。

 

(1)其南有狗奴国男子為王其官有狗古智卑狗不属女王

〈訳〉その南には狗奴国があり、男子を王としている。狗古智卑狗(くこちひく)という官がいる。狗奴国は女王(国)に服属していない。

※「その南」の「その」というのは、女王の領域(=広義の女王国:30国の連合体)を指します。

 

(2)其八年太守王頎到官倭女王卑弥呼与狗奴国男王卑弥弓呼素不和遣倭載斯烏越等詣郡説相攻撃状遣塞曹掾史張政等因齎詔書黄幢拝仮難升米為檄告喩之

〈訳〉その8年(正始8年:247年)、帯方太守の王頎(おうき)が着任した。倭の女王卑弥呼は、狗奴国の男王である卑弥弓呼(ひみここ)と以前から不和であったが、倭の載斯(さいし)や烏越(うえつ)らを派遣して帯方郡に至らせて、狗奴国と互いに攻撃しあっている状況を説明した。王頎は塞曹掾史(さいそうえんし)の張政(ちょうせい)らを派遣し、持たせた詔書・黄幢(こうどう)を難升米(なしめ)に与え、檄文(げきぶん)をつくって、それを告喩(こくゆ)させた。

 

 

 この二つの記述をどのように捉えるかです。

 

 (1)の方の記述は、文面以上でも以下でありません。女王国の南に卑弥呼共立に参加していない「狗奴国」があるという客観的事実です。女王国と平野部などで国境を接していたとすると、そこで独立を保つには相応な国力、軍事力が必要だろうとも考えられますが、例えば九州山地の南側などを想定すると必ずしもそういう国力は必要ないと思われます。

 

 (2)については確かにそれらしく読めます。卑弥呼がわざわざ狗奴国と交戦状態にあることを帯方郡に報告して助力を求めに行き、それに応えて黄幢(魏の黄色い軍旗)を携えた張政が倭に送られたという風にも解釈できます。

 しかし、この黄幢は帯方郡太守がその場で勝手に与えたりできるものではありません。皇帝から下されるものです。そして、帯方郡と魏の都洛陽はすぐに往復できるような距離ではありません。そこで、倭人伝を読むと、その2年前にこのような記事があります。(2)の直前の一文です。

 

其六年詔賜倭難升米黄幢付郡仮授

〈訳〉その6年(正始6年:245年)、詔して倭の難升米に黄幢を賜与し、帯方郡に託して仮授させた。

 

 ここで記される、魏の皇帝から難升米に授けるために帯方郡に送られた黄幢が、正始8年に張政らが難升米に届けた黄幢だと思われます。すると、この黄幢は2年前に賜与されることが決まっていたものということになります。

 そうであれば、もし正始6年以前に卑弥呼が狗奴国との切迫した交戦状況を伝えて助力を求めた(卑弥呼は以前から卑弥弓呼と不和だったと書かれているので)のだとしても、あまりにも悠長過ぎます。

 つまり、この黄幢には特に緊急性が見られないのです。

 

 そこで考えられるのは、卑弥呼(女王国)が事前に難升米を司令官としてどこかを攻める意志を魏に伝えていて、それに応えてこの黄幢が授けられたのだというストーリーです。柵封国が拡大することは魏の領域が拡大することになりますから、黄幢を与える価値があるわけです。この場合、その攻撃候補地として最も可能性の高いのは狗奴国ということになりますが、別の国だったかもしれませんし、特定の国というのでもなかったかもしれません。

 

 そして、正始8年の卑弥呼の遣使ですが、この主な目的は狗奴国との交戦状況を伝えて助力を求めることではなく、新しい帯方郡太守である王頎への挨拶および祝賀だったと考えられます。その際、黄幢が帯方郡に届いているわけですから、当然のことながら攻撃計画のその後について尋ねられるわけです。そこで、現在狗奴国と戦っていると伝えたのではないでしょうか。

 そう考えれば、特に狗奴国が邪馬台国と対等の国力を備えた国である必要はありません。

 

 また、そう思うだけの理由もあります。それは、張政が黄幢を届けた後の後日談が一切記されていないことです。卑弥呼が援助を求めてそれに応えて張政らが来倭したのであれば、その結果が記されてしかるべきです。三国志はただでさえ多くの戦いの記録であふれています。大きな戦闘が繰り広げられてそれに魏が関与したのなら、よい題材になりそうな気もします。しかし、そういう記述は見られません。

 卑弥呼が没していったん男王が立った後の内乱については、国中が殺しあって千余人が殺されたと記しているにもかかわらず、狗奴国との戦闘については何も語られないのです。

 それに、狗奴国との間で全面戦争のような戦いが起こっていたのであれば、卑弥呼の死に際して、「大いに冢を作」り百余人も殉葬させて葬ったり、その後内乱に突入していったりしている場合ではないとも思います。

 

 以上のことから、私はもしかすると狗奴国は大きな脅威となる国ではなかったのではないかと思いはじめたのです。九州山地の南にいて女王国には服属せず、以前から時々山地を越えてきては侵略を繰り返す厄介な存在だったかもしれませんが、正面から邪馬台国に戦いを仕掛けるだけの軍事力は持っていなかったと考えてもよいのではないかと考えたのです。

 

 そして、官の狗古智卑狗と男王の卑弥弓呼の名前です。

 狗古智卑狗は「くくちひこ」と読まれて「菊池彦」に通じるので後世の菊池郡のあった熊本にいた人物と考えられるとして狗奴国熊本説の根拠とされたり、卑弥弓呼は卑弥呼と類似の名前なので元々同族だったという根拠とされたりしています。

 

 しかし、倭人伝の原資料を郡使の報告書である(行程部分である上述(1)の記述)とすれば、郡使たちは狗奴国まで足を運んでいないことは明らかです。すなわち、「狗古智卑狗」という官がいるというのは女王国内での伝聞情報ということになります。倭人伝は王と官は明らかに書き分けていますから、男王の治める国域のどこかにそういう官がいたのは確かでしょうが、それが本当に「くくちひこ」あるいは「くこちひく」などという名前だったということについては疑義を差し挟む余地があるのではないかと思います。

 また、卑弥弓呼についても、正始8年に帯方郡に送られた載斯や烏越から聴取した情報です。当時、魏と倭で共通の言語が用いられていたとは考えられませんから、郡使たちが直接現地で収集した情報に比べれば信頼性は劣るのではないかと思います。

 

 そういうことで今回の結論としては、少し回りくどいですが、

 

卑弥呼を戴く女王国の南に、男王がいて、官がいて、女王国に属さない国があったのは確かだろうが、その国は必ずしも女王国と対等に戦えるだけの国力を備えていなかったのではないかと、倭人伝の記述から読み取る余地がある。

 

ということになります。

 

 

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