神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)

風吹くままに 流れるままに
(yottin blog)

無 無心2 最初の悟り

2022年06月23日 09時20分51秒 | 宗教
すさんだ心の男が一念発起して禅寺へやってきたのは彼の中に仏が住んでいたのにほかならない。
その彼が得度をえる(出家して仏に仕える=仏門一筋に生きる)ことを住職に相談した。
住職は彼の決意を喜んだが、為に他の本格的な曹洞宗寺院で5年の修行に入り、その間子供とも会えない事実を知りなかなか決められないでいる。
これもまた乗り越える為の試練なのだ、小説「杜子春」と同じく家族を人質にして仏が彼の決意を試しているのだろうか。

ここに答えを求めてやってきた若者にも試練の時がやってきた
既に1年たつが禅修行しても一向に答えは見えない、彼らの心に疑念が芽生えて住職に問うた。
住職はまだ若さが残る女性である
(庵住 尼僧)
住職は俗世では介護士として働いていたが、自分の人生に疑問が生じて、この寺にきたのだ、そして得度してここに住み着いた。

悩む若者の問いに、自分も未だ迷いがあると伝える
答えを得る為の禅修行なのか?
禅の中に答えはあるのか?
疑念が湧き、自分にそれを問いはじめたこと
そこに1年間の修行の成果が見えたのではないだろうか。
すなわち、他力本願の中から自力本願の気持ちが芽生えたのだ
答えは他に求めるのではなく、己の中に求める
唯物に求めるのではなく、無の中に求めるのだと
毎日、障子に向かい合ううちに彼は確かに成長していた。
外国人青年の心が定まった。
ある日、彼は突然、自ら長い髪を電気バリカンで刈り丸坊主になった、彼の決断だった。
「過ぎた日を悔やむこと無かれ、まだ来ない明日に期待や不安を持ってもせんないこと、今この瞬間が幸せであれば、自分は幸せに生きているのだ」
働いた成果を得た喜び、同じ心の仲間といる喜び、ただ無心で自然を見つめている時間、今日もここで生きている幸せ
彼なりの最初の悟りだった。
     続く







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