私は大人になっても、色んな問題にぶつかったり、自分自身を認めてあげられなかったりして、悩みが尽きなかった時期がありました。

人間だもの。
時にはつまずく。
ストレスに耐えられなくなって逸脱行動に出る。
何をすればこの沼から抜け出せるのか分からないまま闇雲にもがいたり、さらに沈むばかりだったり、先の未来なんて暗闇しか続かないような錯覚に陥ったり。

でもある時期から、気に病んでも仕方ないことに関してはなるべく思い悩まないようになった。

だって悩んだところで解決しないことに心配や不安を持ち出しても、何のプラスにもならないから
(例えば、入試を終えてから合格発表までの間、私達は待つ以外にできることはない。それなら、合格発表まではそのことを考えても結果を変えることはできない。)

その時間を次に受ける学校の入試対策なり、体を休めて英気を養うなりする方が現実的かつ建設的なのです。


自分が生活していく上で、もっとこうなったらいいのに
とか
このことはこのままじゃいけない、どうにか改善したいと思うことは私もたくさんあります。

でも今の自分の状況をただ嘆くだけでは何も変わらないし、不安から取る行動というのは大抵うまくいかない。

こういう嫌なことがあるけど、何とかして良い方に変えたいと思ったら、私はそのためにやれることをリストアップします。

ある問題に対してやるべきことがいくつか思い浮かぶので、私の頭の中はTo Doリストでいっぱい。

私が悩むことを最小限にしているのは、悩む前にやれることがあり改善の可能性があるため、

悩みを悩みではなく「課題」と捉えているからだと思います。
 
やれること、やるべきことが見えているうちは、気に病むことが減ります。

今、不満があるからこそ、それを排するための策を私は常に考えていて、結果あまり悩んでいる時間がないんですよ。。。


これは癖みたいなものなので、私のような人間は少数派なのかもしれませんが。

それでも全くメンブレする時がないわけではないので、たまに誰かに話を聞いてもらったりはしますけどね。

「やるべきこと」を先に探してしまい、今感じている自分の気持ちへのセンサーは鈍っているかもしれません…それに時々足をすくわれたりもしますが😅

悩みがない人間ではなく、悩みを「課題」として捉えて淡々と攻略する術を考案するルーティンを繰り返す、自分にはそういう一面があることが最近分かってきました。

メンタルはあまり強い方ではないので、これも一種のディフェンスメカニズムなのかもしれませんね。

だからといって他人様のお悩みに共感できないわけではないです…たぶん(>ω<;)

どちらかというと、悩みや不安をしっかり感じきって焦ったり落ち込んだりする方達を、美しくて尊いとすら思う。

だって私は本当は、
自分の感情とまともに向き合えない臆病者だから。

決して強くもないし達観してもいない。

ただの平々凡々な人間だという意識だけは捨ててはいけないと肝に銘じながら、
私なりに自分の問題とひとつひとつ向き合っている、愛すべきおバカでありたいと思っていたりするのです。