「尼僧物語」~自分を偽ることは出来ない。 | ネコ人間のつぶやき

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 オードリー・ヘップバーン演じるヒロインの葛藤と成長を描く「尼僧物語」(1959年)をご紹介します。

 

"THE NUN'S STORY 04" Photo by MyLifeInPlastic.com

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   1930年代のベルギー。

 

 高名な外科医の娘ガブリエル(オードリー・ヘップバーン)は、婚約者への思いを吹っ切って、家族に別れを告げて修道院に入ります。

 

 ガブリエルは「シスター・ルーク」という名を与えられ、厳しい見習い修道女の修行を通じてひたすら従順や我を捨てることを説かれます。

 

 強い自分を持つガブリエルには、こういった修道院の規律が苦痛です。

 

 脱落者が出る中、ガブリエルはコンゴに行くためにも耐えて修行にいそしむのです。

 

"THE NUN'S STORY 029" Photo by MyLifeInPlastic.com

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 元々父の助手を務めていたガブリエルは、医学の知識と経験が豊富で、既に看護師として優秀。

 

 希望するコンゴ行き間違いなしの成績ですが、修道院長に「謙譲を欠いたので修行が必要」と判断され、国内の病院に配属されます。

 

 失意を重ねるガブリエルは、やっとコンゴに派遣されます。

 

 アフリカの地に足を踏み入れたガブリエル。

 

 でも現地の人々の看護ではなく、白人専用の病院を担当するよう言われて、早々にここでも失意を味わいます。

 

 配属された病院の外科医フォルテュナティ(ピーター・フィンチ)は皮肉屋ですが、熱心で腕の良い男。

 

 優秀な看護師ガブリエルは、やがてフォルテュナティから一目置かれるようになります。

 

"THE NUN'S STORY 036" Photo by MyLifeInPlastic.com

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 当初は反発していた2人ですが、やがてなんとなく惹かれてゆきます。

 

 でも、ガブリエルは修道女として一線を引くんです。

 

 彼女は信仰を優先して、自分を無くすんですね。

 

 修道女と看護師の狭間で葛藤するガブリエルは神と女性としての心情の狭間でも苦悩するさまがうかがえます。

 

 修道女としてはあまりに「人間的すぎる」ガブリエル。

 

 フォルテュナティはガブリエルに「君は人間的ゆえに患者達に慕われている。そして君は修道院が望む修道女にはなれない」とズバリ言うんですね。

 

 その後もガブリエルは葛藤し続けるんですが、やがて第二次大戦が勃発。

 

 ガブリエルの人生がさらに揺さぶられていく…。

 

"Audrey Hepburn" Photo by kate gabrielle

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 尼僧とはいかに特殊な生き方だということが映画の前半で細かく描いています。

 

 なので、知識がなくてもその辺が理解出来る作りです。


 修道女の道は相当な動機と覚悟がないと無理だと分かります。

 

  修道院でガブリエルは貞淑・清貧・服従を守るよう厳しく訓練されます。

 

 特に教会が定める規律への無条件の服従は、ガブリエルにとって人間としての自分を捨てることであるので悩ましいのです。

 

 しかし、ガブリエルがなぜ俗世から逃げてコンゴ行きを希望して修道院に入ったかは詳しい説明がありません。そこは残念でしたが…。

 

 とにかく、修道院長が言ったように、尼僧になることは「自然に逆らう生き方」を選ぶことです。

 

 尼僧とは、(良くも悪くも)人間的な欲求を否定しなければならない。

 

 人間的なガブリエルは自然なんですね。ゆえに悩むんです。


 その葛藤とは「私は シスター・ルークか?ガブリエルか?」という悩みですね。

 

 ガブリエルは修道院、ベルギー国内の病院、コンゴで多くの人々の生き方を目の当たりにします。

 

 そういう経験は、自らの意志で実家を出た彼女にとって、自分の生き方と自分自身を模索してゆく、いわば心の旅なんですね。

 

"Audrey Hepburn" Photo by kate gabrielle

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 コンゴ民主共和国がベルギーの植民地だった時代が物語の舞台です。

 

 支配者側の白人がコンゴの黒人たちから搾取していたことが映画からもうかがえます。

 

 当時ベルギーは植民地政策の一環としてコンゴでの布教活動を推進していたんですね。

 

 そういう政治的事情を(彼女達がそれをどう捉えていたかは分からないけど)尼僧達とコンゴの人々の交流だけでなく、軋轢も場面的に描かれます。

 

 同僚の尼僧が病院で働く現地人について「改宗させたいわ」と悪気無く言ったり、白人の入院患者が現地人の病院スタッフについて尼僧に「甘やかせすぎだ。そうやって彼等を味方にするのかい?」と言う場面があります。

 

 人種差別や自分たちの文化と価値観こそ正しい、という傲慢さが伝わって来るようでした。

 

 そういった宗主国による侵襲的で人間的な欲望が背景にあるわけですから、純粋な動機で派遣されている尼僧たちの姿にも複雑さや矛盾を感じざるを得ず。

 

 無神論者で純粋に医療従事者であるフォルテュナティは、尼僧の生き方に否定的ですが、彼はそういう違和感をも指摘していた気がしますね。

 

 こういった背景がありますが、「尼僧物語」のテーマ自体は人の成長物語です。

 

 「神と自分は騙せない」という言葉が劇中何度も語られます。

 

 誰かを騙すことは出来ても自分は偽れない。

 

 自分の心には嘘をつくことは出来ない。

 

 それは自分の生き方を問うことなんですね。

 

"Audrey Hepburn photographed by Leo Fuchs during the filming of The Nun’s Story, 1958. (Found via @agentlewoman) #wcw" Photo by Tradlands

source: https://flic.kr/p/RZ4AUQ

 

  オードリー・ヘップバーンは思春期をナチス占領下のオランダで過ごしました。

 

 オードリーはここでレジスタンス活動を手伝っていたんです。

 

 さらに映画公開の約30年後、女優業から完全に引退したオードリーは第二の人生として選んだユニセフ親善大使としてアフリカの地を踏みました。

 

 そういう意味でも「尼僧物語」は極めてオードリー的な作品だと思いました。

 

 映画の企画にオードリーが積極的だったことも分かるような気がします。