神々の系譜で見えた天照大神=卑弥呼! | 邪馬台国と日本書紀の界隈

邪馬台国と日本書紀の界隈

邪馬台国・魏志倭人伝の周辺と、まったく新しい紀年復元法による日本書紀研究についてぼちぼちと綴っています。

 これまで書いてきたように、私の紀年復元では初代天皇の即位年は西暦301年です。

 神武東征は294年から301年ということになります。

 

 一方、いわゆる邪馬台国時代は主に200年代の前半から半ばにかけてです。魏志倭人伝に書かれている卑弥呼の女王国と中国の魏の交渉史は、238年から250年頃のことです。

 ということは、『日本書紀』において邪馬台国時代というのは、神代(かみよ)の中にあるということになります。神武東征前の神々の時代です。

 

 日本書紀の第一巻と第二巻に神代の話(いわゆる神話)が書かれていますが、それは神武天皇即位後のような編年体ではなく、説話集のような形態で綴られています。よくある「昔むかしのお話」というように、確かな年代が語られることはありません。

 すると、日本書紀の内容を邪馬台国時代にさかのぼることは不可能なように思えます。

 

 しかし、ひとつ方法があるのです。

 それが、神々の系譜をさかのぼっていくことです。

 日本書紀は神代の出来事がいつのことだったのかは記していませんが、神々の系譜については詳しく書き記しているのです。

 ですから、神武東征以前の登場神(登場人物)にモデルがいたと想定すれば、その系譜が時代をさかのぼる大きな手掛かりになります。

 ここでは詳細をはしょりますが、『日本書紀』神代の本文でさかのぼれる系譜はこのようになります。

 ※私の考える初代天皇は、山幸彦(彦火火出見尊)=神武天皇=崇神天皇です。

 

 この系譜に実年代を与えます。

 基準点となるのは、初代天皇の誕生年である250年です。初代天皇である神武天皇・崇神天皇は52歳で即位されたことになっているからです。

 そこから、一世代の推定年数を当てはめていきます。今回は平均25年、誤差をプラスマイナス5年として算出しました。

 

 すると、天照大神の誕生年は175年プラスマイナス15年となります。

 ここで、天孫降臨の舞台である日向を九州であると考えると、天照大神が治めた高天原は九州にあった可能性が高いと思われます。

 そして、天孫降臨の時期は250年の直前です。天孫降臨後すぐに初代天皇(山幸彦)が生まれたことになっているからです。

 すなわち、天照大神は九州にあった高天原を200年代前半に治めていたということになります。

 一方、魏志倭人伝は邪馬台国に都をおいた卑弥呼が、おそらく240年時点で「年すでに長大にして」、「247年もしくは248年に亡くなった」と記しています。

 

 このように見てくると、結論として、魏志倭人伝の記す3世紀前半に九州にあった女王国・邪馬台国および卑弥呼と、日本書紀の記す3世紀前半に九州にあった高天原および天照大神は同じことを描いていると考えざるを得ないということになります。

 この天照大神の卑弥呼説は目新しい説ではなく、私はどちらかというとこの説には懐疑的でしたが、神々の系譜から考えるとこのような結論に至りました。

 

☆YouTubeでもう少し詳しく説明しています。ご視聴いただけると幸いです。

 

 

 

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(参考文献)

坂本太郎ほか校注『日本書紀(一)』岩波文庫

宇治谷孟著『日本書紀(上)全現代語訳』講談社学術文庫

 

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