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川崎フロンターレ元GM庄子春男エグゼクティブアドバイザーの退任を発表。強く愛されるフロンターレを作ってくれてありがとう。

川崎フロンターレここで1つの時代の終わりって感じがする、庄子元GMの退任。2017年から数多くのタイトルをとるまで、叩かれたこともありましたが…そういう苦悩の時代もありつつ、強く・愛されるフロンターレを作ってくれました。

ありがとうございました。本当にたくさんの感動を庄子春男GMのもとで経験させていただいたなぁ…。武田元社長、藁科元社長、そして、庄子元GMは川崎フロンターレが観客が全然いない時代から作ってきた人だから…こういう人がいなくなった後に、どういうクラブになっていくのか本当に楽しみです。

川崎フロンターレ元GM庄子春男エグゼクティブアドバイザー(65)退任。

庄子春男さんは、西多賀中から宮城県工業、東北学院大を経て、1980年に富士通に入社すると、富士通サッカー部で活躍。 引退後は10年間のサラリーマン生活を経て、フロンターレ創設2年前の1995年12月から川崎フロンターレに携わってきました。

運営、広報、チケット販売業務などを経て、強化部長、強化本部長を歴任し、選手獲得など現在に至るまでの川崎フロンターレを作り上げてきた功労者の一人。

2021年1月10日付で強化本部長を退任し、エグゼクティブアドバイザーに就任し、2023年3月末で退任することとなりました。JFL時代から28年間、クラブのために本当にありがとうございました…。

庄子さんが川崎フロンターレの業務に携わるようになったときはアマチュアクラブだったので、庄子さんを含めてスタッフは3人しかいなかったっていうからなー。そういうところもすべて知っている人がいなくなるのは凄く悲しいですね…。

庄子春男元GMにとって川崎フロンターレは「日常」

以前、スポルティーバのインタビューで、庄子さんにとってフロンターレとはどういう存在なのでしょうか?という質問に、

「何でしょうね。考えたこともなかったですから。フロンターレは私にとっては日常の一部、それはほかのスタッフや選手たちも同じ、常に応援してくれているサポーターの方々も同じかもしれません。それくらいきっと、日常なんでしょうね。スポーツの世界なので、勝った、負けたに一喜一憂するし、毎日いろいろ刺激的なことがあるので疲れちゃうこともありますけど…(笑)。きっと、これがなくなったらさみしいんだろうなという思いもあるんですよね」

https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2020/07/03/this_is_my_club25gm/

と語っていましたからね…。日常が無くなってしまうのは本当につらいだろうなぁ…。

ただ、今後は庄子さんも1サポーターとして川崎フロンターレを支えてくれたら嬉しいですね。等々力でお会いしたときに、お疲れさまでしたとお伝え出来たら嬉しいです。庄子さんがもたらしてくれたものがたくさんありますからね…。

鬼木さんとも25年来の付き合いで、鬼木さんが鹿島アントラーズからレンタルで川崎フロンターレに加入した際に、キャンプに合流するために空港まで迎えに来てくれたのが庄子さんだという話ですもんね…。本当にこの二人に加えて武田元社長が愛される川崎フロンターレを作り上げるために奮闘してくれたのを知っているからこそ…優勝したときはうれしかったなぁ…。

庄子春男がいなかったらバンディエラ中村憲剛は川崎に来なかったはず

中村憲剛が中大時代に川崎フロンターレに練習参加からプロ契約をつかみ取ったのは知っている川崎フロンターレサポーターが多いと思いますが…庄子さんが川崎フロンターレにいたから連絡があったのを知っている人はあんまりいないんじゃないかな?(当時のサポーターは知っていると思いますが)

庄子春男さんが、中村憲剛が中央大学に所属していた当時のサッカー部コーチ佐藤健さんの1つ上で、ともに宮城県出身で、高校こそ違っていましたが宮城県選抜で旧知の仲だったことから2002年の6月に中村っていう面白い選手がいます、見る価値ありますよって連絡が来たと以前言っていました。

もちろんJ2だったチーム状況で、大学の一流どころは声をかけてもなかなか来てくれてなかったこと(練習参加の要望があればできるだけ受け入れていた)や、ワールドカップの中断期間があったことなど…中村憲剛の練習参加時のプレーの質が高かったことが加入の大きな要因ですが…

そもそも川崎フロンターレに庄子さんがいなかったら佐藤健さんから連絡が来ているかどうか…という「たられば」があったりするんですよね。さらに、中村憲剛ともう1人守備的な選手で競っていて多数決なら憲剛が負けそうだから、庄司さんが多数決に反対した、みたいなエピソードもありましたよね。バンディエラの引退までを川崎フロンターレサポーターが見ることができたのも庄子さんがいたから、というのも言い過ぎじゃないかなと。

庄子春男さんの最後の挨拶が、川崎フロンターレのJの歴史すべてだった

泣いてしまう…。全文引用したので、読んでくれ…。

「このたび契約満了により3月末をもって退社することになりました。

川崎フロンターレと私は、1995年末より富士通サッカー部のプロ化に向けスタートしてから、川崎をホームタウンとするプロクラブとして地域密着を推進しながら28年目を迎えました。ここまでフロンターレが成長できたことは地域の方々をはじめ、ファン・サポーター、パートナーなどクラブに関わる全ての皆さんのお力添えがあってのことだと感じております。心より感謝申し上げます。

在任中、皆様と同様に、嬉しいこと辛いこと悲しいこと、様々な出来事がありました。
その中で強く印象に残っている出来事を紹介します。10年ぐらい前のことです。チームが不調で苦しんでいる時にどうチームにアプローチしていけばよいか悩んだ時期がありました。そんな時、心配して麻生グラウンドに来てくれたファンの方から「ブレずに頑張って下さい」と声をかけていただきました。この言葉は私の中で非常に大きな転機となりました。『ブレない』という一言の言葉。私の思いや考えが固まったことを鮮明に覚えております。たった一言の言葉かもしれませんが私にとって、クラブにとっても目が覚めるような言葉で決して忘れられない出来事でした。改めて色々な方々の支えがあってクラブが成長してきたこと、そして私自身も勤め上げることが出来たと改めて感じております。本当に感謝しております。

川崎フロンターレはまだまだ成長過程のクラブだと思います。ホームタウンの川崎市を中心に、これからも地域の皆さん、応援していただくファン・サポーターの皆さん、パートナーの皆さんと共に成長してくれると信じています。
チームは生きものです。良い時もあれば良くない時もあります。時には皆さんに我慢していただくような事もあるかと思いますが、どんな状況でもチームを信じて一緒に戦って下さい。
フロンターレは『ブレずに』戦い続けていくはずです。

これからもフロンターレの更なる成長に向けてお力添えのほどよろしくお願い申し上げます。
ありがとうございました」

https://www.frontale.co.jp/info/2023/0309_1.html

ブレない、川崎フロンターレをありがとうございました。