備中松山城 その2 | おおとり駆の城日記

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子供の頃からお城好き 今までに巡ったお城の感想 その他どうでもいい趣味のことなどあれこれ綴っていきます

日本100名城、現存12天守のひとつ
岡山県の備中松山城訪問レポートその2です。ふいご峠から登ること約20分で天守のある本丸に到着します。

天守
二層二階で高さ11mと、現存12天守中最も小規模ですが、岩盤を削った上に石垣と天守を築いているため、建物の高さの割には大きな存在感があります。

一階正面に設けられた巨大な唐破風の出窓によって押し出しの強いデザインとなっています。


天守1階には昭和15年当時、町の人たちの協力で修理がなされた記録がパネル展示で紹介されています。

装束の間
天守1階の奥、一段高くなったところにある部屋は籠城時の城主の居室で、落城時には城主の自刃の場所ともなった部屋です。床下に石を入れて隙間をなくし、忍者も侵入できないように工夫されています。

囲炉裏
囲炉裏が天守の中にあるのも珍しい構造です。姫路城には流し台が、松江城には井戸がありましたが、籠城時の城主の食事・暖房用でしょうか。

天守2階
奥は御社壇が設けられており、城の守護神として三振りの宝剣が奉納されていたとか。

二重櫓
天守の北側、本丸から見て天守の真後ろにあります。こちらも現存の櫓で重要文化財です。残念ながら中に入ることはできません。

同じ二重櫓を北側から見ると岩盤の上に築かれていることがわかります。

備中松山城の前身である中世・戦国期の「大松山城」はさらにここから先580mに残されています。

下の方で鉄砲を撃つパーンという音が時々しました。戦国時代を連想させる演出なのかと思いましたが、帰りのバスの中で運転手さんに聞くとイノシシよけの威嚇音とのこと。
そりゃそうですよね。

高梁市は備中の小京都と呼ばれています。今も残る古刹や武家屋敷などが城下町として栄えた高梁の歴史と文化を感じさせます。

武家屋敷
城下町の面影を残すのが、高梁高校の南側に位置する「石火矢町(いしびやちょう)」
白壁の長屋門や土壁が続く町並みで、「旧折井家」と「旧埴原家」の2つの武家屋敷が保存公開されています。
  

頼久寺(らいきゅうじ)
南北朝時代の1339年(暦応2年)に足利尊氏が諸国に命じて建立させた安国寺の一つで、三村家親・元親の菩提寺にもなっています。
特に有名なのは、備中国代官・小堀遠州によって造られた蓬莱式枯山水庭園。
江戸初期の庭園としては、日本を代表するもののひとつであり、国指定名勝となっています。
ここもしばしは映画のロケ地として使われています。


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