普通じゃなくていいもん!〜自閉症スペクトラム一家の日々の出来事〜

普通じゃなくていいもん!〜自閉症スペクトラム一家の日々の出来事〜

子ども達は社会人、看護専門学校生、音楽系専門学校生になりました。3人とも軽度発達障害。
おかあしゃん自身は、軽度発達障害のアダルトチルドレン。
長女と次女は先天性心疾患もあり、年1〜2回定期検診を受けてます。
不定期で更新しています。
よろしくお願いします!

次女の引っ越しも終わり、3人家族での生活が始まりました。



4月に入って私はボランティアも再開うさぎのぬいぐるみ


またマイペースで楽しもう〜と思っていたら、旦那の携帯にショートメッセージが。



『お母さんが危篤です。連絡ください』


夕方に来ていたようですが、気付いたのは夜中でした。



旦那の実家で携帯電話を持っているのは義母だけ。


旦那に来たのは義母の電話番号からのメッセージ。


義姉が送ったようです。


旦那が電話しても、出ない。


実家の電話番号は変更されていて、旦那は知らない。


もう夜中でしたが旦那の叔父に電話して、こんなメッセージが来てたが…と聞いたら驚く事なく、

『俺のところにはまだ連絡ないな〜』と。



『個人情報だから…』と教えてもらえないかもしれないけど、もうこれしかないと、旦那、義母の入院している病院に電話。


旦那の個人情報と義母の息子だということ、義母の電話番号からのメッセージの内容、連絡が付かないこと、遠方に住んでいる事を伝えると、電話で話せる限りの義母の様態を教えてくれました。


どうやら本当に気を抜けない状態だと分かり、とりあえず旦那だけ車で地元に向かいました。



朝方、旦那が病院に着いたと同時に義母は息を引き取ったそうです。



すぐに私に電話があり、私から家族LINEで子どもたちに連絡。



長女はその日、仕事の予定でしたが会社の人に連絡すると、忌引を使って3日間お休みすることになりました。



息子はまだ春休み中。



次女にとってはタイミング悪く、就職したばかりで研修中。


師長さんから上に掛け合ってもらいましたが、まだ研修中なので忌引は使えないので欠勤になってしまうけど、師長さんは

『行っておいで』

と言ってくれたそうです。


けれど、みんなと一緒の研修が受けられなくなるという事は、次女がこれから仕事をしていくのを考えると簡単に『休みます』とは決められず。


悩んだ挙げ句、泣く泣く、ばあちゃんには心の中でお別れの挨拶をして、仕事に行くことにしました。


行くにしても行かないにしても、後悔は残るかもしれない決断。


社会人になって初めての、本当に辛い決断でした。




ということで、私と長女と息子は新幹線で地元へ行きました。



旦那の実家はお金がなく、お葬式はやらない事になりました。


義母本人も

『死んだら燃やすだけでいいから〜』

と言っていたらしいので、それで良かったんだと思います。



今、亡くなる方が多くて葬儀場も火葬場も空きが無いとは聞いたことがありましたが、やはり地元もそんな感じで、葬儀場の冷蔵庫にも空きがなく、義母は旦那の叔父(父方の叔父)の家で安置してもらうことになりました。


ここの家は、旦那の父方の本家で、今は叔父が一人で暮らしています。


亡くなった人なので悪く言ってはいけませんが、義母は常識がある人ではなく、親戚の家に行くときもヒョウ柄の服にサンダルという格好で行くので、叔母からはよくお叱りを受けていました。


