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空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 76 武田家の滅亡

2022年11月27日 17時24分39秒 | 貧乏太閤記
「設楽原で山県、馬場らを失った罰が今になって儂を襲うのか、あの時、老臣どもの言う通り退却していれば今日の危機はなかったのだろうが」
今更悔やんでも遅かった、家来たちにも武田家の滅亡は明らかに見えて来た
躑躅が崎に戻るまでに兵の大部分が逃走した、立て直すには無傷の小山田を頼るしか方法が無くなった
そんな時、上野(群馬)北部から信濃北部に勢力を維持している武田の外様、真田昌幸から「ぜひわが城に逃れて再起を図っていただきたい」との遣いがやって来た。
20万石弱の領地は難攻不落の山岳地帯と深い谷が多く、街道も谷沿いの狭い道だから大軍が攻め寄せるにはまことに都合が悪い地形なのだ
設楽原の戦に参戦した侍大将だった真田の長男、次男が戦死したため、武藤家に養子となっていた三男、昌幸が姓を真田に戻して、真田家を継いだ、
真幸の長男、次男、そして親戚も多く、東西に長い領地にそれぞれ城を持って、ネットワークを構築している
だが昌幸の実力はまだ未知数であり、真田は表裏一体で信用できないと言われていた、勝頼にはそれが心配だった
結局、昔からの重臣である小山田を頼って落ちて行った

織田信忠の軍は、信州中部の高遠城を取り囲んだ、ここには信州北部の仁科郡を任されている仁科五郎盛信が1000名で籠っている
盛信は四郎勝頼のすぐ下の弟である、武田家の一族まで次々と裏切る中、武士の義と忠を守り抜いて織田の大軍に立ち向かった
しかし、数万対1000では戦とは言えず、短時間で落城、盛信も討ち死にした
もはや甲府までは抵抗する敵がいない一本道である、信玄が作った棒道が今度は攻め寄せる織田軍の高速道路に化けた、3月には既に目の前に近づいた
小山田を頼った勝頼であったが、予想もしない小山田の裏切りに遭って、再び甲府目指して逃げた、途中から行き場を失い天目山に入った
従うは忠義の臣、土屋兄弟ら100名ほどで勝頼とその妻、嫡男太郎を逃がそうと防戦したが次々と倒れて行った
ついに勝頼親子と妻は、従った女中らも巻き添えになって天目山に散った
ついに清和源氏から始まる甲斐守護武田家は勝頼の代で滅んでしまった
甲斐に攻め込んだ信忠は、主を裏切った小山田が降参すると「一族でありながら助けを求めた主を裏切る不忠者は許さぬ」と言って斬首に処した。
 武田が滅んで、信長は諸将を今度は越後の上杉景勝攻めに派遣した
摂津、伊勢、河内、和泉あたりの大名や国人が動員された
信州口には森長可(もりながよし)、上州口には滝川一益、越中からは柴田勝家が攻め込む手筈ができた、上杉家も武田同様、風前の灯となった

 真田昌幸は主家を失って独立した大名となったが、周囲は上杉、北条、織田、徳川という大国ばかりで兵数全部合わせても5000程度の大名では独立は守れない、四方の勢力図を考えて織田に下ることに決して、上野(こうずけ=群馬県)を領し関東管領に任じられた滝川一益の配下になった

 秀吉が備中に兵を進めたのは4月であった、
高松城の様子を見ると、なかなか守りが硬い堅城で兵も多いという、しかも一方には川が流れており、他のは三方が沼になっていて、馬どころか足軽も容易に近寄れぬほどぬかるんでいる
「これは容易に攻め切れぬ、なにか方法を考えねばならぬ」羽柴秀吉が黒田官兵衛、宇喜多の家老と高松城の攻め方をあれこれ思案していたが、なかなか名案が浮かばない、兵糧攻めも一方を毛利が抑えていて無理である
このように敵と対峙しているのは秀吉だけではない、越中では柴田が魚津城の上杉方河田と睨み合い、信濃では4月川中島の海津城に森長可(ながよし)が20万石を与えられて入城、善光寺平から北國街道沿いに飯山から越後を伺っている

 秀吉が悩んでいる頃、信長のもとに徳川家康からの使者が訪れた
「此度の武田征伐の大成功、心よりお喜び申し上げ奉りまする。
わが主よりの心ばかりの品を持参しましたのでお納めくださいませ、なお主、家康は早々に、駿河一国拝領の御礼に参上したいとのことであります、いつ頃がよろしいか聞いてまいる様にとのことでございます」
「うむ、であるか・・それでは5月の末ではいかがかと申したと伝えよ、場所は安土城じゃ」
信長は一度決めたらさっさとことを片付けたい性分である
「日向をここに呼べ」
明智光秀が、やって来た 「日向守、来月27日に安土の城で三河殿を饗応する故、そなたが饗応役として宴の準備をいたすよう」
「ははあ、承りました」
「うむ、手抜かりなきよう頼んだぞ」
「はは!」

 この頃、都では明智光秀の評判が悪い
それはかっての謙虚で冷静な光秀が豹変して、各所で威張り散らす、高慢な態度が多くなったというものであった
出所は中下級役人、中堅の公家、商人などである、それらの噂は信長の馬廻り衆や小姓から信長の耳に入ってくるようになった
「これも信長が光秀の高慢を許しているからだ」という世間の声を聞くと、さすがに信長も知らぬ顔をできず光秀を呼んで問うた
「日向、そなたは巷の噂を聞いておるか?」
「いえ? 何の噂でございまするか」
「覚えがなければよいが、そなたが近頃人の好き嫌いが激しくなり、人を見て贔屓をするとの噂である」
「なんと! 誰がそのようなことを申すので?」
「誰でもよい、巷の噂と申したではないか」
「いえ、このような某に対する中傷は許せませぬ、どうかそれらの名をお明かしくだされ」
見かねて、小姓の森蘭丸が「日向守さま、お控えくだされ」
「むむ」光秀は言葉を切った蘭丸を睨みつけた
「これ、日向、ちと度が過ぎるぞ」見かねて信長がたしなめた
「ははあ、失礼いたしました」
「まあ良い、根も葉もない噂じゃ、気にせずともよい」
「ははぁ、わかっていただければ某も安心でございます」
「よし、下がってよいぞ」
光秀が見えなくなると蘭丸に向かって信長が言った
「蘭丸、どう見た」
「はは、以前の慎み深い明智様とは別人かと思いました、私を睨みつけたあの目は今まで一度も見たことがありません」
「うむ、言葉遣いもぞんざいであったのう」
「そのように聞こえました」
「さて、如何したものかのう」








 





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