そんな感じなので、義母は親戚の家にはお正月の挨拶にも行かない人でした。

お年玉の文化のない人ですしね。


そんな義母を、旦那の叔父の家で安置。


大丈夫なのかな〜と私は心配しましたが、旦那の父方の叔父叔母、みんな温かく迎え入れてあげていて、心の広さを感じました。


東京の自宅に戻ってから、

『義母は親戚の家に行きたがらなかったのに、最後がそこで良かったのかな?』

と聞いたら、

『義母も本当は行きたかったけど、常識のある行動ができないから行きにくかったんだよ。

叔母も会う度に小言を言って、直接本人に言ってきたからもう何のわだかまりもないから良かったんだよ』

と。



なんと、亡くなる前の日に、叔母が義母の亡くなる知らせを受けた夢を見たらしくて…。


きっと亡くなる事を義母が知らせたかったんでしょうね。


人って分からないものだな〜と思いました。



我が家は最近、外食に行く度に【44番】のテーブルに案内されるので、

『なんか縁起悪いね〜』

と話していたのですが、これも義母からの知らせだったのかもしれませんね。


義母は旦那には、心配させたくないからと、病気が悪化していることを隠していたらしいのですが、地元から離れてなかなか会えなくなってしまった息子や孫のことは気にしていたんでしょう。

(嫁の事はしらんけどえー


孫の中でもいちばん可愛がっていた次女が、夢を叶えて看護師として就職して、安心して天に召されたのかもしれませんね。




義母は、癌で闘病していたのは知っていましたが、最後は骨にも転移して、今年に入ってからコロナに感染して肺も弱っていたそうで、死因は特定されませんでしたがどちらにしても体調はかなり悪かったようです。



亡くなった次の日の午前中にたまたま火葬場に空きがあったようで、すぐに予約を入れました。



叔父の家に安置されていた義母は、お気に入りの服を着て、義姉(義母から見て娘)にお化粧をしてもらい、少し微笑んだようなお顔をしていました。


火葬の日は、

親戚みんなで棺に入れて、叔父が御経を読んで。


お金がないからそうしたのですが、普通の葬式よりも暖かみを感じました。



叔母も葬儀屋さんとの話し合いの時に、どうしたら最低限のお金でできるのかを聞いてくれて、頼りない義父と義姉を助けてくれたそうです。


本当に、ありがたいことです。



火葬を終えて、親戚の方たちと食事をして解散した後は、叔父の家に行って、頼りない義父と独身無職の義姉に、義母に負の遺産がないかきちんと調べること、義母名義の口座や携帯の手続き等をするように言ってくれと叔父にお願いしました。


旦那から、またちょくちょく叔父に電話する事になっています。



叔父の家を出た後は、地元で人気のクレープ屋さんに行き、地元でしか買えないヨーグルトを買って、静岡県でさわやかハンバーグに寄って帰ってきました。



旦那は食欲も落ちず元気ですが、私の前で全く泣いてないので、そのうちに爆発しないかとちょっと心配しています。




なんだかバタバタで、とっても疲れてしまい、私は体調不良に。


次のブログ(いつ書けるか分からないけど)は、私の体の事を書きます。

またまたお久しぶりのブログになってしまいましたウインク


先日、次女が無事に看護専門学校を卒業しました〜お祝い

国家試験の結果はもう少し先ですが、とりあえず、学校は卒業できましたにっこり

国家試験の自己採点はA判定だったので、合格してると思っていますが、万が一ダメだったら次女の内定している就職先は内定取消になります。

採用試験に合格した後の提出書類の中に、
『国家試験が不合格だった時は内定取消になります』という内容が書いてあるものがあり、サインしました。

看護助手で採用とかは、無いんですね。

厳しい世界だと改めて感じましたチュー



看護学校の卒業式では振袖袴を着て行きました。

着付けは長女がやってくれました。

次女の行きつけの美容院は着付けをやっていないので、どこで着せてもらおうかと考えていた時に次女が
『お姉ちゃんは無理かな〜?』と。

卒業式当日は長女の勤め先のお店の定休日だったので、長女は快く引き受けてくれましたニコニコ


式には旦那と私と、そして長女も着物を着て張り切って参列しました。

行く前は、
『兄弟姉妹が参列なんて他にいないだろうね〜』なんて話していたのですが、行ってみたらご兄弟や、生徒のお子さんかな〜と思われる子どももチラホラいました。

次女にとって最後の卒業式。

3年間、辛い事もあったけど頑張りましたおねがい


来週引っ越しで、いよいよ一人暮らしです。

成長は嬉しいけどなんだか寂しいですね。


けど、次女は家事や片付けが苦手なので、たまに私が行って片付けるということになってます。


ADHDで、仕事はできるけど家事は全くできないから、家事は全て家事代行サービスを使っているという方とお話したことがあるのですが、私は次女もそうやって生きていっても良いと私は思っています。

看護師は激務で、定型発達の方でも家事はできなくなることもあると思います。

大変だけど給料は他の仕事よりはたくさんもらえるので、家事は無理して頑張るよりも、お金を使って解決できるならそれで良いのではないかと。

そうは言っても初任給はそれほど高くなく、いきなり家事代行というのも次女はストレスになるかもしれないので、話し合った結果、次女の希望で私が暫くはたまに行って手伝うことになりました。


先天性心臓病もあり、体が強いとは言えないので看護師のお仕事がいつまで続けられるか分かりませんが、次女が頑張りたいと思い続けている間は私も応援していきますニコニコ

もう三が日も終わってしまいましたが…今年始めてのブログですニヤニヤ



今年の年明けは、元旦からとてもおめでたいとは言えない心境ですが、こういう時だからこそ2024年を生きて迎えられた事に感謝して、今年も一日一日を大切に生きたいと思っています。


今年もブログは気が向いたときにしか書かないと思いますが…読んで頂けたら嬉しいです。


どうぞよろしくお願い致します絵馬



こんな年明けですが、私は一昨日1月2日に日本武道館で行われた新しい地図の【NAKAMA to OSHOGATSU】に行ってまいりましたイエローハーツ


元旦の公演中に能登半島で大地震があり、東京でも少し揺れて、公演は少し短めで終了したそうです。


SMAPはいつも災害が起こると、被災地のことを思い、声をかけ、物資を送ったり、できる限りの事をしてくれます。


それは中居くん、木村くんと新しい地図の3人が別々に活動するようになっても変わらず、いつも強くて優しくて…。


2日目の私が行った公演は予定どおりの曲目を歌い、MCでは沢山お話してくれました。


もちろん被災地の方々への思いもお話してくれました。


ファンミ恒例の、3人のお見送りは自粛、アンコールも。


そのお陰で被災地の方々のことはもちろん、私達2日目に参加したファンの罪悪感をも理解してくれているようで、とても優しさを感じました。


私はなんと、2列目の中央寄りという神席で、もう本当に今年1年分の運を使ってしまったかもしれず…少し頑張って徳を積んでまた良いことが起こるように心がけたいです。



徳を積んでいるかは分かりませんが、産後サポートのボランティアは楽しく続けられています。


初めてのお宅にお邪魔するのは毎回、とても緊張しますが、ママさんの言葉や赤ちゃんに少しずつ自信をつけてもらって、このボランティアに参加して良かったな〜と思えています。


そんな私の今年の目標は、出かける準備を余裕をもってできるようになることです。


毎回、出かける時の準備が億劫で、ギリギリになってバタバタと着替えて化粧をして出かけるのを、少しでも時間に余裕をもって家を出られるようにしたいです。


やらなきゃいけないことを後回しにしてしまう…発達障害あるあるですが凝視バタバタするのは嫌なので、早めに準備をして出かけられるようになりたいです。



そして、月に1日か2日、計画的に『何もしない日』を作るようにすることも考えています。


もう、更年期ですぐにやる気ゼロになってしまうので、たまに心のコップの水を補充したいと…それには家族の協力が必要なので、特に旦那や息子とよく話し合って実行できるようにしたいですね。


でも、息子もこないだ寒い日に、私がホットフラッシュで汗だくだくになっているのを見てびっくりしていたので、少しは理解してくれるかな〜と期待しています。


息子に更年期やら生理やらの話をするのは気が引けてしまうのですが、息子の将来のためにもそういう話もちゃんとしないといけないのかもしれません。


何もできない日もまた、一日一日を大切にするためだと、自分にも言い聞かせて生きたいとおもいます。



お正月、長女も帰って来てたくさん美味しいものを食べました。


ちょっと頑張って体を動かさなくちゃ。


ではまたパー